2024年11月12日火曜日

南アのダイヤモンド鉱山の話

https://science-stock.com/graphite-diamond/
TG高校の地理特別講義の日である。20分前くらいに講義をする小教室に行くと、地理を教えている理系の生徒が、文系の生徒を相手に化学の結合について講義していた。(笑)なかなかわかり易く説明していて、感動した。ダイヤモンドが何故硬いのか、良くわかった。共有結合というらしい。

例によって、模試の問題の解答&解説をしていたのだが、いつものように脱線しながら話を進めていった。うまく講義前のダイヤモンドの話を結合できないものかと考えていたのだが、ジニ係数の話を最後にすることにした。昨日のブログで記した、世界で最もジニ係数が高いのは何処かを問うた。何度目かの解答で南アの名前が出た。

で、南アといえば産業は何かと問うと、ダイヤモンドときた。今は白金のほうが多いのだがちょうどいい。生徒は、化学の結合のことは知っているが、そもそも天然のダイヤモンド鉱山の様子は知らない。私も、南アでのツアーで鉱山を見学したから知っているに過ぎない。

簡単に言ってしまうと、火山の噴火口に溜まった冷えたマグマの中にダイヤモンド鉱石は存在しているのだ。それを掘り、水で洗い流しながら、鉱石を探すのである。最後には地表に空いた巨大な穴となる。鉱山での最も大きいダイヤモンドの価格はいくらか?(最初に買い手が価格を言ってからスタートになるらしい。)といった話なども交えて今日の講義を終えたのだった。少人数でやり取りが活発にできる授業は、面白い。

2024年11月11日月曜日

南アのジニ係数 0.630

https://africa-keizai.com/income-disparity_poverty_south-africa/
地理総合では、グローバル化を中心に授業をしている。ジニ係数についても、教えている。グローバル化の最大のデメリットは、国内ならびに、先進国と途上国の経済格差が共に拡大することだ。国内の格差はジニ係数で、国家間の格差はHDIで比較するのが、高校の授業としては最も適当だと思う。

そのジニ係数、世界で最も数値が高い(=格差が大きい)のは、南アで0.630である。(ジニ係数の最大は1、完全平等は0となる。)アフリカ哲学全史で、南アのマンデラやツツのアパルトヘイト後の思想「ウプントゥ」について深く学んできたが、現状は実に厳しいわけだ。

https://africa-keizai.com/income-disparity_poverty_south-africa/
南アのジニ係数が高い理由について、ある生徒から「何故ですか?」という質問を受けた。直感で、「鉱山を所有しているような少数の富裕層がいるからだと思う。」と答えたのだが、資料を見ると、たしかに所得の上位10%が、全体の50%を占めている。

南アに行った時、プレトリアのゲストハウス(まあ安宿である。)の黒人スタッフが大学出であったことだ。彼には、いろいろと教えてもらって助かったのだが、およそホワイトカラーとして活躍していても不思議ではないのに、良い職がなかったのだろう。今はどうしているだろうか。中間層としてそれなりの暮らし向きであればいいのだが…。

庭でラジオを聞きながら、英語のコミックを電訳機を片手に読んでいたら、掃除のオバサンが、「そのラジオは日本製?いくらくらいするの?」と聞いてきた。最も安いラジオで、1000円くらいだった。当時のランド(南アの通貨)に換算して答えると、「私の給料ではとても買えないわ。」と言ってきた。「ジンバブエに行って、もう一度このゲストハウスに戻ってくるから、その時プレゼントするよ。」と言ったら大喜び。ジンバブエから戻ってきたら私の名を呼び、ハグしてきた。(笑)翌日、彼女は、腰に私のラジオを結びつけてご機嫌で掃除に勤しんでいた。彼女の所得はあれから少しでも向上したのだろうか。

