佐伯啓思の「アメリカニズム」の終焉(中公文庫/本年10月25日発行)をこのところ集中して読んでいる。初版は93年4月なので、書かれてからだいぶたつが、なかなか勉強になる。通勤時に赤線を引きながら読んでいる。はっきりいって社会思想の学術書である。私の読解力で消化した部分について、エントリーしてみようと思う。
本書では、アメリカの「リベラル・デモクラシー」が論考の中心となっている。極めて乱暴に言ってしまうと、リベラリズムとは自由を求める自由主義のことであり、デモクラシーとは平等を求める民主主義である。この歳まで不勉強で、この二つをかなり混同していた。リベラリズムは、専制権力(中世的な宗教的権威や神聖ローマなどの貴族階級の支配)からの自由・解放を謳う。一方、デモクラシーは、人民主義・平等主義である。思い起こされるのはフランス革命時の急進的なジャコバン主義である。この二つは、実は、ヨーロッパでは実はかなり対立する概念なのである。貴族的なものーリベラリズムーデモクラシーといった階級的な理解も可能である。リベラリズムには、デモクラシーへの恐怖があるわけだ。
このリベラリズムを中心に、デモクラシーを抑えつつ(労働者の権利の主張を穏健に抑えながら)世界に覇権を唱えたのが19世紀のイギリスであり、20世紀はアメリカの世紀となった。アメリカはリベラリズムとデモクラシーを結びつけ、「リベラル・デモクラシー」として普遍的な概念に高めていった。
アメリカには、ヨーロッパのような専制的な権力(貴族階級)がそもそも存在しなかった。大衆的なポピュリズムが強いアメリカは、権利において同等、生活においても同等という人々が大衆社会を形成していた。産業の発展とともに、リベラリズムは、もっぱら消費者としての自由、生活設計者としての自由、ビジネスの自由といった経済的自由に転換されていく。またデモクラシーは生活の均質化、所得配分の平等化といった経済的平等となった。
この「リベラル・デモクラシー」は、アメリカが普及させたというよりは、他国が追随したといってよい。特に、日本はこの優等生であり、当のアメリカ以上に成功させたというわけだ。
…師走の総選挙である。我が国民が、選挙の争点としていることは、毎回同じだが、景気回復であり、社会保障である。なるほどなあと思う。
2014年11月26日水曜日
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