今回も、日本の思想の重層性(日本古来の思想/儒教/仏教/近代思想)を最初にやるのだが、先日エントリーした和辻哲郎の「間柄」から話を進めることにした。和辻の原典(倫理学)やプリントの記述から、前述の4つの重層性のどれに最も関係が深いかを考察してもらおうと思う。
考察1:モンスーン型風土が生んだ共同存在が「間柄」という倫理思想の基盤にある。これはどれと最も関係が深いか?
考察2:『倫理は人間の共同存在をそれとしてあらしめるところの秩序・道』と原典にあるが、この発想の根底にある思考形式は、どれと最も関係が深いか?
考察3:「間柄」は「単なる人でもないし単なる社会でもない。」こういう思考形式はどれと最も関係が深いか?
考察4:『ここに人間の二重性格の弁証法的統一が見られる。』と原典にあるが、このロジックはどれと最も関係が深いか?
正解は、1が日本古来の思想、2が儒教、3が仏教、4が近代思想である。我々は、こういう多層性の中でチョイスしながら思考しているということを理解して欲しいと考えている。
日本古来の思想については、国学とリンクした。国学は普通もう少し後にするのだが、この方が理解しやすいだろうと思うし、柳田国男と折口信夫も最後に交えた。
儒学についても、朱子学を復習しながら、どう日本的なオリジナル化がなされているかを整理した。林羅山の存心持敬は、居敬窮理の言い換えである。っ上下定分の理も名分から導かれたオリジナル、三徳(智・仁・勇)も『中庸』を朱子が注釈したものをあえてピックアップした感じである。
この朱子学へのアンチテーゼが、中江藤樹の陽明学と、山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠の古学である。古学の方は、徐々に専門的になっていくのが面白い。孔子孟子に帰れというのが素行、中国古代語を習得し正しく研鑽せよというのが仁斎、さらに孔子らが参考にした堯・舜の時代の探究にまで進んだのが徂徠。
長い間、思案していたが良い講義ができそうだ。後半は、日本仏教と西田幾多郎を中心に近代思想をやるつもりである。西田哲学は、禅がわからないと理解できない。鈴木大拙も入れようかなと思ってきた。
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