2024年7月31日水曜日

カルヴァンの精神世界

https://j-ag.org/ag-article/ten-commandments-12/
「カルヴァンの『キリスト教綱要』を読む」(渡辺信夫/新教出版社)は、なかなか手強い書物である。著者は、カルヴァンの老齢の大家であり、神戸の神学校での講義録が元になっている。よって、正直なところ、長老のお説教を聞いているような感覚があるので、ついつい斜め読みしてしまうのだった。第1講「今カルヴァンの綱要を読むこと」はその最たる内容で、書評としては第2講の「カルヴァンの精神世界」から書き始めたい。

この講で描かれているカルヴァンの精神世界を一言で表すと、(フランスの)ヒューマニズム(人文主義)を「立場」として受け入れることを否定したことである。宗教改革に賛成でありながら、その信仰の表明を避けてカトリックの中に密かに生きている人々をカルヴァンは、「ニコデモ派」(ニコデモは、パリサイ派の高名な指導者で、夜にイエスを訪ね、慕っているのに決断できなかった人物)と呼び、ヒューマニズムの決断のなさ、安全地帯にいることを強く批判した。

また、彼は「ヘブライカ」(旧約の研究)を行っている。ラビの解釈に是々非々で批判している。それ故か、ルターよりは同じく反ユダヤ主義であるものの穏やかである。

一方、当時、旧約研究家の中で、(カトリックの)十戒の番号を改めなければならないという動きがあった。ポイントは、第2戒の「偶像崇拝の禁止」である。聖像の設置を認めたカトリックと、(結局のところ改革できなかった)ルター派は、この偶像崇拝を第1戒に含めて(削除したといったほうがわかりやすい。)、隣人の妻を欲してはならないを入れて±0としている。正教会、聖公会、ルター派以外のプロテスタントは、偶像崇拝の禁止はそのままである。カルヴァンは、当然ヘブライ語聖書(タナハ)にあるように、偶像崇拝禁止と改めた。

…この十戒がカトリック・ルター派と、正教会・聖公会・カルヴァン派で異なる件は私も知らなかった。何度か言及しているカトリックとの近さでは、ここでまたルター派が接近してきた。制度的には主教制=神父と呼ぶ聖公会のほうが近いと私は思うが、この十戒の問題は大きい。ルター派のスタンスは非常に微妙である。

2024年7月30日火曜日

愛媛県立三崎高校の頑張り

https://www.youtube.com/watch?v=i-5SNnCnYA8&t=245s
先日、愛媛県の県立高校の再編についての動画を見た。県教育委員会のデータをもとに紹介されているもので、ちょっとドキドキして見た。もちろんマレーシアから帰国後、2年半を捧げた三崎高校の行く末についてである。幸い、三崎高校は、このまま存続できそうである。全国募集によって生徒を集めて、進学の成果を出している。これには未咲輝塾の存在も大きいようだ。後継の講師陣もかなり頑張ってくれているようで嬉しい。もちろん、伊方町の支援による寮(寮費はかなり低額に抑えられており、全国募集の際の大きな武器になっている。)や、OB・OG、近隣住民の方々の支援あってのことだ。そして、なによりも先生方の頑張りである。

https://www.facebook.com/misakijyuku/
Facebookによると、大阪で全国募集のイベントがあり、三崎高校も参加していたようだ。ありゃー。事前に知っていれば、応援に行ったのに、と悔やまれる。頑張れ三崎高校。頑張れ未咲輝塾。

2024年7月29日月曜日

仏五輪開会式の背景 考察

https://agora-web.jp/archives/240726212423.html
パリ五輪の開会式の演出について、世界中で大炎上している。マリーアントワネットの生首の演出が過激で下品だとか、LGBTの最後の晩餐のパロディがキリスト教への冒涜であるとか、様々な否定的意見が溢れている。私は、この演出について是非を述べるつもりはないのだが、本日は、その背景にあるフランス的な思想・文化・歴史を高校倫理の教師として考察してみたいと思うのである。

https://sports.yahoo.co.jp/paris2024/trend/theme/0bf85a2ff9051a6a0050?olympicGameId=olympic&rkf=1&p=%E6%9C%80%E5%
BE%8C%E3%81%AE%E6%99%A9%E9%A4%90&ifr=tl_bz
フランスは、ライシテ(政教分離)の国である。カトリックがキリスト教徒の中では比較的多いが、多数派ではない。無宗教の国民が40%と言われている。フランスという国は、カール大帝のローマ教皇による戴冠以来カトリック教会が、政権を支えてきた(社会学では、国家=政府という法人組織をカトリック教会や、聖公会、ルーテル教会などが是認することで存続してきたというのが常識。正教会は是認というより一体化しているわけで、この図式は国家論では極めて重要だと私は思っている。)のだが、強力すぎたブルボン中の絶対王政への反発で、フランス革命で覆された歴史を持つ。

「鳥瞰するキリスト教の歴史ー宗派・教派の違いがわかるー」(岩城聰/ペレ出版)には、フランスのキリスト教史がまとめられている。高校世界史ではここまで踏み込まないが、あえて記しておきたい。ユグノー戦争後の1685年、カトリックを国教化したものの、ガリカニズム(国内の教会を教皇から独立させた体制。教皇は司祭を聖別せず空位のままになった。)という体制を取ろうとした。一方、王権神授説の柱であるカトリックに対し、ルイ14世時代の啓蒙主義者たちは理神論(理性による永遠の英知)を唱えた。革命時の1793年には「非キリスト教強化運動」が地方から起こりバリにも普及した。ロベス・ピエールは信仰の自由を国会で再宣言した後に、カトリックの神に代わる「理性の神」「至高存在」を提唱する。ナポレオンの時代、カトリックは国教ではなく、多数の宗教とし、司教は政府が指名、教皇が教会法上任命する「政教協約」(コンコルダート)を結ぶ。皇帝になる時は戴冠を自ら行い、教会を支配する意思を見せた。その後「要理書」を制定、教会に皇帝への忠誠を誓わせた。ナポレオン失脚後も反動、革命の連続であったフランスだが、”宗教改革を武力弾圧で押しつぶした中世的カトリックを、宗教改革を超える全面攻撃で解体”したフランス革命(ナポレオンの時代をも含む)の影響は極めて大きかったわけである。ライシテの伝統が息づいているわけだ。

では、現在のフランス政府を是認する存在が、対立を繰り返してきたカトリック教会ではないとすれば、それはなにか?橋本大三郎・大澤真幸両氏は「哲学」であると述べている。ここが、今回のパリ五輪開会式演出の背景であると私は感じている。
現代の哲学は、英米の分析哲学や科学哲学という軸と、フランスのポストモダン哲学という軸が中心で、私が現役の哲学の徒であれば仏語を選択していたと思う。(きっと挫折していただろうが…。)フッサールの現象学を源とし、フーコー、デリダ、ドゥルーズといった、近代の哲学や実存主義、構造主義までも破壊するパワーを持ったフランスの哲学が、ライシテの無宗教の人々に大きな影響を与えていると思われる。

実は、フーコーの死因はHIVエイズであるらしい。何を意味するかは明白であろう。彼は理性中心の近代哲学の裏に潜む物語(狂気や権力)を暴いた。デリダは、差延の概念で言葉=ロゴス=近代哲学を否定し、脱構築を唱えた。ドゥルーズは、欲望する機械という概念やスキゾな人間像を預言した。これらの哲学の詳細は割愛するとして、彼らの、伝統を脱構築し、その物語(フィクション)の真実を暴き、各個人の価値観の方向性をスキゾに展開するという論説から見れば、今回の演出にも納得(ただし前述のようにその是非ではない。)がいくのである。マリーアントワネットの生首も、LGBTによる最後の晩餐のパロディも、極めてポストモダン的な感覚の演出であるといえる。

現代フランス哲学の専門家の方々は、この開会式の演出についてどうお考えなのだろうか。際めて、フーコー的であり、デリダ的であり、ドゥルーズ的だと私などは感じたのである。

2024年7月28日日曜日

夏休み・合宿・補習・一人旅

https://www.asahi.com/edua/article/14930389
猛暑の日々が続いている。思えば、在マレーシアの3年半を除いて、私の人生は幼稚園以来必ず夏休みがあった。(マレーシアは、1年中夏なので夏休みはない。その代わりにイスラムの断食明けや春節などに1週間単位でスクールホリデーがある。これはこれで良かった。笑)私は、あんまり部活に熱心な教師ではなかったので、夏休み=部活指導という感じではなかった。