南アのジニ係数について、理論上の話ではなく、現実の体験からそんな危惧を抱いたのだった。

2024年11月10日日曜日

サニー号のボトルシップ

https://www.youtube.com/watch?v=xgpdZ0iIo9Q&t=39s
期末試験を作っていたが、ちょっと休憩。YouTubeで、粘土細工で、ワンピースのサニー号をつくりボトルシップにするコンテンツを発見。いやあ、凄い。粘土細工の技も凄いし、凄い集中力と根気である。とてもマネできない。なかなか良いものを見せてもらった。
https://www.youtube.com/watch?v=xgpdZ0iIo9Q&t=39s

2024年11月9日土曜日

「本格的一神教」の伝統 考

https://www.osanaki-iezusu.or.jp/shoukai06/shudokainitsuie06/newpage2.htm
学院の各教室や職員室に、次のような言葉は書かれた額がある。「キリストに信頼し、愛の実践に生きる」創立者・レーヌアンティエが遺した学院の建学の精神だとわかった。この日本語の表現、私には長い間、どうも腑に落ちなかった。「キリストに」ではなく、「キリストを」ではないのか。助詞の問題である。何人かの先生に聞いても明確な答えがなかったのだ。

カトリック教育主担のM先生が、この謎を解いてくれた。「キリストを」では、いくつかの神のうちの1つを選ぶことになる。「キリストに」となると唯一の存在となる、と。

昨日のブログでエントリーした「本核的一神教」の話につながってくる。神を選ぶのではなく、神に選ばれるという思想は、カトリックにも伝統的に生きていたのだった。当然と言えば当然の話ではあるが…。昨日のブログで、この件も記しておきたかったのだが長くなったので、あえて分けてエントリーした次第。本日の画像は、創立母体の故郷、フランスのショファイユという街である。

2024年11月8日金曜日

聖書学から見た旧約聖書3

加藤隆氏の100分de名著「旧約聖書」の書評第3回目。ユダヤ教は一神教である・選民思想を持っている・律法主義である、というのが高校の倫理で教える知識ではあるが、聖書学から、また歴史神学から見た場合、実はそんな簡単な話ではない。

前述のソロモンの栄華以降、イスラエル統一王国は、南北に分裂する。南のユダ王国は、前述のように出エジプトの子孫である。北のイスラエル王国は、ヤハウエを受け入れた先住民の子孫である。北王国では、やがて多神教的な王が出てきたりして、それが原因かはともかく、アッシリアに攻め込まれ、先に滅びてしまう。南王国でも、その傾向が見られ、バビロニアに滅ぼされてしまう。

「人が神を選ぶことができる」というスタンスから多神教信仰が生まれてくると、著者は分析する。この時はまだ「普通の一神教」であった。こうした状況の中で、ヤハウェを見限る者が北王国はもちろん、南王国にも多数いたのではないかと著者は見る。しかし、このような苦難に際し、何もしてくれなかったヤハウェに対し、「人が神を選ぶことができる」という前提を捨て、「神が人を選ぶ」のであって、何があろうともユダヤ民族の神はヤハウェのみ、とする堅固な「本格的一神教」が成立する。選民思想というのは、こういう風に生まれたわけだ。しかも、神が救ってくれなかったことは、自分たちの罪であって、神の責任ではない、という「罪の思想」が育まれていく。

ユダヤの民が、罪の状態にある故に、神は(民の苦難に)沈黙した。そこでなすべきこと=掟が定められ、神の前の義として、ヨシア王による「申命記的掟」が定められていく。律法主義の成立である。聖書の編纂はまだで、B.C5~4世紀に五書が編纂されるのだが、モーセが死ぬ前に述べた長い掟、それが五書の申命記の最後に記されている。聖書学で使われる「申命記的掟」という名称は、それ故である。著者は、面白い比喩を使っている。徳川家康が定めた掟を、聖徳太子が定めたように記述した、と。聖書は単純な性質のものではないということが窺い知れる一例だとも。

