昭和天皇第四部の文庫本を先日読み終えた。第四部は、5・15事件から2・26事件にいたる日々について書かれている。一言で内容を述べると、昭和天皇は、陸軍にとって最大の抵抗勢力だったということだ。全編を通じて、辛辣な昭和天皇の御下問が、これでもかというほど描かれている。侍従武官は大変だったろう。私などの年代は、昭和天皇の好々爺的なイメージが強いが、この頃の天皇は極めて生真面目に軍部の台頭に心を痛めておられたことがわかる。昭和天皇にとっては、皇道派も統制派も同じ。明治帝以来の、軍人は政治に口を出さないという本義を逸脱した存在であったわけだ。
永田鉄山の惨殺事件の際、犯人の相沢は悠々と軍務局を歩き回っており、駆けつけた憲兵は、相沢をなだめるようにして分隊へ連れて行ったという。当時の軍務局は、凶行を止めれなかったし、軍人が国家のためになした行為は、テロであろうと全て正義であるという幻想に囚われていた故に、犯人を確保するという、基本的な秩序すら失っていたわけだ。まるで、尊皇攘夷派の志士が闊歩する、会津や新撰組が存在しない京都である。まさに、狂気の時代だといえる。
さて、私が本巻で最も印象に残った話を書きたい。この永田鉄山惨殺事件の直後、イギリス政府最高財政顧問サー・フレデリック・リース=ロスが来日した。彼は当時財務相だったチェンバレンの親友で輝かしい経歴をもつ財政家であった。チェンバレンは、ナチス=ドイツの脅威に対抗するため日本と融和を進める必要があると考えていた。そこで、リース・ロスは、日本に中国への共同借款を持ちかけてきたのだ。当時、中国は世界不況のため経済が混乱しており、銀本位制の不備から国家として経済政策を推進できなかった。そこで、日英共同の借款を資金として中央銀行を設立する。その引き換えに、イギリスと中国は満州国を承認する。さらに国際連盟への日本の復帰を進めるという、当時の日本にとって願ってもない提案をしてきたのだ。
高橋是清大蔵大臣は、このイギリスの英断を賞賛した。ところが、外務省の対応は、陸軍寄りで大蔵省と全く異なった対応に出た。外務次官の重光葵は細かい点にこだわり、説明や保証を求めた。さらにとどめの一撃を与えたのが、外務大臣の広田弘毅だった。「イギリスが口を出すことではない。」と断言したのである。著者は、こう書く。『後の展開を考えれば、広田の一言が、日本を滅ぼした、と言ってもよいかもしれない。その罪はあらゆる軍の将帥より重いと云い得るだろう。』
この話を私は恥かしながら初めて知った。実は、ずっと以前に城山三郎の「落日燃ゆ」を読んで以来、A級戦犯の中に広田弘毅が入っていることは、私にとって不可解であったが、後の首相時代を始め、軍部に追従した名門出でない官僚としての罪はやはり大きいのだと思った次第。昭和天皇も、独白録の中で、広田に対してはかなり批判的に見ておられるらしい。
…さて、このところ歴史認識についての議論が韓国、アメリカなどからも出てきている。靖国参拝の問題は、つまるところA級戦犯の合祀である。東京裁判自体の批判もあるが、昭和天皇も合祀以来、靖国に行かれることはなかった。昭和天皇のA級戦犯を始めとした「政治に口出しをした軍部」への尋常でない怒りを、この第四部は明らかにしている。
…もうひとつ、現場の教師として腑に落ちないことがある。歴史認識の問題は、いじめの問題と本質的につながっているのではないかということである。いじめというのは、いじめられた本人がいじめだと主張すればいじめなのである。(文部科学省の定義には、「いじめられた者の立場にたって行うものとする。」とある。)中国や韓国の言う歴史認識問題も、被害を受けた側の立場に立つというのが本義ではないか。政府の見解は、矛盾していると思うのだ。
<文部科学省のいじめの定義>
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2012/07/18/1304156_01.pdf
…外交上の問題、政治上の問題と詭弁を弄するなかれ。ナショナリズムは時として、狂気と化す。正義を振りかざすなかれ。論理的矛盾が露呈する。政治家は自分の発言に責任を持つべきだ。そのことを歴史は教えてくれる。
2013年5月14日火曜日
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