とはいえ、商業高校では、サッカー部と吹奏楽部の合宿でそこそこ多忙であった。サッカー部の時は、落雷で学校が停電したこともあった。吹奏楽部の方は、かなり暇であったが、毎年肝試しがにあったのでその準備をしていた。(笑)工業高校では毎年のように外部にサッカー部は合宿に出かけた。合宿がある夏休みは、それなりに張り合いもあったものだ。

進学校のM高校の時は夏休みは補習、という日々だった。これが一番ありがたかった。授業をするのは全く苦ではないし、夏休みの半分くらいがつぶれるのだが、休息にもちょうど良かった。

こういう合間をぬって、海外に一人旅に出かけていた。アメリカやアフリカである。帰国後は必ず紀行文を記していた。それにかなり時間をさいたのだが、全く苦ではなかった。当時は元気だったなあと改めて思うのだった。

今年は、見事に始業式まで何も予定がない。猛暑の中、外にも出られない。早く2学期が始まればいいのにと思う日々である。

2024年7月27日土曜日

鳥瞰・基督各宗派の比較表 考

「鳥瞰するキリスト教の歴史ー宗派・教派の違いがわかるー」(岩城聰/ペレ出版)には、実に興味深い比較表が載っている。この表(左記画像:拡大可能)は、前述の文化比較の地理の教材として実に有用である。著者は、京大の哲学科に学んだ方であるので、私のような市井の高校教師が文句をつけることは実に僭越であるが、いくつか私の考えを述べ、自分の教材の作成に活かしたい。

●三大宗教の違いのキリスト教の信仰の創始者は、表面的にはイエスだが、実際にはパウロではないかという疑問符を私は持っている。ユダヤ教についても、祖先としてのアブラハムより、モーセの位置が重要に思われる。●西方キリスト教と東方正教の違いで、聖霊の発出がきちんと書かれていることは重要だと思うが、私は、聖母マリアの原罪の有無(カトリックでは、イエスと聖母マリアには原罪がないとし、正教会はイエスのみ)も重視したい。もう少し細かくなるが、典礼でカトリックは誕生祭を、正教会は復活祭をそれぞれ最重視しているところも重視したい。カトリックは柔軟で、正教会は硬直と言ってしまうのは言い過ぎだと思うし、第三者として、どちらが正しいなどと言う気は毛頭ない。

●カトリックと各プロテスタントの違いについて、まず表の並びについて、である。この表では、おそらく歴史的な視点でこう並んでいると思うが、私は自分の教材では、カトリックに「近い順」で、聖公会・ルター派・カルヴァン派という順に並べたい。

学院の宗教科の先生は、前述のように、ルター派が最も近いと言われていたが、それは聖公会がアングロ・カトリックとも呼ばれるハイ・チャーチから、カルヴァン派にかなり近いロー・チャーチまでの幅を持っているが故だと思う。聖職位の欄を見ると明らかだが、組織的にはカトリック同様の主教制を取っているし、カトリックと同じく聖職者は司祭(=神父)と呼ばれ、万人司祭制で牧師と呼ぶルター派・カルヴァン派とは明らかに一線を画しているからである。また、啓示の源泉についても、聖書を重んじるのは全ての宗派は同様だが、ルター派・カルヴァン派が聖書のみであるのに対して、カトリックは伝承、聖公会は伝統がそれぞれプラスされる。伝承と伝統は同じではないだろうが、ルター派・カルヴァン派とは大きく異なる。表にある聖公会の+理性に関しては、これまた聖公会内に幅がある。ハイ・チャーチなどは否定的であるからだ。聖餐論については、キリストの血と肉=ぶどう酒とパンの話であるが、ブディストである私には、かなりわかりにくいので割愛。

カルヴァン派の内容に深く入る前に、この表をもとにあらためて考察、整理してみた。とくに、プロテスタントで、ルター派と聖公会のどちらがカトリックに近いのかというのは、大きなテーマだった。私の比較表では、正教会ーカトリックー聖公会ールター派ーカルヴァン派という順でまとめることになるだろうと思う。

2024年7月26日金曜日

「キリスト教綱要を読む」

「カルヴァンの『キリスト教綱要』を読む」(渡辺信夫/新教出版社)を今、読んでいる。このところ、二学期に、世界の価値観調査(6月30日・7月1日付ブログ参照)をもとに各地域の文化について地理的な考察を行うので、キリスト教の各宗派の違いを比較研究しているわけだ。

カトリック、オーソドックス、ルター、聖公会ときて、いよいよカルヴァンなのである。カルヴァンの予定説は難解に見えて、M・ウェーバーの解説を用いると意外にわかりやすい。それ以外のカルヴァン神学について学ぼうというわけで、これも学院の図書館で借りてきた本である。何度も書くが、学院の図書館はこういうキリスト教の専門書が充実していてありがたい。

入門書と帯にあるのだが、なかなか深いところまで追求されていて読み切るのに、少し時間がかかるかもしれないが、重要な箇所はまたこのブログで整理・考察していこうと思っている。

2024年7月25日木曜日

アフリカのキリスト教

https://tripnote.jp/gambia/place-st-marys-church-gambia
「鳥瞰するキリスト教の歴史ー宗派・教派の違いがわかるー」(岩城聰/ペレ出版)には、「帝国主義列強による世界分割とキリスト教」、「アフリカ大陸の分割と植民地化」、そして「アフリカのキリスト教」と第10章で順に述べられている。ここでは、「アフリカのキリスト教」の記載をもとに考察を進めたい。

欧米列強の植民地化にキリスト教の宣教師が力を貸したことは否定できない、と著者は記している。探検家スタンレーは、当初イスラムに関心を示していたが、今やキリスト教に期待を抱いているウガンダの王のもとに、ミッションの来訪を呼びかけた。聖公会のロー・チャーチのCMSには、£12000もの巨額の募金が集まり、1877年にはザンジバル(現タンザニア)経由で最初の伝道隊が到着した。2年後にはナイル川を遡ってフランスのカトリックの布教団もやってきて、イスラムと三つ巴の布教合戦を繰り広げたという。

こういったキリスト教とイスラム教徒の拮抗は、多くの地域で見られる。ケニアでは、キリスト教徒が80%、イスラム教徒が11%、残りは土着の伝統宗教と言われている。私の大好きなケニア人(ルオー人)の故ピーター・オルワ氏も本人から聞いたわけではないが、ペテロの英語名であるのでキリスト教徒であることは間違いない。ただ、宗派は聞いていない。ケニアはイギリスの植民地だったし、聖公会の可能性は高いが、ロー・チャーチなのかハイ・チャーチなのか、あるはメソジストやバプティストの可能性もある。こういった詳細な各国の宗教事情の情報は極めて少ないので確かめようがないのである。ただ、旧宗主国の宗教がそれなりの勢力を維持しているだろうことは想像に固くない。(上記画像は、旧英領のガンビアにあるSt.Mary's Church:おそらく聖公会の教会だろうと思われる。)

第10章のコラムに、数千もの教派に分かれているアフリカの「独立教会」のことが記されている。アフリカの伝統や文化、霊性に基づいてアフリカで育った独特な教会群である。宣教師たちが列強の力を背景に聖書の内容を教条主義的に押し付け、アフリカの文化的伝統である精霊信仰を否定したことへの反発から生まれた教会群であるとも言える。

…ブルキナファソでは、ほぼキリスト教徒とイスラム教徒は半々で、墓地も両者の共同墓地を見た経験もある。もし、今の私だったら、もっと仔細に観察していただろうと思う。イスラム教徒の墓は、キブラ(メッカの方向)に、横に寝かされた頭部が向けられるはずなので、それをガイドのオマーン氏に確認していただろう。

…佐藤優氏の「サバイバル宗教論」によると、中世から近世の大学の神学部は、就業年数が16年くらいであったらしい。聖書の内容を一つづつ暗記・暗唱するのにそれくらいの年月が必要とされていたのである。これまで、カトリックやルター派や聖公会の教義比較や歴史をたどってきたが、そういう人々による神学論争であったことを鑑みると、アフリカでの宣教師が教条主義的であったことは、ある意味当然と思われるし、アフリカの伝統文化を多少知っている私としては、当然の反発と見ることも十分可能である。

2024年7月24日水曜日

英国国教会 鳥瞰的考察7

「鳥瞰するキリスト教の歴史ー宗派・教派の違いがわかるー」(岩城聰/ペレ出版)による聖公会(=英国国教会・アングリカン)の考察の第7回目は、聖公会から生まれたプロテスタント諸派、とりわけメソジストについて考察したいと思う。

