2011年10月29日土曜日

書評「菊の御紋章と火炎ビン」

佐々淳行氏の『菊の御紋章と火炎ビン』(文春文庫)を読んだ。佐々氏がこれまで書くのを躊躇していた昭和50年の、皇太子(今上天皇)ご夫妻の沖縄訪問での警備、三重県本部長に左遷させられた後の国体警備(皇室警備)の話がメインである。この昭和50年という年は、昭和天皇の訪米もあって天皇制打倒の新左翼運動が燃え上がった年である。おそらく、日本の危機管理に対する佐々氏の遺言に近いものであろうと思われる。その熱い想いが伝わってくる一冊だった。

私が読後に特に感じたことを2点書きたいと思う。1点目は、沖縄の「ひめゆりの塔」火炎ビン事件の真相と、返還後3年目の「ウチナンチュー」についてである。この事件、私が高校生の時の話ですっかり忘れていた。皇太子夫妻に、沖縄解放同盟のTと共産同・戦旗派のKが火炎ビンを投げつけた事件である。この塔のすぐ近くに洞窟があり、そこから投げつけたものだ。佐々氏は事前にこの洞窟の探索を指示したのだが、ここは沖縄戦の時女学生が殺された聖域だということで、警察の探索は大反対され実施できなかったのだという。沖縄が返還されて3年目の沖縄は、まだまだ本土の人間(ヤマトンチュー)に対して恨みつらみが大きく残っていた。皇太子夫妻は、そんな中昭和天皇の代りに沖縄訪問をされたのだった。結局、その警備の責任を佐々氏は取らされる。この辺の内閣(三木政権)や警察庁の馬鹿さ加減・保身も悲しいが、皇太子ご夫妻の佐々氏への思いやりはやはり凄いと言わざるを得ない。もちろん、火炎ビンにもひるまぬ誇り高い行動も凄いと言わざるを得ない。私は、昭和天皇の様々な本を読んで、最近、こういう皇室讃美を正しいものだと思うようになってきた。
と、ともに沖縄の人々の、薩摩藩以来の搾取、WWⅡの沖縄戦、戦後のアメリカ支配と基地という歴史的な問題を改めて考えずにはおれないのだ。この「ひめゆりの塔」事件は、沖縄は日本なのだという分岐点となった事件のように思える。それが今、浅はかな認識の前々首相の基地問題発言で、完全に戻ってしまったのではないかと私は思ってしまった。佐々氏は、その辺についてシビアだ。前首相や前官房長官は、全共闘時代の総括をせよ。浅はかな認識で政権を担うなと手厳しい。ヤマトンチューである私の限界だと先に述べたうえで、前々首相の「少なくとも県外」発言は万死に値する混乱を招いたと思うのだ。発言の浅さが、沖縄の人々の心を逆なでしている。私が沖縄の人間なら、絶対許さないだろうと思う。復帰3年目の沖縄の姿、この本には見事に描いてくれている。

2点目。こんなこと書いていいのかと思った事実。それは佐々氏が内閣安全保障室長として昭和天皇の崩御から大喪の礼に関わった時の、昭和天皇の御陵の副葬品についての話だ。エジプトのファラオではないが、副葬品目当ての犯罪者が現れたらびっくりするだろうと佐々氏は言う。『そこには動物図鑑、植物図鑑、古い曲がったツルの眼鏡、ルーペ、そして大相撲の番付表…清貧に甘んじた立派な天皇だった。』とある。私は、感激した。

佐々氏は、「権力なき権威」の天皇制を日本民族の危機管理のための大切な「機関」と位置付けている。私は、なるほど…そういう視点もあるよなあと感心しているのである。

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