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まず、ソマリ人という存在である。旧イギリス領のソマリランドは、まさに遊牧民の世界である。産業らしい産業もなく、エリトリアの独立で内陸国となってしまったエチオピアの外港としてベルベラがあるくらいである。ここの人々は、氏族の長老の和解によって、武装解除され平和になっている。彼らは、かなり単刀直入な性格で、エゴイストである。思考と行動が極端なまでに早い。イネやムギが育つのを辛抱強く待つ農民と違い、半砂漠に暮らす遊牧民は乏しい草や水が今どこにあるのか、瞬時に判断して家畜を連れて移動しなければならない。基本的に1人か1家族で動くから、自分が主張しなければ誰も守ってくれない。-遊牧民は荒っぽくなければ生きていけない。速くなければ生きていいる資格がない-という感じなのだ。著者の描くソマリ人、とくにソマリランドの人々の生きざまには恐れ入る。(ただし、後半部で南部の今も戦乱続く首都モガディショのソマリ人は、都人(ミヤコビト)であり配慮あふれる非遊牧民的な資質を持っている。)
また何度もカートの話が出てくる。カートとは、酒が禁止されているイスラム圏の中でソマリア以外にもイエメンやケニア、エチオピアなどで食される麻薬性覚せい性のある茶の葉っぱである。著者は、ソマリ人の探究のためにカートを食べまくる。ラクダの乳などとともに食するのだが、かなり幸福感や高揚感が出るらしい。禁止しているイスラム国もあるらしいが、ソマリアではフツーの光景である。どういう世界なのか、想像力をかきたてられる。
ところで、この本では、ソマリア全体の氏族の話がかなり出てくる。著者は、あくまで記号としてだが、日本の藤原氏や源氏、平氏などといった名称を氏族名に付加している。たとえば「イサック奥州藤原氏」「ハウイエ源氏」というふうだ。最初はかなり違和感があったのだが、結局理解しやすかったと思う。学術書なら絶対こういう真似はできまいと思う。この(日本の氏族名を付加するという)記号のおかげで、ソマリアの氏族というものがおぼろげながら解ってくる。
前半部では、ソマリランドを中心に、後半部では海賊騒動を主におこしているアフリカの角の部分にあたるブントランド、そして首都があり今も戦闘が続く南部について書かれている。最後にまたソマリランドに戻り、例の武装解除の謎が完全に解き明かされていく。そういう構成になっている。
とても1回や2回のエントリーでは書評らしきものは書けそうもない。第2回目のエントリー、読後感として残った4つの柱。まずはここまで。
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