2018年6月27日水曜日

佐藤優 いま生きる「資本論」2

今週に入って3日間、定期試験であった。初日は、私の試験はなく、午後はいつものようにインタビューテストの見張り役であった。。廊下で見張りをするのだが、相方はだいたい文庫本である。と、いうわけで、佐藤優の”いま生きる「資本論」”を完読できたわけだ。なかなか面白かった。そのそも、マルクス主義の古典というか原典のような本だが、書かれたのは明治維新の直前であり、佐藤優氏によれば、マルクス主義的(代々木の人々や社会主義教会の向坂逸郎のように)に読むのではなく、宇野弘蔵的に読むことを勧めていく。宇野学派は、あくまで経済学のひとつとして研究した学派でイデオロギーとは無関係なマル経(マルクス経済学)である。

何度か書いたが、私が学生の頃は、マル経が主流だった。私は文学部なので、経済学を履修したのは教員免許取得のためだった。その先生は、貴重な近経(近代経済学)でケインジアンだったと思われる。日本資本主義論争について最初に講じておられたと記憶する。今でこそ十分理解できるが、当時は難解だった。この本で佐藤優はこの論争を分かりやすく説いている。ところで、アナ・ボル論争とも呼ばれるこの日本資本主義論争、労農派(アナーキズム)VS講座派(ボルシェビキズム)なのだが、面白い記述があった。

「今なお、無意識のうちに講座派と労農派という枠組みの中で発言している知識人が多いのです。講座派は、(明治維新を絶対王政と見るので)共産党系で、天皇制打破を目差しました。ですから国体を破壊しようとする団体として大弾圧を受けることになります。それに対して(明治維新を市民革命と見るので)天皇はもはや大財閥の力学の中に埋没しており、社会主義革命を行うのだという労農派は、言論の枠内で活動をしていると見なされ最初は弾圧されなかった。(中略)講座派は転向したあと、天皇主義者になる人がすごく多かった。戦後になっても、共産党系からスタートした知識人たち、たとえば読売新聞の渡部恒夫さんなども日本主義的なところへ収斂していきます。対する労農派は世界システム論に立っていますから、講座派がこだわる日本の特殊性には無関心です。そして労農派は転向しないんですね。(中略)労農派の発想というのは、突き詰めていくと新自由主義的な発想やグローバリゼーションと親和的になっていきます。ちなみに、現在の論壇人の中で講座派的な思考をせずに、労農派的・世界システム論的な発想をしているのは池上彰さんです。(後略)」

…佐藤優氏は、「自身に労農派的なバックグラウンドあるので、似た匂いのやつはわかるんです。いくら隠したって(会場笑)」と述べている。そうか、ナベツネ氏は転向しているのか、そして池上彰はアナーキスト的。なかなか面白い講義だと思う。

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