旧約聖書は複雑極まりない内容なのだが、あえて代表的テキストを挙げよと言われたら、多分に権威的かつ伝統的な立場から、申命記の6章4~5(または~9)となるそうだ。『聞け、イスラエルよ、我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』この言葉は、「シェマの祈り」(熱心なユダヤ教徒が朝夕唱える)の冒頭部分で、これに申命記の11章13~21、民数記の15章37~41を合わせてテキストとなっている。

唱えるだけでなく、このテキスト(申命記の2つのテキストと出エジプト記の13章1~16)を記した羊皮紙を小さな箱(テフィラ)にいれ、祈りの際に額や左腕に取り付ける事になっている。(上記画像参照)ちなみに、出エジプト記13章の1~6は、エジプトから出発する時のモーセへの命令とそれを民に伝えた内容である。

ちなみに、かの有名な「モーセの十戒」は、申命記の5章にある。また「7年毎に負債を解消し奴隷を解放しなければならない。」は申命記15章に、「三大祝祭日(過越祭・七週祭・仮庵祭)にはエルサレムに行かなければならない。」は申命記16章に、「戦争の時は町の住民を皆殺しにしなけれなならない。」は申命記20章に記されている。

…私は、エルサレムの嘆きの壁で、テフィラを付けた超正統派の人々の姿を目撃した。彼の額と左腕には前述の羊皮紙に記されたテキストが入っていたのであろう。またティベリアという街のホテルの屋上で、朝の礼拝をしている超正統派の人も目撃した。(上記画像)この時、唱えていたのは、前述の「シェマの祈り」であったのだろうと思うと、なんとも感無量である。

2024年11月7日木曜日

米大統領選 G先生との対話

https://www.bbc.com/japanese/articles/c3vld20437ro
アメリカの大統領選挙は、トランプの圧勝で早々と結果が出た。前回のなにやら胡散臭い大混乱の流れとは違い、少し驚いた。

学院で英語を教えているボストン出身のG先生と、この結果について、対話する機会があった。彼は、国外にいながら投票用紙をメールで受取り、PDF化して投票したらしい。日本の場合は、大使館に出向く必要があるとマレーシアでの体験を話すと驚いていた。出身地から推察するに、本来なら民主党支持なのだろうが、さすがにバイデン政権の政策には危機感を持っているようであった。トランプが当選したことに対しては、どちらがなってもアメリカのこれからに危機感を表明していた。

私などは、さすがに異常なまでの移民の受け入れに、国民の批判が集まったのではないかと意見を述べた。アメリカでは、税金の申請は、個人がそれぞれ行う。天引きする日本と違い、税金の使い道に対してシビアである。彼らの税金が移民対策に莫大に使われていることに、かなり批判が集まったと思うのだ。しかもバイデン政権下でアメリカは、ウクライナ紛争やイスラエルの紛争に巻き込まれている。トランプの4年間は、少なくとも軍事行動はなかった。もしかしたら、ウクライナ紛争を仲介できるかもしれない。

2人の対話の結論は、トランプはビジネスマンであり、その良さが活かされるかどうかにかかっているということ、民主党の次期候補は、リベラルであり、しかもトランプとも親密で保守的な発想も併せ持つ中間派のケネディがいいのではないか、ということで落ち着いたのだった。

聖書学から見た旧約聖書2

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/82041
加藤隆氏の100分de名著「旧約聖書」の書評第2回目。ダビデもなかなかスキャンダラスな話(水浴びをしていた軍人の妻を見初め、夫を最前線に送り戦死させ、妻とし、ソロモンを産ませた。)がある。このへんは、歴代誌とサムエル記の記述が食い違うところで、なかなか興味深い。ソロモン王は、「ソロモンの栄華」という言葉があるくらい、ユーフラテス川からエジプトとの国教まで領土を拡大し、神殿も作り上げている。さらに王妃700人、側室300人との記述(列王記)とあるのは、軍事的だけでなく外交的にも多民族を支配下におさめようという政治的意欲の表れではないかと著者は記している。このソロモンの王権が充実したことと、創世記冒頭のエピソードは、関連しており、賛美ないし批判のたとえ話だと考えるべきだと、著者は記している。

