2022年8月10日水曜日

荻生徂徠の古文辞学

髪の毛が伸びて気持ち悪かったので、近くのスパバレイに散髪に出かけた。安いし、その後入浴できるので、一石二鳥である。ただ、今日は待ち時間が長く閉口したのだった。幸い、昨日画像に上げた「いまこそ知りたい日本の思想家25人」を持参していたので、通勤時間なみに過ごすことができた。あまり気乗りしない本を読むのは、こういう半強制的なシチュエーションが適している。(笑)

日本思想史は、暗記すべき項目が多くて、教えていても面白くない。しかも漢字で難解なものが多い。今日は、その中から名前を漢字で書くのも憚れる荻生徂徠のことをエントリーしておきたい。

日本の儒学というのは、何と行っても朱子学である。理気二元論。これに山鹿素行の古学と伊藤仁斎の古義学、荻生徂徠の古文辞学、さらに中江藤樹の陽明学が江戸時代に登場する。この辺はだいたい流すのが常であるのだが、今回の夏期講座では、少し深く理解させようかなと思う。

古学、古義学とともに、朱子学を批判する流れの中にある。伊藤仁斎が「論語」を依拠として古義学を唱えたのに対して、「六経」(りくけい:詩・書・礼・楽・易・春秋)を直接中国語のままに読むべきだと主張した。徂徠は綱吉の時代から、柳沢吉保の側近儒者となり、吉宗からも頼りにされた思想家である。この本には面白い記述がある。『思想のメインストリームを批判し、かつ同時代の大物を叩いて名を馳せるというのは思想界で鮮烈なデビューを果たすための王道』徂徠はこれに見事に成功したわけだ。

朱子学が心に備わる理を理念化しようとするのに対し、伊藤仁斎は日常実践の道徳へ高めた。しかし、徂徠は個人道徳から社会全体の道徳にまで広げようとしたといってよい。こういう儒教観から古文辞学が生まれる。

『弁道』という書で、道とは何かを論じ、『弁名』で70ほどの名辞(諸概念)について論じている。六経から、先王の道(堯・舜や夏・殷・周らの王の中の聖人の解いた礼楽=儀式と式楽だが社会秩序・社会制度・政治技術)を学び、そこで物を知りその物の名について、秦や漢の時代の書物を使って分析し、名と物を一致させることが必要だと説いた。古文辞とは明時代にブームになった漢以前の復古文体のことで徂徠はこれを思想の方法論として取り入れた。たとえば、「陰陽」という名は、物事の両極として聖人が名付けた物で、これによって人々は天体の運行や万物の変化を了解し、生活に活かすことができるようになった。この生活に活かすという部分が大事で、聖人による命名行為は、あくまで人々のための礼楽を形成するのが目的であるからだ。

徂徠の思想は、最終的に自分の考える正しい政治のあり方を提起することになった。それが吉宗のために書かれた「政談」である。儒教は本来良い政治のためのものであるはずが、抽象的な道徳に変質した。経世済民の学であるべきだとしたわけだ。

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