名誉革命後のイギリスは立憲君主制の政治的安定と産業革命による繁栄を謳歌したが、経済的格差が拡大し、貧困層が増大し倫理的退廃が進んでいた。そこに現れたのがジョン・ウェスレーである。彼は炭鉱夫、製鉄工、機織、熟練職人、日雇い労働者などに野外や墓地で説教し、罪を悔い改め、キリストにあって生きる信仰を抱くあらゆる魂に完全で自由な救済が与えられるというメッセージを発信した。馬に乗って全国を巡り。その距離は35万キロ、50年間に4万回を超える説教をしたと伝えられている。最後まで聖公会の聖職者であった彼の行動は、聖公会に対抗するためではなく補完的行動であったようで、彼の組織した集会(救いを全うするために、共に信仰の力を求め、共に祈り、勧告の言葉を聴き、愛のうちに見守り合おうとして結ばれた人々の一団と位置づけられていた。)は、罪を犯した人を訓戒する組会、夜を徹して祈る祈祷会、年齢、性、職業の別による班会などが開かれた。

このメソジスト運動は、聖公会に覚醒をもたらした。福音主義者(エヴァンジェリカル)と呼ばれる回心を迫る伝道に力を入れる「ロー・チャーチ」(政治的には、保守的なトーリー党=後の保守党に対抗、ホイッグ党=後の自由党の立場をとった。)、彼らに対抗してオックスフォード運動と呼ばれる知識人の合理主義的神学批判が起こり、労働者階級の生活改善や社会問題にも目を向ける「ハイ・チャーチ=アングロ・カトリック」が生まれた。この両者のともすれば偏狭にさらに走りやすい傾向を排し、工業社会の現実や自然科学の発達に対して開かれた態度をとる「ブロード・チャーチ」(後の労働党につながる)といった党派が生まれ、三者が競合することでその後の宣教(特に英植民地への海外宣教)を進めることになる。

メソジストの歴史的な意義について、同じく学院図書館で借りてきた「イギリス・メソジズムにおける倫理と経済」(内海健寿/キリスト新聞社)には、M・ウェーバーからの引用と次のような考察を加えている。「モンテスキューは、イギリス人について言っている。彼らは三つの重要な事柄で世界のいかなる国民もおよばぬ進歩をとげた。信仰と商業と自由。この三者であると。彼らが営利活動の領域において卓越していたということは、彼らが政治上の自由な諸制度を作り上げていく資質をもっていたということもまた、信仰の最高記録との関連を持つ。」だとすれば、さらに彼らイギリス人が、特にイギリス労働者階級が、メソジズムを受容し、展開していったことにおいても、彼らの信仰の最高記録と親密な関連をもつといわなければならないだろう。

…ここで言われているのは、メソジスト運動が、エンクロージャーで自由な賃金労働者として都市に流れ着いた人々の信仰と倫理(教育といっったほうが適切かもしれない。)を向上させ、労働運動を成立させ、やがてチャーチスト運動において選挙権を獲得させていく歴史的意義を述べていると思われる。もちろん、後発のブロードチャーチ等も大きな意義を持っているだろうが、ジョン・ウェスレーは、まさに”プリマ・ペンギーノ”(最初に海に飛び込むペンギン:先駆者)であったというわけだ。 

2024年7月23日火曜日

拓郎の隠れた名曲

https://omimi.biz/products/detail/2331
ふと「♪どれだけ歩いたのか覚えていません」というフレーズが脳裏に浮かんだ。拓郎の曲であると思っていたが、曲名が思い出せない。調べてみたら「今はまだ人生を語らず」というLPにある「明日の前に」という曲だった。

https://www.youtube.com/watch?v=4HE8Y0YK744

LPのタイトル(今はまだ人生を語らずという曲はこちらより有名)とは大きな矛盾だが、人生を語った曲だ。作詞・作曲ともに吉田拓郎。長い歌詞なので以下にURLを貼っておく。

https://www.uta-net.com/song/78593/

あーあ人生は、流れ星。そして一人芝居、浮浪雲。あーあ人生はめぐりめぐる、いつ安らぐのかも夢の彼方へ。いい。じつにいい。この無常観。

先日の秋田商業と学園の野球の試合を見てから、どうも感傷的になっている気がする。秋田商業のO先生や学園の教え子諸君の心境を想うとつらい。いつも前向きに生きてきた私だが、時には痛みを感じ振り返ることもある。それがまた人生の一面なのだと想う。

この曲、拓郎の隠れた名曲だなと想う。歳をとってからわかった。(笑)

2024年7月22日月曜日

学園野球部さらなる ”高み”を

https://vk.sportsbull.jp/koshien/hyogo/
学園の野球部のベスト8を賭けた戦いは、13・35から始まった。前の試合が長引いたようだ。相手はこのところ甲子園には出ていないが、かなり有名な強豪校である。(学園も甲子園に出場経験のある古豪ではあるが…。)ベスト8の壁はかなり厚く、昨年もこのベスト16止まりだったはずだ。スクールカラーのエンジの横断幕にある「高みをめざせ」の”高み”はまさに、今日の勝利だった。

昨日の秋田商業の試合は、打って、走って、きわどいプレーの連続で、紙一重の差で負けてしまったような凄い試合だった。応援している私も疲れ切ったのだが、今日の学園の試合は、反対に投手戦で淡々と進んだ。エースのT君もいいピッチングだったが、相手校もいいピッチングで、少ないチャンスをものにした相手校が盗塁やらバントやらスクイズで得点した。この試合もまさに紙一重の試合だったのである。
これで、3年生は引退となる。昨年、1組の中心で私の授業を支えてくれたS君は今年の主将を務め、今日は貴重なヒットを打った。同じく2組の中心で授業を盛り上げてくれたTくんもいいプレーを再三見せてくれた。もちろんこの2人だけではない。レギュラ―だけでなく、学園野球部3年生全員に大拍手を贈りたい。青春の一区切りは、今日で間違いないが、これから進学へ向けて文武両道の学園生は舵を切らざるを得ない。頑張ってくれた昨年の先輩を超え、さらなる”高み”を目指してほしいと思う。

2024年7月21日日曜日

秋田商、決勝で涙をのむ。

https://vk.sportsbull.jp/koshien/akita/
旧知のO監督が指揮を撮る秋田商業高校野球部が、最後の最後まであきらめずに決勝戦を戦った。1点差で九回表、満塁の大チャンスを得ながら、あと一歩で涙をのんだ。凄い熱戦、ヒリヒリする試合だった。


秋田商業が勝てば、久しぶりに甲子園に応援に行ける事を楽しみに、ずっとLIVE配信を見ていたのだった。

何度かO先生の表情も映っていたが、少し歳をとったなあという印象。(当然それ以上に私もだが…。)甲子園に来たら必ず応援に行くという、2011年3月東北大震災直後での邂逅時の約束は、これからもO先生が監督を続ける限り生きていく。

素晴らしい粘りを見せてくれた秋田商業高校野球部、これからも応援しているよ。感動をありがとう。

2024年7月19日金曜日

英国国教会 鳥瞰的考察6

https://www.olivetree.com/store
/product.php?productid=42289
「鳥瞰するキリスト教の歴史ー宗派・教派の違いがわかるー」(岩城聰/ペレ出版)による聖公会(=英国国教会・アングリカン)の考察の第6回目である。

…私は、今ふと、WWⅡ後の中国共産党の歴史である「紅」と「専」を繰り返した”揺れ”を想起している。「紅」とは、毛沢東が権力を握り、社会主義イデオロギーに忠実な時期、「専」は経済復興のために資本主義的な政策を取り入れた時期のことである。大躍進や文革の元凶だった毛沢東と、首相としてなんとか舵取りを続けた周恩来両名の死で、鄧小平中心の「専」が根づき、現在の系譜となっている。ピューリタン革命は、まさに中国で言えば最も「紅」的な時期(イギリスの宗教革命では、最も改革派的な時期)である。国教会の中心である国王を処刑し共和制に進んだ時期だからだ。

内乱中の1643年、ウエストミンスター会議で教皇制や主教制を廃止し、長老制が承認された。現在も長老派の綱領的文書となっている「ウエストミンスター信仰告白」(画像参照)が作成された。この宗教的個人主義は、後のアメリカ独立やフランス革命に大きな影響を与えたが、宗教的分裂へ発展することは避けられなかったし、国民の多くは、国王処刑後、国王を殉教者として扱い、追慕の情を持つ者も多かった。これは処刑数日後に『エイコン・パシリク(王の像)』という書物が出版され、飛ぶように売れたことが証明している。よって、1658年、護国卿として神権政治を行ったオリヴァー・クロムウェルが死去すると、1600年議会は、チャールズ1世の息子チャールズ2世の復位を認め、そらに2年後には祈祷書による礼拝が復活するのである。とはいえ、前述のロード主義ではなく、エリザベス1世時の「ヴィア・メディア」に戻ることを選んだのである。この後、前述の第五祈祷書が制定される。…「紅」から緩やかな「専」に戻った感じである。1689年には「寛容法」成立で、反国教会的教派も活動の自由を獲得したのだが…。

