2022年8月25日木曜日

激動 日本左翼史を読む3

フロントの緑ヘル 
https://aucview.com
/yahoo/n514689892/
「激動 日本左翼史」書評の続きである。新左翼のセクトには、共産党を批判して生まれたものも多いのだが、「フロント」というのがある。戦前から非転向を貫き懲役10年の春日庄次郎が結成した統一社会主義同盟の学生組織である。このセクトは構造改革派で議会や工場の自主管理などの大衆運動で革命を実現できるというグラムシの理論が元で武力闘争とは無縁。61年要領で共産党の「(武力闘争は放棄せず)敵の出方による論」の時に離れたわけだ。そういう意味では穏健派である。しかし東大闘争を巡って党内が対立、69年第8回大会で構造改革路線と決別し、一部は三里塚闘争に参加管制塔突入もしている。フロント出身者には民主党政権の官房長官だった仙石由人、海江田万里、阿部知子などがいる。フロントはソ連へのシンパシーが強く党派名もロシア語でキリル文字(エフ)である。(画像参照)

ところでこの本を読んでいて感じるのは、佐藤優は中核派に友人が足を折られた経験もあり、思想集団として認めていないようだ。革マルも同様に恐ろしい暴力的セクトだと考えているが、思想面ではその中心者・黒田寛一の「社会感の探究」「プロレタリア的人間の論理」といった疎外論と「崩壊する国債スターリン主義と前進する革命的反戦闘争」といった反スターリン主義には、感銘を受けたと述べている。共産党の「(アメリカの)悪い核兵器と(ソ連の)良い核兵器」論などに対抗して反スタを黒田は最も明確に打ち出しているわけだ。ちなみに松岡正剛氏も黒田の薫陶を受けた言論人だということだ。

この新左翼運動は、東大紛争や日大紛争のように、自分のことよりも大学の後輩(授業料値上げは活動家本人には関係ない)や社会(ベトナム反戦運動など)のためを思っての運動で、現代の若者にまさに欠落している意識が突き動かしたものだったが、リアリズムを持たないロマン主義で、「網走番外地」さながらの任侠の世界だったと論じる佐藤優の言には共感できる。書評の最後に、佐藤優が当時同志社の神学部・学生部長だった野本晋也教授(後の同志社理事長)に言われたことを記しておきたい。実に興味深い内容だ。

「政治には大人の政治と子供の政治がある。私は君たち学生が学友会(ブント系)で活動することも神学部自治会がアナーキズム運動をやることも全く構わない。君等は怒るかもしれないが、それは子供の政治だからだ。その子供の政治を経験しながら、様々に試行錯誤をしていくのは学生にとって必要なことだし、同志社は元々そういう経験を許容する空間だった。政治の世界で起こることはパターンとしては全部同じだから、人をまとめるのがどれほど大変で、どんなところから諍いが起きるか小宇宙での経験を通して知っておけば、卒業後に大きな政治に遭遇したときに、それが保守系であろうが革新系であろうが、あるいは企業内の政治であろうが過度に戸惑わずに済むからだ。ただし、民青や中核派、あるいは統一教会は違う。これは大人の政治、大人が自分たちの組織目的のために子供を利用する政治だ。我々は教育観点で、そうした大人の政治から君たちを守る義務がある。」

…野本氏が排除しようとした、民青(周知の共産党の下部組織)・中核派(当時で言えば国鉄の動労かな)に加えて、今話題の統一教会が入っているのが実に意味深である。

0 件のコメント:

コメントを投稿