「エデンの園」は、知恵を持つことで、神のようになった人間が出現し、神との断絶が生じた/ソロモン王の知恵による王的支配の批判。「カインとアベル」は、人でありながら、神のように振る舞う者に神が保護を与える(弟殺しの兄カインは、追放されたものの、後に手厚く保護される。)/ソロモン王への賛美。「ノア」の方舟は、神殿を意味し、賛美。「バベルの塔」は、神殿批判。領土拡張による多言語状況の出現で生じる混乱の指摘。ソロモン王の政治のあり方への批判。

…思っても見なかった視点で、実に興味深い。ところで、全くの偶然だと思うが、今日、ある生徒が大学の志願書を見てほしいと持ってきたので、昼休みに少し指導した。そこに、ブリューゲルの「バベルの塔」を見て感激し、西洋史を志したとあった。たしかに歴史に残る名画である。(画像参照)これが、ソロモン王の野心への批判という説があるのだよ、などとは言えなかった次第。(笑)

2024年11月6日水曜日

聖書学から見た旧約聖書1

https://israel.bona.jp/wp/archives/3761/
加藤隆氏の100分de名著「旧約聖書」(8月14日付ブログ参照)を読んでいる。神学の分野には、組織神学や実践神学、歴史神学、そして聖書神学などがある。著者は、聖書神学がそもそも専門であるようだ。この本には、聖書学から見た旧約聖書とも言うべき内容がたくさんあって、実に興味深い。

まずは、ユダヤ教の聖書はヘブライ語の聖書であること。キリスト教の旧約聖書は、ギリシア語に翻訳された「七十人訳聖書」であること。1世紀末にユダヤ教知識人が「ヤムニア会議」で、ヘブライ語で書かれた39の文書で構成されると決定した。これがユダヤ教とキリスト教の分裂の時期である。キリスト教の旧約聖書(=七十人訳聖書)には、それ以前の文書(外典:トビト記や知恵の書など)も含まれている。但し、キリスト教内でもカトリックやオーソドックス、聖公会、プロテスタント各派で含まれ方に違いがある。

「出エジプト」によって、ユダヤ教が成立するが、同時に同じ神を信仰する集団としてのユダヤ民族が成立する。その後、長い荒野の放浪を経て、カナンの地の先住民を征服するのだが、先住民を平等に扱うことを基本とした。ここで生まれたのが十二部族で、それぞれ自治を行いながら部族連合を形成する。ヨシュア記によれば、カナンの全住民をシケムという地に集めヤハウェを信仰することを確認する。この時のヨシュアの演説では、全員がエジプトから逃れてきたように述べられているが、征服者も先住者も平等であることを宣言したと考えるべきだと著者は記している。

協力な敵が現れたときは、「士師」(しし)という臨時の将軍を選び戦うことも決められた。この十二部族は、平等という原則ながらも、南の二部族(ユダ・ベンヤミン:出エジプト者)と北の十部族(ルペン・シメオンなど:先住民)+支配地を持たない祭司職・レビ族に区分されていた。やがて、強大な敵に対し王国を形成し、協力な支配者を得る必要性に迫られる。士師の時代にアビメレクという実力者が登場するが家柄が良くないということで、サムエルという預言者(王国の政治顧問のような役割)が、ベンヤミン族のサウルを王とし、「頭に油を注がれ」最初の王となった。しかし王国建設はうまくいかず、血縁のないダビデが「イスラエル統一王国」(後のイスラエル王国と区別する為こう呼ぶ)を築く。さらにその子ソロモンが継ぐのである。ここで重要なことは、ダビデの子孫が王となることが決まるが、最初の王はダビデとは血縁がない。聖書には、常識的なことがひっくり返るようなことが書かれていると著者は分析している。