しかし、チャールズ2世はカトリック的傾向があり、フランスの軍事力を借りて、カトリックに戻そうと動き、国民の不信感が深まる中、死去した。後を継いだジェームズ2世は、さらに露骨にカトリックの登用、カトリック修道院の再建を始めた。これに危機感を抱いた教会と政界の指導者がいわゆる名誉革命を起こすのである。この両王の時代は、行き過ぎた「専」の時代だといえる。名誉革命については、いろいろと調べると面白いのだが、とにかく、オランダのウィレム公と、妻でスチュアート朝の血を引くメアリー夫妻が共同統治者として迎え入れられ、「権利の章典」に署名するのでる。彼らは、ゴイセン(オランダの長老派)であるが、「君臨すれども統治せず」の聖公会のトップとして、これ以上の混乱を避けた、というより、外交戦と戦争に忙しく、クロムウェルに続き、アイルランドの征服と少数派のプロテスタントがカトリックを支配する体制を作り上げた以外には、国内の宗教政策にはあまり関与していない。

…まさにジグザグに、「紅」と「専」が繰り返され、カトリック、聖公会、改革派・長老派の揺れの中で、ある時は大きく、ある時は小さめに行ったり来たりの宗教改革であったわけだ。この後、分離派(聖公会から分離を目指す意)と呼ばれる人々は、アメリカに渡り、(カトリック的な)聖公会を忌み嫌うカルヴァン派の長老派、会衆派を植民地の様々なに形成する。またクウェーカーなども海を渡る。(ペンシルベニア州の名の由来であるウィリアム・ペンはクウェーカー教徒で、宗教的な自由を植民地のモットーとしたので、アーミッシュなどの様々な少数派も入職していく。)同時に、長老派だが、聖公会の中で改革を続けようという(分離派に対しての)改革派の人々も生まれる。メソジストの祖・ジョン・ウェスレーは聖公会の司祭の地位を貫いた。後、メソジストの多くははアメリカに渡り一大勢力となる。イギリス本国より、アメリカの方が信仰心が篤いと言われるが、中道的な聖公会に満足できない人々がそもそも多かったから、また初期のバージニア王朝と言われる人々がジェファーソンを中心に、彼らが信仰していたにも関わらず聖公会をあえて国教としなかかったことと、信仰の自由を高らかに謳いあげたことも大きいだろう。

…血で血を洗うような聖公会の宗教改革史であるが、新約の使徒行伝を読むと、迫害を受け、殉教した使徒が多い。意外と処刑された人々は、カトリック、聖公会、プロテスタントを問わず、そんな自分の運命を呪うのではなく、神の恩寵だと確信していたのではないかと思う。自画自賛すぎるかもしれないが、こういう感想を最後に述べているブディストの私も、だいぶキリスト教の学びが深まってきているような気がするのだった。

2024年7月18日木曜日

英国国教会 鳥瞰的考察5

https://ameblo.jp/rumikoflowers
london/entry-12143631532.html
「鳥瞰するキリスト教の歴史ー宗派・教派の違いがわかるー」(岩城聰/ペレ出版)による聖公会(=英国国教会・アングリカン)の考察の第5回目。中道を貫いたエリザベス1世の後半は、ピューリタン対国教会という姿をとる。ピューリタン(清教徒)とは、本来はプロテスタント急進派に対する蔑称で、国教会内の反体制派、長老派、会衆派などの呼称として用いられ、やがてカルヴァン派である長老派・会衆派(教会の運営面での相違)だけでなく、バプティストやクェーカーなどの分離主義者(国教会からの分離を目指す)も含めて、国教会に反対するプロテスタント全般に用いられるようになった。

1570年に、トマス・カーライトが「使徒行伝講義」で主教制を否定、長老主義的立場を唱え、著者不明の「議会への勧告」では、主教制の否定、陪餐時の跪拝(ひざまずくこと)の禁止、結婚式時の指輪の使用などを非聖書的であると廃止を呼びかけたり、教区会制度の枠組みの中で長老制の教会制度(クラシス)を確立しようとしたり、聖書釈義集会という情宣活動の場を生み出したりした。エリザベス1世は、この聖書釈義集会の禁止、説教者の削減を命じた。しかし、改革派に共感していたカンタベリー大主教(画像はカンタベリー大聖堂のステンドガラス:カトリック的である。)・グリンダルはこれを拒否、職務停止される。1589年には、ロバート・ブラウンが、国家との一切の絆を断ち切った宗教改革を主張するのだが、同年、リチャード・パンクロフト(後のカンタベリー大主教)が長老主義批判・主教制擁護の論陣を貼る。そんな中、1603年にエリザベス1世は逝去。王位継承権を持っていたスコットランドのスチュアート家のジェームズ1世が王位を継ぐことになる。
https://walk.happily.nagoya/early-modern-britain/james-i-vi_monarch-of-england-wales-sc
ジェームズ1世(画像左)は、スコットランドの長老派(プレスビテリアン)で育てられたものの、母(メアリー・スチュアート:1587年反逆罪でエリザベス1世によって処刑された。)はカトリックで、双方の影響を受けていた。とはいえ、国王になったジェームズ1世は、国教会とピューリタンの代表者会談を実現させたが、「主教なければ国王なし」という宣言、プロテスタントの失望を買い、対立はさらに深まった。ところで、ジェームズ1世は、1603年の即位後すぐに、欽定訳聖書の編纂を命じ、近代英語の形成に大きな影響を与えた。
このジェームズ1世とその息子のチャールズ1世(画像右)時代に、反ピューリタン政策を推し進めたのは、ウィリアム・ロードで、1628年ロンドン主教ならびにオックスフォード大学総長(カルヴァン派の影響が強かったが、それを払拭した。)となる。しかし、同年、かの「権利の請願」が議会に提出された。チャールズ1世は議会を解散し、ロードらの寵臣政治を進め、カンタベリー大主教となったロードは、1638年、スコットランドにも彼の政策を押し付けようとし反乱を招き敗北、議会が再開されると、ロードはロンドン塔に監禁され1640年処刑される。(ちなみに、これまでに登場したヘンリー8世時代のトマス・クランマー、トマス・クロムウェルなどもロンドン塔で処刑されている。これは、まさに一部で、長きにわたり、時の宗教情勢によって処刑された聖職者や信徒は膨大な数にのぼる。)ピューリタン革命によって、1645年チャールズ1世は処刑されるのだが、これは次回…。

学園野球部ベスト16進出

https://vk.sportsbull.jp/koshien/hyogo/live/?movie_id=koya106_live_hyogo_sun_takasago
高砂までは遠く、そして暑いので結局バーチャルのLIVEを見て応援していた。大谷翔平選手が、「ヒリヒリするような戦いがしたい。」とエンゼルス時代に言っていたが、今日の試合は、まさにヒリヒリするような試合だったと私は思うのだ。上の画像は、勝利して校歌を歌っている学園野球部。泥だらけの選手が多い。

最初から、ヒリヒリした。1回表に、まさかの2点を先取された。信頼できるエースのT君が投げていたのだが…。とはいえ、すぐ裏に同点にした。2回は急に相手のエースの調子が狂い、ショートが投げたが2点を入れ逆転。質実剛健の学園に対して、相手校はピンチでもよく葉を見せて笑うのが印象的だった。野球を楽しんでいる感じである。このまま行くと思われたが、5回に同点にされた。さらに6回表に逆転されたが、その裏に再逆転。しかし7回にはまた同点にされた。この試合の最大のポイントは、8回表のノーアウトのピンチに、バントのキャッチャーフライを取りダブルプレーを取った時のように私は思う。その裏に走塁を生かした攻撃が功を奏し3点入れて、なんとか勝ったのだった。背番号6ながら、最後をきっちり抑えたT君にも拍手である。よく頑張ってくれた。

ちなみに、学園の応援席に、昨年度のキャプテンが来てくれていたのが見えた。昨年度も彼がャッチャーフライを取ることで一気に勝利を引き寄せたのを思い出した。

20日以降に5回戦が行われるようだ。現時点ではどこで、どの高校と対戦するかという抽選結果は未定。尼崎の球場も開催地に入っているので、もしかしたら…と、ちょっと楽しみである。

