昨朝のアクシデントの間、すっと座って学園の図書館から借りた本を読んでいた。「世界史を移民で読み解く」という玉木腸と産業大学経済学部教授の本で、「物流は世界史をどう変えたのか」の作者である。物流の本は実に興味深かった。今回借りたのは、そういう前書の延長線上にあるとともに、L君が「移民・難民」のゼミに入ったからである。第一部は、教科書の世界史的な共通部分が多いのでぶっ飛ばして、第二部から読んだのだが、印象に残った内容をエントリーしておこうと思う。
ポルトガルは大航海時代の敗者ではない:ポルトガルと言えば、大航海時代である。しかしながら、オランダ、イギリスに、スペインと共に敗れた国家というイメージが強い。しかしながら、アジアなどでは、ポルトガル人が残って商業ネットワークを形成していたわけで、この話は以前、東南アジアの華僑・印僑ネットワークについて書かれた本(マラッカ海峡物語等)で知っていた。ところで、このポルトガル人ネットワークは、ニュークリスチャン(レコンキスタ後にキリスト教徒になった人々:主にユダヤ人)であったこと、新世界(主にブラジル)と本国とアジアが結ばれていたこと。すなわち、オランダはアジア限定だったのに対し、はるかに巨大なネットワークを国家というバックがなくとも築いていたことなどが描かれていた。
黒人とユダヤ人が起こした「砂糖革命」:世界史上最大の移民といえるのは奴隷として渡った黒人であろうと著者は述べている。ところで、黒人奴隷という言葉から最も連想されるのはアメリカ南部の綿花プランテーションではないだろうか。事実は、砂糖のプランテーションの方が主であった。最初、大西洋・モロッコの西方にあるポルトガル領マディラ諸島(奄美大島くらいの面積で温暖な気候である)で行われていたが、次にギニア湾にあるサントメ島(現サントメ・プリンシペ)、そしてブラジルへと拡大していった。黒人奴隷の移動は、17世紀から18世紀にかけて、イギリス領のジャマイカ、フランス領のハイチ、スペイン領キューバなどカリブ海への移動が増加している。これらが砂糖プランテーションである。オランダは、第二次英蘭戦争後、スリナムと現ニューヨークを交換したが、カリブ海のオランダ植民地でスファラディー(15世紀にイベリア半島を追放されたユダヤ人)が砂糖栽培をすでにやっており、オランダの植民地でのプランテーション経営を成功させるとともに、他国の植民地に移住、プランテーションを次々に成功させた。タイトル通り、黒人とユダヤ人が砂糖革命の主体だったのである。
大英帝国に拡散したスコットランド人:スコットランドの歴史家によると、17世紀の人口は100万人程度で他国に渡った人口は20万人だという。そもそもスコットランドは農業生産性が低く、移民はセーフティーネットであった。スコットランド人は傭兵としてオランダで重宝された。同じカルヴァン派であったことが大きい。北欧のプロテスタント国にも多く、30年戦争でも活躍している。面白いのは、その後大英帝国(=イングランド)が覇権国家となっていくとともに、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどに移民していくことになる。しかも一箇所に集まらず拡散したようだ。
もちろん、従来どおりイングランドにも移民していて、蒸気機関の改良者として有名なワットはスコットランド人である。企業家も多かった。彼らはプレスビテリアンであるがゆえに、英国国教会にしか許されなかった公職には付けなかった。イングランド人とスコットランド人の区別をつけることができなかった明治日本にもお雇い外国人としてエンジニアが多く来日している。ちなみにグラバーもスコットランド人である。イングランド人とは微妙なスタンスであったが、その興隆を利用して飛躍したといえよう。
…こういう蘊蓄を大事にしたい。長距離通勤は疲れるけれどこういう読書の時間が確保できることに感謝したい。
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