さて、この、頭に油を注がれた者=王というのが、ヘブライ語のメシアであり、ギリシア語ではクリストスである。日本語ではキリストとなるが、救世主と訳すより、ダビデ王朝の王、イスラエル民族の政治的軍事的指導者と言ったほうが適している、とのこと。また王は神の子とされ、権力が保証されていた。…つづく。

2024年11月5日火曜日

「佳作の人」の世界一

残念ながら、学園のサッカー部が決勝に残れなかった。昨日はちょっとショックでブログが書けなかったほどだ。昔、H高校の野球部の監督をしていたD先生が、よく「勝負師」という言葉を使っていた。部活で全国を目指すくらいの先生は、勝負師的な精神の持ち主であろうと勝手に思っている。学園のサッカー部や野球部の監督もそうに違いない。昨日の試合など、最後の最後、シュートがバーに嫌われたが、入っていいれば同点、その後勝っていたかもしれない。高校の部活はつくづく紙一重の戦いのように思う。

私は、実は牡羊座で、星占いによると、生まれつきのレーサーらしい。勝負にこだわり、スポーツ選手に向いているとのこと。だが、私は「佳作の人」(2013年7月2日付ブログ参照)である。優勝とか、第1位とかには縁が無いし、そういう勝負には、歳を重ねて、ますます淡白になっている。(笑)

そういう私なのだが、昨年末からハマっているPCの無料ゲーム「City Island6」の、3日間限定のトライアウト・ゲームで、昨日ほんの一瞬だが「世界一」になった。(画像参照)もちろん、無課金だし、その後は順位を下げているし、別に世界一でありたいなどとはつゆにも思っていない。(笑)だが、せっかくなのでその画像を保存しておいたのだった。

学園のサッカー部も野球部と共によく頑張ってくれたと思う。本物の文武両道の学園の誉れである。これからもずっと応援していきたいと思う。3年生は、受験では絶対勝利して欲しい。

2024年11月3日日曜日

デリダの「ウプントゥ」批判

久しぶりに「アフリカ哲学全史」(河野哲也著/ちくま新書)の書評。第10章にあるマンデラの「ウプントゥ」に対するデリダの批判について記しておきたい。フランスの高名な現代哲学者が、アパルトヘイト後の真実和解委員会をキリスト教に偏向しているのではないかと批判したのである。

確かに真実和解委員会の議長は、聖公会(=英国国教会)の聖職者・ツツだったし、当初祈りや讃美歌などの儀式も行っていたようだが、徐々に払拭されていったし、教会とは無関係であった。マンデラ自身はメソジスト系の学校で教育を受けているが、ウプントゥと対比して低い評価を与えている。デリダのキリスト教偏向という批判には、ある程度妥当性があるとはいえ、ウプントゥを「和解」の同義語をして翻訳されている以上、間違っているといえよう。デリダは、アパルトヘイト廃止以前から存在していたウプントゥの哲学的倫理学的論考を自著の中で参照した跡がなく、あれほど言葉の使用に厳しく、レトリックを華麗に駆使する哲学者らしからぬ、軽々しさを感じると著者は記している。ちなみに、このデリダの著作は『世紀と赦し』(1999)で、リクールに批判され議論となり、『赦すこと:赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの』(本日の画像参照)において、「赦しはただ赦され得ぬものを赦す」ことと定式化している。

ウプントゥの考えが、和解や修復的司法に親近性を持つのは、アフリカの伝統的村落社会の紛争の解決がそれに近いからである。ここで、アフリカ文化人類学者として私が尊敬する松田素二先生の指摘が登場する。松田先生は、アフリカの紛争解決には2つの原則があるとされ、第1の原則は「癒しと共生」の原則で、処罰ではなく、加害者受容を優先する点。加害者個人に罪を帰責せずに共同体に最受容するための社会的手続きに創意工夫を凝らすこと。第2の原則は、真実の複数性の原則で、物証に支えられた唯一の真実よりも和解の追求を優先する。交渉折衝によって変異する真実に基づく集合的判定を重視すること、である。この指摘は、真実和解委員会に見られ、またマンデラやツツの発言の随所に見られる。

