ケニアの首都ナイロビで、外国人が集まるウエストゲート・モールがソマリアの「アルシャバブ」に襲撃された事件は、このエントリーをしている時点で62人が死亡、200人以上の負傷者を出し、ケニア軍によって制圧されたという情報がツイッターでケニア内務省から流れた。容疑者3人を射殺、10人以上を逮捕したということだ。
ナイロビは私が初めて立ったアフリカの地である。心が痛む。訪問した時は、アメリカ大使館が襲撃された後だったので、何度か書いたが、JICAケニア事務所は我々に厳戒態勢を取った。だから危ない街であることは認識している。先日エントリーしたように「T.I.N」でもある。(本年9月16日付エントリー参照)だが、ものすごく魅力にあふれた街である。ソマリア内戦では、ケニア軍がアルシャバブの支配する南部で掃討作戦を行い、今回のテロは、その報復だというが、ケニアも大量のソマリア難民を受け入れ財政的な負担も大きい。どうみても、アルシャバブに非があると判断せざるを得ない。
ところで、昨日の毎日新聞の「風知草」(山田孝男氏の署名記事)に、シリアの空爆回避について朗報だがシリア問題の解決は意味しないのではないか、という主旨の論が載っていた。この記事には、池内恵(さとし)東大準教授(イスラム政治思想史・中東地域研究)の視点を大きく取り上げたものだ。池内氏は「シリア内戦への軍事介入をイラク戦争と比べて論じる傾向がありますが、適切ではない。むしろルワンダの虐殺など手がかりになると思いますよ。」とインタヴューで述べている。
この真意は、ルワンダ虐殺の時、先進国の無責任な施策によって虐殺が拡大したことを意味する。池内氏は、高校時代に『歴史の終わり』や『文明の衝突』を読んで、未来は今とはかなり違うものになると思ったという。前書の著者フランシス・フクヤマは、全体主義への民主主義の勝利を、後書の著者ハンチントンは、西欧優位を脅かすイスラムの台頭を論じた。
「現実に民主化とイスラムの波がぶつかりあい、古い秩序が揺らいでいる。(山田氏)」
「(アメリカが世界の警察官・裁判官として、規範を示し、軍事力を背景に国際秩序を保ってきたが、)イラク戦争のトラウマ、共和党のティーパーティー運動に代表される孤立主義の台頭、シェールガス開発に伴うエネルギーの中東依存度低下等によって、別の方向へ向かおうとしているんじゃないか。影響は中東にとどまらず、世界中に広がるでしょう。(池内氏)」
「アメリカの覇権の希薄化(池内氏)」を山田氏は、大いに危惧して、この署名記事のタイトルを「空爆回避でも地獄」としている。私も前々から、バクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)の終焉を危惧していた。時代はまさにハンチントンの予言どおりになってきた。また、それはドゥルーズの世界のコードのリゾーム化(中心的な概念:コードが崩壊し全てが勝手に動き出す。)という哲学理論とも類似している。
今回のケニアのテロも、西欧型民主国家を目指すケニアへのイスラム側からの反撃である。バクス・アメリカーナのような力による平和が善であるとは言わない。だが、先進国が見逃すと、ここでも無責任による紛争の拡大という「ルワンダの悲劇」が繰り返されるのではないだろうか。うーん。平和学の本義は、貧困の撲滅と地球市民の育成だと私は信じているのだが、現実的には、山田氏や池内氏のような様々な見方も必要だと思うのだ。
代休の日の午後、ナイロビの悲劇を想起しつつ、こんな思索をしていた。
2013年9月24日火曜日
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