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このブントの中心は姫岡玲治(ペンネームは青木昌彦)で、後にアメリカに留学、主流派経済学に転身して京大の助教授・スタンフォード大の教授を務めたという優秀な人だ。彼以外にも学習院大学の政治学の元教授、精神科医、数学者などもいる。最も驚いたのは政治評論家の森田実もその一人だったことだ。森田実といえば、自民党・宏池会寄りの保守本流の論客である。凄い転身だな。まだこのころは内ゲバとかもない時代で、学生運動後の人生が存在しているわけだ。
このブントとは異なる系統に「革共同」がある。ブントより反スターリン主義でトロツキーを再評価していた。この流れから革マル派や中核派が生まれてくるわけだ。学生時代、同じ下宿にいた民青の友人が、新左翼を「トロ」と呼んできたのは、こういう流れに由来する。
急に話が新しくなる(私の小から中学時代)のだが、意外な事実だったのは、共産党の地方組織(神奈川)から党中央の方針に飽き足らず除名された中国派のグループが、社学同ML派や共産同マル戦派から分離したグループと結成したのが「京浜安保共闘」。毛沢東の「政権は銃口から生まれる」を信奉していた。この武器を使うという唯一の接点で、思想的にはトロッキズム=反スターリン主義=反毛沢東主義の赤軍派と合流してた。例の連合赤軍である。ちょうど、赤軍は、リーダーも大菩薩峠で軍事訓練をしていたメンバーも53人も検挙され、よど号ハイジャックで北朝鮮に主力を送ったりして、資金は有る(銀行強盗を繰り返していた)ものの、人的に困っていたようだ。一方京浜安保共闘は武器を持っている(銃砲店を襲撃した)ものの資金がなかった。両者の利害が一致したわけだ。なんとも泥臭い話である。赤軍派の森がNo1、京浜安保闘争の永田と坂口がNo2とNo3になって、凄惨な「総括」と「あさま山荘事件」を引き起こすわけだ。…つづく。
…まあ、今日はここまで。夏期講習で全力で、鈴木大拙と西田幾多郎を論じたのでちょっと疲れた。仏教をみっちりやったうえで、不立文字の臨済宗の在家の哲学者2人が、なんとか悟りの内容を言語化しようとしたのだ、ということは伝えれたと思う。
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