2022年5月1日日曜日

菊地寛 大衆明治史を読む5

伊藤博文は、吉田松陰から周旋の才ありと評されたが、日露戦争が開戦となった直後、金子堅太郎を呼び、すぐにアメリカに渡航することを求めたという。すでに講和の事を考えていたわけだ。イギリスは同盟国であるのでダメ、フランスはロシアの同盟国であるからダメ、ドイツは皇帝がロシアをそそのかしたらしい、となれば頼むところはアメリカになる。セオドア・ルーズベルトとハーバードの同窓の金子に予備交渉を頼み込むのである。このあたりの周旋の才は尋常ではない。日露戦争の開戦には伊藤は極めて消極的であったことが知られている。その立場から打ったこの手はあたった。

「大衆明治史」の下巻は、日露戦争について詳細に記されている。日清戦争の陸軍の大功労者は川上操六であるが、日露戦争においては児玉源太郎である。

…この児玉源太郎について、菊地寛も司馬遼太郎と同様べた褒めである。たしかに魅力的な人物である。私は児玉のことを描いた文庫本を読んだこともあるが、長州閥とは言え支藩出身で出世は遅かった。西南戦争で熊本城の天守閣を戦略上燃やしたのは児玉ではないかとも言われている。戦略家として一流の行動力である。日本陸軍を育てたドイツの軍事顧問モルトケも児玉を絶賛している。一方で、台湾総督としてうまくやっている。この前任者が乃木希典で、乃木は総督としては無能だったようだ。(司馬遼の乃木の評価は極めて低い。)菊地寛はそこまで低くはない。児玉は、乃木の軍人としての姿勢をリスペクトしていたとしている。この辺は微妙だが、児玉は常に乃木をかばっている。戊辰戦争以来の友情である。常に一歩先に出世していたが、日露戦争のときには逆転している。

…桂太郎のように、児玉が総理になる可能性は十分にあったと思うが、彼の人生はこの日露戦争で燃え尽きてしまったようだ。2年後に死去している。明治の英傑の第二期と人物だといえるだろう。

…詳細な日露戦争の内容につては、エントリーする気はない。この本がGHQに発禁された理由は、特に下巻の内容だと思われる。連合国側に最後についたソ連=ロシアへの配慮であろう。もうひとつは、ハリマン協定を小村寿太郎が破棄するようポーツマスから帰国後動いたことの記述にありそうだ。このハリマン協定の件は、少し自分で調べてみたい。

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