2024年7月17日水曜日

英国国教会 鳥瞰的考察4

https://saintmarks.org/2023/12/a-forum-on-the-book-of-common-prayer/
「鳥瞰するキリスト教の歴史ー宗派・教派の違いがわかるー」(岩城聰/ペレ出版)による聖公会(=英国国教会・アングリカン)の考察の第4回目。著者は、聖公会の宗教改革の大きな特徴として、「提題」(ルターの95箇条の提題が有名。提題とは命題を提起すること/主張)や「信仰箇条」(1563年のエリザベス1世の信仰箇条が有名。教会が認める信仰、信仰告白、中心的教義を箇条書きにまとめたもの)同士のぶつけ合いや論争によってではなく、礼拝時に用いる「祈祷書」によって、神学者や聖職者だけでなく、一般信徒も巻き込んで改革が進められたことだとしている。

ちなみに、エリザベス1世の信仰箇条とは、カンタベリー大主教に任命したマシュー・パーカーが42箇条のラテン語版を主教会議に提出したが、議会(上院と下院)が39箇条に改正して承認された。英語版が出版されたのは、1571年。ルター派のアウグスブルグ信仰告白や、ツヴィングリ・ブリンガー・カルヴァンなどの影響を受けている。ただ祈祷書と職制に関しては、彼らとは解釈が異なる。つまり、聖公会の他のプロテスタントとの相違は、この”祈祷書と職制”であると見て取れる。

さて、その「祈祷書」は、前述のようにエドワード6世時代・シーモアの主導で、1549年の「礼拝統一法」が議会で可決され、当時のカンタベリー大主教・クランマーが編纂した祈祷書(第一祈祷書)が使用されることになった。クランマーは、序文の中で、祈祷書の原則について、①聖書に基づいていること。②原始教会の慣行に合致していること。③国内における礼拝の統一を目指すもの礼拝であること。④民衆の利益になるものであることを挙げている。

さらにシーモアを失脚させたダドリー主導で、1552年、議会は「第二礼拝統一法」・「第二祈祷書」を可決、さらにプロテスタント的な方向へ宗教改革を推し進める。カトリックの慣習、動作、服装、装飾は極力取り除かれ、礼拝の際に着用する祭服も簡素化された。この時は礼拝への参加の義務化、違反者には厳しい罰則が課された思想統制ともいえるデメリットもあったが、英語による礼拝と聖書に基づく信仰を広め、実質的な宗教改革を推し進めたというメリットもあった。さて、この第二祈祷書は、その後多少の改定があり、現在も使われている第五祈祷書(1662年)におよぶのだが、その土台となっている。

少し調べてみた。祈祷書とは、祈祷、礼拝、儀式における手順を示した規則書で、誕生・洗礼・婚姻・葬儀まで、また日々の起床から就寝までの公的・私的の信仰生活について書かれている。この1冊だけを用いるのが聖公会の大きな特徴である。ところで、第一祈祷書では、ラテン語によるミサに、英語によるこの祈祷書の内容がが追加されていたようだ。

エリザベス1世は、1559年に祈祷書を新しくしている。カトリックへの歩み寄りが見られる祈祷書で、①祝祭日を典礼暦に追加、②教皇のための祈りを削除、③聖職にたいして伝統的な式服を着用、などの変化があった。①の典礼歴というのは、キリスト教の暦のことで、カトリックではかなりの数の記念日がある。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E4%BC%9A%E6%9A%A6

先日、学院の宗教科の先生が、ルター派がカトリックに最も近いと言われていたことを記したが、ルター派は、カトリックの典礼暦をほぼ守っているようである。カルヴァン派にはこの典礼暦を否定する宗派も多いのだが、聖公会はルター派と同じくらいの記念日を設けている。

第五祈祷書(1662年)は、司祭12名が集まり見直しを討議したが結局まとまらず、議会にて、第一祈祷書から600点におよぶ改定が行われた。著者が、この祈祷書は、”一般信徒も巻き込んで改革が進められた”としているのは、この議会での討議を指すのであろうと私は思う。たしかに、興味深い特徴だ。

なお、聖公会のもうひとつのプロテスタントとの相違である”職制”は、主教(聖公会と正教会に存在する)、司祭(聖公会とカトリック、正教会に存在。聖公会でも神父と呼ぶ。)、執事(カトリックの助祭に近い)という三段階で、プロテスタントの”職制”とは大きな相違がある。

2024年7月16日火曜日

学園野球部をバーチャルで応援

https://vk.sportsbull.jp/koshien/hyogo/
最近はネッドのLIVE配信で、野球やサッカーの応援ができる。今日の10:00からの学園の野球部の第三回戦の試合は、結局バーチャルで応援することになった。2年間通い続けた三田までの道のりは、いざ行こうと思うと、さすがに躊躇してしまうのだった。この1学期間でそんな感覚が根付いてしまった。

https://vk.sportsbull.jp/koshien/hyogo/
スコアボードには、昨年教えた懐かしい名前が並んでいた。これは7回を終わった時点で、エース登場の後である。ここまでは、3回にランニングホールムランが出て若干のリード状態。チャンスは度々あったのだが、あと1本が出なかった。この後、8回と9回に2点ずつ追加して、結局6-0で勝利した。まだまだ、これからだが、古豪、頑張って欲しい。ベスト16を賭けた次の試合は、18日13:00、高砂球場である。…姫路と明石の間にある。…うーん。遠い。

英国国教会 鳥瞰的考察3

https://www.japanjournals.com/feature/holiday/11449-burghley-house.html
「鳥瞰するキリスト教の歴史ー宗派・教派の違いがわかるー」(岩城聰/ペレ出版)による聖公会(=英国国教会・アングリカン)の考察の第3回目。エドワード6世の後を継いだメアリー1世(再びローマ・カトリック教に復帰し、数百人におよぶ改革派信徒と聖職者が処刑し、”ブラッド・メアリー”と呼ばれる)が短期間の在位後崩御して、1558年、エリザベス1世が王位につく。この頃のイングランドの宗教事情は極めて不安定であった。

宗教的には3つのグループに分かれ対立していた。①ローマに復帰という点でメアリーを支持し、実権を握っていた人々。②改革派の立場に立ち職位を剥奪され海外に亡命していた人々。③ローマにもジュネーブにも追随することを望まず、古代教会の普遍性を維持しつつ、中世教会の悪弊を克服した改革を望む人々。エリザベス1世は用心深く態度を明確にしなかった。

やがて、エリザベス1世が選択したのは、カトリックと改革派の両極を排した第三の方向(ヴィア・メディア=中間の道)であった。これが、「エリザベスの宗教解決」と呼ばれる道である。ウィリアム・セシル(画像参照)という穏健な改革派を国務大臣に選び、改革派のマシュー・パーカーをカンタベリー大主教に任命した。メアリ1世の時代に戻らないことを明確にしたのである。流血の惨事を嫌悪していた多くの国民にとっては安心のできる方向であった。

この「宗教解決」の道を神学的に支えたのは、リチャード・フッカーで「教会政治理法論」を著した。聖公会も聖書をもって最高の権威とする点では他のプロテスタント教会と変わらないとしながらも、改革派の聖書至上主義に対して理性と教会の伝統を強調した。神の啓示は聖書とともに自然をも通じて与えられ、人間は神が与えてくれた理性(神の恵みによる)をもって「理性の法(自然の法)」にうかがえる神の意志を知りうる。そして啓示こそが理性を完成すると主張した。聖書に直接啓示されていない事柄については、神から与えられた理性によって定めることができるとした。また、聖公会の統治形態と聖職制度は、聖書が示す神の法にも、人間が理性によって知りうる「自然の法」にももとらず、初代教会の教父たちの合意によって根拠付けられているとし、主教制を擁護した。

…かなり社会契約論のジョン・ロックを想起させる論だが、ロックよりリチャード・フッカーの方が早い。イギリス経験主義を形成する大きな支柱的存在と見て取れるのだが…。

2024年7月15日月曜日

英国国教会 鳥瞰的考察2

https://walk.happily.nagoya/early-modern-britain
/edward-vi_monarch-of-england-wales-and-ireland/
「鳥瞰するキリスト教の歴史ー宗派・教派の違いがわかるー」(岩城聰/ペレ出版)による聖公会(=英国国教会・アングリカン)の考察の続きである。歴史の教科書では、「国王至上法」成立の時点(1534年)で、聖公会が成立したように描かれるが、この時点では、「教皇抜きのカトリック」で、信仰面や教会の礼拝には手がつけられていない。

