2014年11月14日金曜日

本年度世界史Bの着地点

昨日のエントリーの続編である。本年度世界史Bの最終プリントを今日完成させることができた。期末考査の後は、ESDのアクティビティをやる予定なので、これが最終のプリントというわけだ。イスラム原理主義(この言い回しはアメリカの悪意が含まれているようだが、日本では普通に使われているので、このコトバを使用している。)が、何故欧米を敵視すのか?といのがテーマだ。同時に、2年間に渡って教えてきたヨーロッパ史の総まとめという意味合いも込めてつくってみた。

まず「キリスト教は、律法がないので神の設計図を求めた。これが自然科学である。」という項目。キリスト教・イスラム教の律法を比較しすると、キリスト教は明確な神の教えがない。だからこそ人(教会)の支配が可能になるし、公会議やコンクラーベなどでは、多数決で重要な決定が行われることを教えたい。イスラムは、コーランにコンパクトにまとめられており、シャリーアの体系(イスラムの律法)でもイジュマー(共同体の合意事項:神の意志がそこにあるとされる決定)は全員一致でなければならない。要するに、キリスト教は、神の設計図を求めて、各個人が理性を発揮する傾向があるのだ。ここから自然科学が生まれる。言ってみれば、ルネサンス以降の自然科学・技術の発達が欧米の覇権の源である。

次に「キリスト教は、ギリシア以来の『上個人下共同体の社会構造』を補完した」という項目である。これは、昨日エントリーした内容。これに、カトリックがラテン語で統一したことが商業資本の発達に大きな影響を与えたこと。(ギリシア語で統一しなかった正教会の東欧と比較したいところ)さらに、合理的な銀行や株式会社などのシステムを運営する上で、キリスト教の律法がないことが有利に働いたこと。宗教改革後、敗者が新大陸に移住したこと。

そして、「ヨーロッパで生まれた民主主義は『上個人下共同体』の境界線の変化」。近世から近代、現代と国民国家が誕生していく過程は、富の増加によって、「下共同体」から「上個人」へと、市民、労働者が上昇していく過程でもある。現在は、最下層の「下共同体」が非西欧社会となっていることは、昨日エントリーしたところだ。

最後に、「構造的暴力」について語りたいと思い、国際理解教育学会の現代国際理解教育事典を参考にさせてもらった。なんと、この項は尊敬する兵庫県のY先生であったのでびっくりした次第。

今回の最後のプリントは、「武器としての社会類型論」加藤隆著/講談社現代新書と、「ふしぎなキリスト教」(橋爪大三郎×大澤真幸/講談社現代新書をもとに書いてみた。ヨーロッパの歴史を一神教から見ると、こんな感じかなという程度のものだが、とりあえず今年はこれで着地としたいと思っている。今読んでいる本の「リベラリズム」と「デモクラシー」の相違から、欧米の政治思想を解説した本が面白いので、これも止揚したかったのだが、これ以上複雑にすると、不明確になりそうなので自粛した次第。

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