先日エントリーした中田考氏の新刊新書「イスラーム 生と死と聖戦」と同時期に、この「カリフ制再興 未完のプリジェクト、その歴史・理念・未来」(書肆心水/2月刊行)が出版された。
前者がイスラム教に対して全く予備知識がない読者を想定した「です・ます」調の啓蒙書であるのに対し、この「カリフ制再興」はもう少しレベルが高い。とはいえ、内田樹氏と中田考氏の対談「一神教と国家」(集英社新書昨年2月19日発行)と「イスラーム 生と死と聖戦」を読めば、十分理解できると思う。
ウーサマ・ビン・ラディンが「(アッバース朝)カリフの古都バグダードのジハード戦士の兄弟たちよ、カリフ制の中核を作り出す機会を見逃すべきではない。」と呼びかけたのは2006年7月であった。そして2014年6月29日(1435年ラマダーン初日 *注 イスラム暦)SIS(イラクとシャームのイスラーム国)は、イラク第二の都市モスルでその首長であった「アブー・バクル」イブラヒーム・バグダーディーをカリフ位に推戴し、90年の時を経てカリフ制の再興が宣言された。カリフ制の再興は、1648年に締結されたウェストファリア条約に因んでウェストファリア体制とも呼ばれる領域国民国家、主権国家による国際秩序の解体の序章であり、西欧文明的ヘゲモニーの衰退を象徴する世界史的事件である。世界史的事件をリアルタイムで「世界史的事件」として認識しうる者は稀である。1914年6月28日にオーストリア=ハンガリー帝国皇太子が暗殺された(サラエボ事件)時点で、第一次世界大戦への展開を見通すことは難しかった。またカトリック教会において1378年から1417年にかけてローマとアヴィニョンに教皇が立って争った「西方教会分裂」も「大分裂」との評価が定まるのは後世になってからであり、その開始の時点においては、それぞれの教皇の支持者にとって、カトリック教会史上幾度かあった教皇僭称者、対立教皇がまた出現したということでしかなかったであろう。
世界史的事件の世界史的意義が同時代人に明らかにあるには、一定の時間の経過を必要とする。特に西欧文明のパラダイムに全面的思考を規定されている「現代人」にとって、西欧文明自体のアンチテーゼとなる事件を正しく理解することは決して容易なことではない。
…中田氏は、「まえがき」をこう書き始めている。なんと刺激的なまえがきであろうか。カリフ制復活が宣言された日、ブディストでありながら我が家では妻と大論争になった。(昨年6月30日付ブログ参照)世界的にも、かなり稀な者なのだろう。(笑)ともあれ、今はワクワクしながら読んでいるのであった。
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