ヘンリー8世時代の改革で注目すべきは、閣僚で議会を主導したトマス・クロムウェルが修道院(ローマ教皇庁の収入の源泉)の財産を遮断(経済面での国王の権力強化に繋がった。)、さらに「上告禁止法」(聖職者がローマ教皇裁判所へ上訴することを禁止する法)をそれぞれ議会で立法化し、前述の「国王至上法」(国王をイングランドにおける教会の「地上における唯一至高の首長」との宣言)を成立させた。

教会の立場から、ヘンリー8世を支えたのが、トマス・クランマーである。1533年にカンタベリー大主教となった彼は、国王の離婚を認め、アン・プ―リンとの結婚を公式に認めた。彼は、教会に英訳の(大きく完全な)聖書を誰にでも読める場所に設置することを、国王公認の下進めた。これで、教区民は誰でも聖書に接する機会を得、大きな反響を読んだ。この聖書の英訳事業は、その寸前まで異端行為で、実際翻訳事業に携わったティングルが火刑になった3年後である。この聖書の件は、ルター・カルヴァンの宗教改革の流れの中にあるといえるだろう。

ヘンリー8世の死後、唯一の男子王位継承者エドワード6世(画像参照)が9才で即位した。その生母ジェーン・シーモア(彼女はアン・プ―リンの侍女で、3番めの妻だが産褥死している。ちなみにカトリック教徒だった。)の一族エドワード・シーモアが護国卿(摂政)となって実権を握る。彼の失脚後はジョン・ダドリーにが実権を握った。彼らはカルヴァン派の改革派で、シーモアは「礼拝統一法(1549年:カンタベリー大司教クランマー主導の共通祈祷書をイングランド唯一の祈祷書とした。多分にカルヴァン的で西部のカトリック教徒の反乱が起こった。)」を制定した。エドワード6世が改革派の信仰を強めていたこともあり、シーモアよりは改革派的でないと思われていたダドリーだが、枢密院の命令として聖像破壊、保守派の聖職者の追放と改革派の登用を進め、1553年にはルター派が用いるアウグスブルグ信仰告白をもとに42信仰箇条を制定した。この信仰箇条は、後のエリザベス1世時代の39信仰箇条に引き継がれ、聖公会の基礎になっている。

と、エドワード6世時代には、一気に聖公会は改革派的になるのだが、肝心のエドワード6世が15才で崩御してしまう。カザリンの娘、バリバリのカトリック教徒で、父・ヘンリー8世を恨むメアリ1世が即位して大転換することになる。

2024年7月14日日曜日

寅氏、銃撃さる。

https://www.bbc.com/japanese/articles/cjr4w4ljpneo
ペンシルベニア州で、寅氏が銃撃された。耳の上を負傷したようだが、軽症で済んだようである。共和党員の若い男が犯人で、SSに制圧されたが、一般人も巻き添えになったようだ。百数十m離れた会場外の屋根の上からの狙撃だという情報もある。

世界の首脳の反応は暴力否定で統一されているが、このところキリスト教神学の本を読みまくっている私は、(軽症で済んだという)この奇跡的な出来事を、神の業、あるい神の恵みと感じている人が多いのではないかと思う。ちなみに、寅氏はプレスビテリアンだと言われている。スコットランドのカルヴァン派(=長老派)である。この奇跡は、アメリカ国内のキリスト者に大きな影響を与えるだろうと私は思うのだが…。

2024年7月13日土曜日

英国国教会 鳥瞰的考察1

https://blog-imgs-30.fc2.com/y/o/s/yosukenaito/20090624174941d1d.jpg
月イチの通院の日であった。学園の野球部の二回戦(初戦)が神戸市の”ほっともっとフィールド神戸”であったので、応援に行くかどうか大いに迷っていたのだが、時間的にかなりギリギリなので遠慮した。結果は8-0で7回コールド勝ちだった。3回戦は、16日の10:00試合開始で、昨年応援に行った三田市の球場で行われる。かなり微妙な時間帯である。うーん、悩むところである。ちなみに、大阪予選では、H高校は強豪私立高校に負けてしまった。秋田商業はコールド勝ちであった。悲喜こもごもである。

さて、本題。病院の待ち時間に、「鳥瞰するキリスト教の歴史ー宗派・教派の違いがわかるー」(岩城聰/ペレ出版)のうち、聖公会(=英国国教会・アングリカン)の歴史の部分をずっと読んでいた。

世界史では、ヘンリー8世は、スペイン王家のカザリンと離婚したいがために聖公会を立ち上げたことになっており、後に6回結婚し、肥満で利己的で無慈悲(重臣をだいぶ処刑している)な王というイメージが強い。しかし、この本によると、興味深い事実が書かれていた。本日は、まずそのことを記しておきたいと思う。

ヘンリー8世は、ヘンリー7世の次男である。長男のアーサーが、カザリンと婚約(アーサー2才・カザリン0才)し、紆余曲折の後、結婚式を挙げた(15才と13才)、しかし婚儀の20週後に突然死去した。兄の葬儀の時点で10才だったヘンリー8世は、14才になり結婚が可能となったが、抵抗したそうだ。そもそも教会法では、旧約のレビ記18章10節「兄弟の妻を犯してはならない。兄弟を辱めることになるからである。」とあり、禁止されていた。よって、ヘンリー8世は、(自分の結婚の)無効をローマ教皇に申し出ている。しかし、当時の教皇クレメンス7世は、スペイン軍にローマを占領され、スペイン王・カール5世(カザリンはカール5世の叔母にあたる)の監視下におかれており、無効の宣言は出なかった、というわけだ。そこで、権威による離婚成立を諦めたヘンリー8世は、カトリックからの独立(=宗教改革)へと動くことになる。

ところで、この人は実は熱心なカトリック教徒で、ルターの宗教改革に対し、「七つの秘跡の擁護」を著し、批判の先鋒となっていた。その功績から教皇レオ10世より「信仰の擁護者」という称号を贈られており、破門された後も歴代イギリス国王の正式な称号の1つとなっている。

と、いうわけで、聖公会の最初の姿は、離婚を認めるカトリックといったところなのだが、ここから複雑に変化していくのである。…つづく。

2024年7月12日金曜日

「鳥瞰するキリスト教の歴史」

ルター本2冊を返却して、またまた学院の図書館でキリスト教関係の本を借りてきた。地理総合で、キリスト教内の価値観の相違を教えるための教材研究の一環であるから、今度は聖公会(英国国教会=アングリカン)のことを調べたかったのであるが、ずばり聖公会の本というのはなかった。そこで、「鳥瞰するキリスト教の歴史ー宗派・教派の違いがわかるー」(岩城聰/ペレ出版)を選んだ。はからずも著者は京大の哲学科から聖公会の司祭になっている人物である。内容は、かなりの広範囲に及ぶが、ここらで再確認しておくのもいいと思う。

ところで、今日から来週の金曜日まで、時間割や行事の関係で登校する機会がない。まるまる1週間空いてしまい、授業計画上は困るのだが、教材研究・自宅研鑽というにはふさわしい時間が生まれた。成績処理の疲労感も薄れてきたことだし、さあ、読むぞという気持ちである。フィールドは、もちろん、このブログ上になる。

2024年7月11日木曜日

ルターにおける”つまずきの石”

http://jun-gloriosa.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-f152.html
「ルターにおける聖書と神学」(上智大学キリスト教文化研究所編/リトン)の書評続編。鈴木浩氏の「ルターにおける”つまずきの石”と”神学的突破”」について。この”つまずきの石”とは、ヴィッテンベルク大学進学部での旧約の詩篇講義31編で大きくつまずいた事を意味する。理解不能に陥ってしまったテキストとは、ラテン語で"In iustitia tua libera me"(あたなの義によって私を開放してください。)という一文。

詩篇は、ヤハウェへの讃歌なのだが、ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語などの訳があり、日本では漢訳からの引用もあるようで、この文言が詩篇31のどこにあるのか調べたがわからず、私自身がつまずいた。(笑)グレゴリオ聖歌にも挿入されているようだ。https://note.com/efi/n/nb1ef696f81ab

ルターは、この「神の義」の意味を徹底的に考察し、信仰義認論の神学を確立していくのだが、講演者の鈴木浩氏は、その前に自己の”つまずきの石”について語っており、そこが実に興味深い。

マルコ福音書(6章45-52節)でイエスが弟子たちを強いて船に乗せた話で、(イエスは湖を歩いて)「そばを通り過ぎようとされた」とある。(逆風で漕ぎ悩んでいる)弟子たちを助けに来たのに通り過ぎたことを不思議に感じた鈴木浩氏は、他の福音書を調べた。

