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さて、本題。病院の待ち時間に、「鳥瞰するキリスト教の歴史ー宗派・教派の違いがわかるー」(岩城聰/ペレ出版)のうち、聖公会(=英国国教会・アングリカン)の歴史の部分をずっと読んでいた。
世界史では、ヘンリー8世は、スペイン王家のカザリンと離婚したいがために聖公会を立ち上げたことになっており、後に6回結婚し、肥満で利己的で無慈悲(重臣をだいぶ処刑している)な王というイメージが強い。しかし、この本によると、興味深い事実が書かれていた。本日は、まずそのことを記しておきたいと思う。
ヘンリー8世は、ヘンリー7世の次男である。長男のアーサーが、カザリンと婚約(アーサー2才・カザリン0才)し、紆余曲折の後、結婚式を挙げた(15才と13才)、しかし婚儀の20週後に突然死去した。兄の葬儀の時点で10才だったヘンリー8世は、14才になり結婚が可能となったが、抵抗したそうだ。そもそも教会法では、旧約のレビ記18章10節「兄弟の妻を犯してはならない。兄弟を辱めることになるからである。」とあり、禁止されていた。よって、ヘンリー8世は、(自分の結婚の)無効をローマ教皇に申し出ている。しかし、当時の教皇クレメンス7世は、スペイン軍にローマを占領され、スペイン王・カール5世(カザリンはカール5世の叔母にあたる)の監視下におかれており、無効の宣言は出なかった、というわけだ。そこで、権威による離婚成立を諦めたヘンリー8世は、カトリックからの独立(=宗教改革)へと動くことになる。
ところで、この人は実は熱心なカトリック教徒で、ルターの宗教改革に対し、「七つの秘跡の擁護」を著し、批判の先鋒となっていた。その功績から教皇レオ10世より「信仰の擁護者」という称号を贈られており、破門された後も歴代イギリス国王の正式な称号の1つとなっている。
と、いうわけで、聖公会の最初の姿は、離婚を認めるカトリックといったところなのだが、ここから複雑に変化していくのである。…つづく。
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