タマンデサのモスク バスの車窓から |
それは社会契約論の自由権という概念である。ムスリムの生徒たちから見て、おそらくは不思議な話だろうと思う。イスラム教においては、神定法のシャリーアの法体系がどーんとある。社会契約説で、ホッブズやロックやルソーが、何故わざわざ自然法という概念を出してきたのか、説明するわけだが、ここは一神教の相違に話が及んでしまうわけだ。これらヨーロッパの思想は当然キリスト教的な土台の上に立っているわけで、神定法と人定法の話が不可欠になるのである。実は、彼らは意外に理解してくれた。現実問題としてではなく、あくまで理論として受け入れてくれたのだろうと思っている。
反対に、どうしても理解しがたいということになったのが、基本的人権の同性愛の話の時である。日本も含め欧米的には、同性愛が認められているが、どうも不可解だという表情を崩さない。これは理論ではなく、現実の話である。異文化理解…。そんな簡単な話ではないのだと、改めて思うのだった。
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