ルカにはなく、マタイにもヨハネ(ヨハネにはあまりこういう物語の記述は少ない)にもあるが「通り過ぎようとされた」という記述がない。マルコが最も古いとされるので、他の福音書は全文を削除(ルカ)またはこの一文を削除(マタイとヨハネ)したのではないかと、新約の聖書学は専門ではないが、と前置きして鈴木浩氏は推測している。

しかし、旧約の列王記上(19章11節-12節)で(預言者)エリヤの前に神が出現する箇所を読んで驚いた。「主はそこを出て山の中で主の前に立ちなさいと言われた。見よ、その時主が通り過ぎて行かれた。」さらに出エジプト記で、モーセに対する神出現のシーンでは、「また言われた。あなたは私の顔を見ることはできない。人は私を見て、なお生きていることはできないからである。(中略)わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたを岩の裂け目に入れ、わたしが通り過ぎるまでわたしの手であなたを覆う。(中略)あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見えない。」…マルコ福音書の湖上を歩き通り過ぎたイエスの行為は、まさに”神として”顕現したことを示していたわけである。

さて、本題に戻り「神の義」である。ルターは、神の義を善には善、悪には悪を報いるという能動的なものと考えていたが、コペルニクス的転回によって、憐れみ深い神が我々を信仰によって義としてくださるという受動的な捉え方をすることによって、神の義とは罪人を裁く義(正義)ではなく、神が信仰を通じて罪人に与えてくださる義であると確信した。これまで自らを罪人として人一倍苦しんできたルターは、神の義を最も甘美な言葉として受け止め、信仰義認論(聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ)の神学を打ち立てていくのである。

鈴木浩氏は、神は確かに十字架の上のイエスの姿に啓示されているが、そこにあるのはナザレ出身の大工の惨めな姿でしかない。人間の理性が考える神はそこを見ることができない。だからルターは”神は十字架の上に啓示されていると同時に隠されている”と言い、そこに見えるのは”神の背面、つまり背中”である、神は”通り過ぎて””背中しか”見せないのだと記している。なかなか興味深い指摘ではないか。

本日の画像は、ルターと関係が直接あるわけではないが、ドイツ・ベルリンにあるStolperstein=”つまずきの石”。ホロコーストの犠牲者を痛み、そして忘れないためのモニュメントである。

2024年7月10日水曜日

ルターの二王国(統治)論

私は、正直なところルターという人物には違和感を持っている。極めて現代人的な発想から、ドイツ農民戦争では最初は支援し、後に迫害する側についたことと、その言動の容赦がいないことである。ルターは「強盗・殺人的農民に対して」と題する冊子の中で、「反逆者ほど悪魔的になり得るものはいないのだから、かまわず刺殺し、打ち殺せばよい。狂犬は殺さなければならない。それと同じようにやればよい。」と書いた。その後、領主によって10万人以上が虐殺された。政治支配者の庇護を受けていたルターであるから忖度したのかもしれないが、以後のルター派が政治権力に対し受動的であるという伝統が、ナチス支配につながったという批判がある。

このような政治権力との関係は、「二王国(統治)論」として展開された。神は、教会と国家という2つの権威領域を設定したという論で、どちらも神の意志によるものであるから人間はどちらにも従順でなければならないと説いたのである。まあ、中世的な思考を乗り越えることができなかったわけである。そもそも、人権という概念…、権利の章典の100年前、フランス人権宣言の200年前の話であるから仕方ないといえばそれまでだが…。

このことに対してルター批判を最初に行ったのは、カール・バルトだが、晩年に、この問題について”より包容力のある理解ができた”として、ルターの言わんとしたことが、そんなに簡単なものではないと記されている。この講義者の内藤氏もかなり複雑な問題だとしているのだが、この二王国(統治)論は、「この世の権威について、人はどの程度まで服従の義務があるのか」(1523年)というルターの書に「全ての人間を2つの部分に分かたねばならない。第一は神の国に属する者、第二はこの世の国に属する者である。それ故神は2つの統治を定め給うた。キリストのもとで聖霊によって、キリスト者すなわち信仰深い人を作る霊的統治と、キリスト者でない者や悪人を抑制して、欲しようは欲しまいが外的に平和を保ち、平穏であるようにするこの世の統治である。」としている。

その根拠の聖句として、「キリスト者はお互いの間で、自分たち自身のためには法も剣も必要としないが」(ローマ13章)「真のキリスト者は地上にあっては、自分自身のためではなく、隣人のために生き、隣人のために生きるのであるから、自分では必要としないが、隣人には有用であり、必要であることをも、おのが霊の本性に従って行うのである。」(第1ペテロ2章)を挙げている。

内藤氏によると、ルターは、卓上語録(食事中の会話を記録したもの)で、「政府は神の設けられたものではあるが、神は不徳や非行を罰する権利を保留していたもう。従ってこの世の統治者が、もしも貧しい市民たちの財産を高利貸しや悪質な管理によって浪費したり破産させてたりしているならば、大いに叱責すべきである。しかし、説教者がこまごまとパンや食肉の値段を取り決めたりすることは適当ではない。」と述べているらしい。

…この二王国(統治)論は、以前社会学的な見地で、法人たる政府を、教会が後ろ盾として認知しているという、欧米各国のモデルを想起させる。各宗派で差があるが、およそこの法則性は未だに存在すると私は思っている。だが、やっぱり、私はルターの卓上語録の言を聞いても、もうひとつピンとこないのである。さらに違和感のみが増幅してきたのだった。

2024年7月9日火曜日

ルターにおける聖書と神学

学院の図書館で、ルターに関する本をもう一冊借りていた。「ルターにおける聖書と神学」(上智大学キリスト教文化研究所編/リトン)である。2015年に行われた聖書講座の内容をまとめた本である。上智大学はカトリックの大学だが、ルターについても研究されていて、1560年に刊行され装丁は1674年という、ルター訳の聖書(旧約・新約聖書)を日本国内で唯一所蔵していることも、この本の最後に紹介されている。

5つの講義を掲載してあるのだが、内藤新吾氏の「二つの領域を生きる私たちーいわゆるルターの二王国論を巡って、脱原発の経験からー」と、鈴木浩氏の「ルターにおける”つまずきの石”と”神学的突破”」の二つが特に印象に残った。近々、書評を書こうと思っている。

本日、なんとか期限の明日を前にして、7クラス分の1学期の成績処理が終了した。かなり疲労がたまっているので、本の紹介だけでご勘弁。

2024年7月8日月曜日

マスメディアの罪 都知事選


日本のマスメディアはやはり腐っているようで、都知事選は結局マスメディアに動かされてしまったようだ。なぜ現知事なのか。多くの事実を知らされていないというか、報道しないマスメディアの思うツボになってしまったようだ。TV離れがこれからますます進むだろうが、民主主義のシステムでも重要なマスメディアの任務は批判ではないのか、実に腐っていると思う次第。詳しい政治的分析はするつもりもない。あーあ。

2024年7月7日日曜日

ルター派は最もカトリック的?

https://sekainorekisi.com/37
「ルターはマリアを崇敬していたか?」(澤田昭夫著/教文館)を一気に通勤時に読んでしまった。昨日宗教科の先生と、この本の内容についてすこし語り合う機会があって、プロテスタントの中ではルター派が最もカトリックに近い、という認識をもっておられた。

そもそもルターの宗教改革は、世界史などで過剰に捉えられすぎているきらいがあると私は思っている。ルターの贖罪状への批判が、ハプスブルグ家と北部ドイツ諸侯の政治的対立に利用されたというのが、実態ではないか。ルター本人はこんなことになるとは思っていなかったようだ。(ただし後世に大きな影響を与えたことはいがめないが…。)ルターは、信仰心の熱いカトリック司教であって、マリア信仰についても当初はかなり入れ込んでいたことが、この書では描かれている。様々な書簡やミサでの講義にもそれらが見受けられる。

ただ、マリア信仰が当時加熱して、神やイエスへの信仰の妨げとなっていたこともあり、ルターは「ある人々は、キリストを御父の右に座し、怒りに満ちた者と考え、そこでマリアにのがれるが、これは悪魔の業である。」また「キリストはむなしく香炉の煙の洞窟に座っている。」さらに「マリアは教皇制の中で偽神にされた。」と批判している。(誤解なきように記しておくが、このマリア崇拝の悪弊を批判したのは、ルターだけではない。)

