2016年6月18日土曜日

IBTの話(10) トルコの近代化

http://www.futbolyildizi.com/home/forum/mustafa-kemal-ataturk
日本で教えるのと、マレーシアで教えることの違いを痛感した授業の話である。世界史の分野で、はWWⅠ後の世界を教えている。私費生(私費で日本留学を考えている)華人の生徒が多いAクラスで、辛亥革命やら五四運動について語っても、あまり中国本土の歴史だからという感慨はないらしい。彼らは、自分は中国系のマレーシア人であって、中国人ではない、というスタンスなのだ。このあたり実に面白い。中国語で授業をする小・中学校に行っていた生徒もいるが、特に中国を故国とは意識していないのだという。

一方、マレー人の国費生のCクラスで、トルコの近代化について教えていたのだが、かなり複雑な表情を見せた。と、いうのもオスマン=トルコ帝国がWWⅠで敗れた後、政教分離され、欧米風の近代国家化したことについて、どうしても自国マレーシアと重ねて考えるからのだ。

トルコの政教分離はかなり徹底したものである。マレーシアは、シャリーア(イスラム法)をどーんと国の中心に置いていて、あらゆる政策においても、シャリーアをどれくらい守っているかを精査する国でもある。国費生は、敬虔なムスリムが多いので、トルコの政教分離には納得できない面を持ち合わせているようである。とはいえ、マレーシアには華人もインド人も共生していて、彼らとともに資本主義国そして民主主義国として、アジアでも屈指の近代国民国家となり中進国として発展著しいわけで、このことも十分評価しなければならない。実に複雑なのである。彼ら全員、オスマン=トルコ滅亡後のカリフ不在の意味についてもよく理解していた。

私は「トルコの政教分離について、みんな、どう思っているの?」とあえて聞いてみた。一応に、「うーん。」と唸るばかりである。彼らも、私のイスラム理解が、それなりのものであることをよく判ってくれている。マレーシアを大好きなこともよく判っている。だからこそ、極めて重要な問いかけであることも、よく踏まえてくれている。

日本語能力が、彼らの言いたいことにまで達していないのかもしれないし、考えがそう簡単にはまとまらないのかもしれない。日本では絶対にありえない反応故に、私自身、大いに勉強になると感じている。彼らとともに、このマレーシアにとっての重要な命題をさらに考えていこうと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