2015年3月1日日曜日

最高の卒業式だったのだ。

最後の記念撮影 (保護者の方にマイカメラを託させていただき撮影)
今日は、3月1日。日曜日だが例年どおり、本校では卒業式が行われた。残念ながら雨である。SHRに行くと、生徒は、予行の日に配布した卒業アルバムを持ってきていて、友人へのコメントを書き入れるのに余念がない。(笑)ところで予行の日、精勤賞(3年間3日以内の欠席・遅刻・早退の生徒を精勤と呼ぶ)が、数が多いので既に下級生参列のもと表彰されたのだ。その賞状は私が手渡すはずだったのだが、賞状を受け取った代表生徒がクラスに持ってきてくれたものを、気をきかした生徒がみんなに配った後だったのだ。で、本番では、卒業証書・皆勤賞は私が渡すと釘をさしておかなければならなかった。(笑)我が4組は、このようにガンガン生徒が気をきかして動いてくれる。精勤賞事件は、叱るというより褒めてもいい話だと思った次第。

卒業式は、厳粛に行われた。4組の入退場も、クラス代表Tやんのの卒業証書をいただく仕草も文句のつけようがないほど素晴らしいものだった。

さて最後のSHRである。朝の言葉がきいたのか、饅頭や証書入れ、花束や卒業文集(2月19日付ブログ参照)までが教卓の上にある。(笑)これは配ってくれてよかったのやが…。の一言で、一気に配布が進む。さて、クラス代表に声をかけて起立・礼。一気にクラスが締まる。まずは、副担任のY先生に言葉をいただく。ちょうど、その後、VTR(2月12日付ブログ参照)を見終えた保護者の方々が教室に入って来られた。

で、私の最後の話なのだが、もう何も言うことはない。ずっと何を言おうかと考え続けたのだが、これだけのクラスを作れたのだがから、あえてやめることにしたのだ。
反対に2つだけ私の希望を生徒に叶えてもらった。一つは、WICKEDで皆が歌った「エメラルドシティー」をもう一度聞きたかったのだ。卒業文集にはシナリオがあり、そこに歌詞も載っている。大いに戸惑ったようだった(その理由は後でわかった。)が、見事に歌い上げてくれた。ありがとう。素晴らしいものだった。
そして、もう一つは、クラスの最初の日に契をかわした男子4人(昨年4月9日付ブログ参照)に、我がクラスのシンボルである黒板の上の「責任ある行動」の紙を肩車して外してもらった。さらに「勝ちて和す・和して勝つ」の2枚の紙(昨年9月11日付ブログ参照)を団長のA君とプロデューサーのM君に外してもらった。これで、生徒自身の手による4組の解散の儀式は終わりだ。

ここからがサプライズである。生徒から保護者の側(教室後方)に行って欲しいと言われた。そこで何が起こるのかと思ったら、「旅立ちの日に」という曲を男女の二部合唱で歌ってくれたのだった。(だから、エメラルドシティを歌ってもらったことにみんな動揺したのだ。)見事な二部合唱であった。簡単にできる感じではない。後で聞くと、テニスコート(第二体育館の屋上にあるのでかなり遠い。しかも2月初旬で凍えるような寒さの中であったと思う。)まで行って、学年末試験の放課後密かに練習してくれたのだという。…私のためにである。心から感動した。号泣してしまった。
男女二部合唱で「旅立ちの日に」を歌ってくれた (Y先生撮影)
私はイベントで人を育ててきた。その理想の集約がここにある。今まで、卒業に際して何度もいい思いをさせてもらった。手の込んだ色紙やアルバムを何度ももらったが、最後に生徒の独力によるイベントで返してもらったのは初めてである。こんな嬉しいことがあるだろうか。

最後に、皆の1年間の写真とメッセージを入れたDVDと、その時に使ったA4サイズの私へのアピールをまとめたものを貰った。副担任のY先生も感謝のアルバムを貰った。4月から中学で教鞭をとるY先生にとっても、素晴らしい体験になったと思う。

理想に生きることをやめた時青春は終わる。これが私の座右の銘であるが、イベントで人づくりをするという私の理想は完成した。少なくとも担任としての教師生活はこれで完結してもいい、と心底思ったのだ。

4組の生徒諸君、ほんとうにありがとう。私はここまで育ってくれた君たちを誇りに思う。最高の卒業式だった。

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