高校の倫理の授業内容として教えるなら、ルターのマリア論は次のように要約できると思う。

ルターは、マリアをキリスト者の生活の模範として崇敬しており、神の恩寵の独立の根源として我々の慰めであってはならないが、マリアの信仰、謙虚、慎みという三の徳を備えた模範・原型としては慰めである、としていた。『信仰のみによって』をモットーとするルターは、マリアの『わざ』をまねびすることを勧める。「わざは救いに必要であるが、救いを生み出すことはない。けだし、信仰のみが生命を与える。」また「わざがなければ、信仰は失われている。果実が木の証明であるようなものである。」

ルターは、マリアの『わざ』を重視しつつも、その無原罪性と被昇天については否定している。「御母は崇敬されるべきであるが、御子はその数千倍も崇敬されるべきである。」(ここでも、カトリックから異端扱いされるようなことは述べていない。)

学院の職員室に、マリア像と十字架のイエス像があるのだが、前述の宗教科の先生が「お祈りの時間に、どちらに向かって手を合わせるか?私は十字架のイエス像です。」とはっきり言われていた。先生はもちろんバリバリのカトリック信徒である。先生が、ルター派はカトリックに一番近いと言われていた意味が少しだけわかったような気がした。教皇制と教会組織のカトリックから、(神聖ローマ帝国時の政治的思惑で、はからずも分派した)聖書中心に移行したカトリックという感じなのか、と思った次第。

2024年7月6日土曜日

暑中お見舞い申し上げます ’24

http://blog.livedoor.jp/winnerslab/archives/52297220.html
大阪はこのところ、ストロングな太陽で焼け尽くされています。同世代にしかわからない感覚だと思いますが、マグマ大使の光線によって溶けていく”人間もどき”(上記画像参照)のようにになるのではないかと思うくらいです。今日は土曜日ですが、教育実習生のオリエンテーションと成績処理の続きのために登校しました。

さすがにこども園(保育園)の子どもたちも屋内に避難しているようです。いや、幼稚園も小学校も休みのようでした。なにしろ土曜日に登校したのは初めてなので…。(笑)

この数日間、期末の成績関係の処理とストロングな太陽のために、老軀は激しく消耗しています。ブログを読んでいただいている皆様、心より「暑中お見舞申し上げます。」(同世代の方々は、キャンディーズのメロディーでこれを読むのでしょうか?それとも拓郎?)

2024年7月4日木曜日

ルターは聖母マリアを崇敬?

YouMarkの採点はなんとか終了して、Googleのクラスルームで5クラス分、採点した答案を送信した。残るは2クラスの手書き採点を残すのみである。ほっと一息、学院の図書館で、「ルターはマリアを崇敬していたか?」(澤田昭夫著/教文館)という本を借りてきた。こういう本がある学院図書館はいつも思うのだが素晴らしい。

地理総合で、世界価値観調査をもとに授業進めるうえで、一神教の対比をしたいと思っている。キリスト教も対比しておきたいのだが、カトリックとオーソドックス(正教会)の対比はなんとか可能である。共通点も多いが、私はどちらかといえば、オーソドックスのほうが”固い”という印象を持っている。三位一体の聖霊の問題もそうだし、マリアの原罪の捉え方も違う。ヨハネの福音書(はじめにロゴスありき)の捉え方もそうだ。カトリックとプロテスタントの対比で行けば、近いのは英国国教会、次いでルター派だろう。で、このルター派がマリアをどう捉えているかというのが、この本のテーマである。帰宅時にだいぶ読み進んだ。これは、私にとって、旬の興味深い内容だからであるが、また成績入力が落ち着いたら書評を記そうと思っている。

2024年7月3日水曜日

You Mark 四苦八苦

https://www.itreview.jp/products/youmark-personal/profile
地理総合の試験日で、答案が返ってきた。先日PCでの採点をするアプリ、YouMarkの下準備をしてあったので、早速入力を始めたのだが、最後の大問の解答用紙の大きさが規定以下だということで、それ上進まなくなかった。ゲゲゲ…である。改めて、エクセルから、答案用紙の白紙と、模範解答をプリントして、PDFに落としやり直す羽目になった。果たして、うまくいくのだろうか?

今日は、前回お世話になったM先生は休暇を取られていたので、ご存知そうな先生方に何人もお聞きしてなんとか採点する段階までこぎつけた。問題は、その大問4である。そこから採点することが可能なようだったので、やってみた。…なんとかうまく採点できたので一安心。

PCというのは、何度も失敗して身につくものであることは、認識している。とはいえ、今日はそれに時間を費やしすぎて随分と疲れてしまった。学院の先生方は、やさしいのでホント助かったが、独りだと発狂していたかもしれない。(笑)

2024年7月2日火曜日

世界価値観調査のプリント化

世界価値観調査の英語版をもとに、少し解説するプリントを作成後、さらに、提出用のプリントを作成した。(上記画像参照)図中(下記画像参照)のゾーンは、8つあり、まずはその和訳をしてもらう。

ゾーンで、ややこしいのは、”Confuciaan”である。これは、日本、中国、韓国、台湾の4カ国で、”儒教世界”を表しているようだ。私は、東アジアでいいと思う。最大の理由は中国は全く儒教世界ではないこと。韓国も礼はあるが、仁や義はないに等しい。日本も儒教、特に朱子学の影響は強いが、仏教や神道、さらに西洋思想の影響もあるまさに雑居ビル的存在であるからである。また、”EX-Communist”は、直訳すると”元共産主義者”となるが、”旧社会主義国”でいいだろう。"English Speaking"は英語圏、イギリスゆかりの国々である。

さらに図中のすべての国をゾーンごとに表に整理した。これを和訳させる作業。英語の能力はともかく、地名の知識が乏しい生徒もいるので、案外苦しい作業になるかもしれない。だが、勉強、勉強。(笑)しかも、主な宗教を調べることも追加してある。これが大変だろうと思う。

"Catolic Europe"とは、タイトル通りカトリックなのでイージーだが、フスの宗教改革の伝統を持つチェコについては、無宗教で有名になっている。ここに正教会の総本山・ギリシアも入っているのも不思議だ。”Protestant Europe”は、北欧は、ルター派と記入して欲しいところ。また東西ドイツがこのゾーンに入っているが、ルター派の本家でありながら現在は若干カトリックのほうが多いそうである。カルヴァンのスイスも同様。これは、プロテスタントがカトリック以上に無宗教化している傾向にあるようだ。ゴイセン(カルヴァン派)で有名なオランダも、カトリックのほうが現状では多い。"English Speaking"というゾーンはまあ、英国国教会ゾーンであるわけだが、アイルランドはカトリックだし、アメリカでは英国国教会はあまり影響力を持たない。宗派分類ではカトリック、小宗派をかき集めるとプロテスタントでカルヴァン派がそこそこ強い。つまり、このゾーン分け自体が、的確であるとは言えないわけだ。というより、実に難しいのである。というわけで、ギリシア・アイルランド・チェコについては宗教欄に( )書きを私が記入することにした。

生徒にとって、あとイージーなのはカトリックばかりの"Latin America"と正教会が多い東ヨーロッパくらいで、アジアやアフリカも、イスラム教や旧宗主国のキリスト教、ヒンドゥー教やユダヤ教などが入り乱れている。これは、それぞれ調べて欲しいところ。

上記画像にはないが、表の下に、この世界価値観調査を見て気付いたことを”できるかぎり”文章化してもらう欄がある。さて、どんな記述が見られるか、楽しみである。

2024年7月1日月曜日

世界価値観調査考2

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%
BE%A1%E5%80%A4%E8%A6%B3%E8%AA%BF%E6%9F%BB
世界価値調査についての続編である。ウィキでさらに調べてみた。この調査は、面接による250ほどの質問調査 で1カ国あたり平均1330人のアンケートから集計されているようである。

縦軸の伝統的という意味では、宗教の他に親子間の絆、伝統的家族関係、権威への服従、離婚、中絶、安楽死、自殺への抵抗感、自国への誇り、ナショナリズムなどか関連している。

さらに、サバイバル(生存)ー自己表現の横軸では、自己表現とは、LGBTや外国人などのマイノリティーへの寛容性、環境への配慮、社会的信頼や穏健な価値観と家計している。もちろん、アメリカのミシガン大学のロナルド・イングルハート氏の主導故に、この自己表現は民主主義の中心価値観とされる。

佐藤先生の図には、各国の位置は示されていないが、これには国名が入っている。この方がはるかにわかりやすい。PDFでこの図を各生徒に送ることも可能なので色分けされて見やすいし、こちらには、旧社会主義国という破線の括りも入っている。