修復的司法は、現在80ほどの国で何らかのカタチで実施されているが、先住民族や多民族問題をかかえた国である。ユダヤ人であるデリダは、赦しをめぐるアブラハム的なモデル(ユダヤ的)に対して、キリスト教的モデルを優位に立たせようとするものだ、と批判した。デリダは、真実和解委員会の和解の過程は、ヘーゲル的な亡霊(西洋化・キリスト教化・白人化によってアフリカ人は解放に至るという予言)に従ってしまっているのではないかと示唆している。著者は、あくまでユダヤ人のスタンスから論じているとしている。デリダは、自分の一方的な視点からマンデラやツツ、そしてアフリカ哲学を解釈し、ユダヤ教対キリスト教の図式に当てはめたに過ぎないと批判的である。…なるほどと私も思う。

ちなみに、ユダヤ人哲学者つながりで、アーレントの議論も記されている。赦しは復讐の対局にあり、赦し得ないものには赦しの議論から外される。復讐の念を持ち続けるべき対象を罰したり赦したりすることで、その念を終わらせるわけにはいかない、と「人間に条件」第5章に書かれている。また日記(1950年6月)には、「許しと和解は根本的に異なる行為である。赦しは一方的であり、垂直な関係として成りたち、平等を破壊する。これは人間的な関わりの根底を破壊する。和解は水平的であり、その平等性を再建しうる。(要約)」とも書いている。

…私は、アーレントよりデリダのほうが好みなのだが、両者とも西洋哲学の基盤の上で議論しているのはは明白である。こうしてアフリカ哲学を学んでいるとだんだん、西洋哲学に嫌気が差してくる。(笑)

2024年11月2日土曜日

学園サッカー部 逆転勝利

https://www.youtube.com/live/scCYJ37GX4A
学園のサッカー部が、全国大会兵庫県予選でベスト4に進出した。雨と強風の中、日頃鍛えた技術が発揮できないのは両チームとも同じ。特にスローインのハネ具合が極端に短くなったりして、敵チームの足元に行ったり、クリアはラグビーのようにラインアウトを繰り返さねばならない苦しい試合だったと思う。

前半は0-0。後半の15分頃にPKを与えてしまった。しかし後半残り僅かのところで、コーナーキックの混戦を制してゴール。同点に追いついた。さらにその後同じくコーナーキックから、相手チームのキーパー(彼もかなり上手かったことをあえて記しておく。)が弾いたボールがオウンゴールとなったように私には見えた。雨と追い風を受けながら、普段ならならないのに、そうなったのだろう。

ともかくも逆転勝利で、4日の準決勝進出だ。今度こそ、と応援したいと思う。

天才の怒り 最後の審判

https://www.artpedia.asia/the-last-judgment/
「名画で見る聖書の世界<新約編>」(西岡文彦/講談社)の書評もいよいよ最終回となった。ミケランジェロの「最後の審判」(バチカンのシスティナ礼拝堂)には、様々なエピソードが秘められている。

中央上部に怒れるキリスト、左に天国に召される人々、右側に地獄に落とされる人々が描かれているのだが、1541年の除幕式では、あまりの迫力に参列者の悲鳴が堂内を満たし、法王は思わず膝まずき「神よ赦し給え」と祈りをつぶやいたらしい。映画もTVもカラー写真もなく、絵画さえ一般人が家庭で見ることはなかった当時、この巨大な壁画のインパクトは、我々の想像をはるかに超えるものっだたようだ。

圧巻なのは、400人近い筋肉美の裸体。完成後、教会の決定で裸体に腰布が40箇所、ミケランジェロの弟子によって加筆されたが、近年の修復で取り去られている。また30年後に法王は取り壊しを考慮したが、当時の画家組合の反対で守られた。

この大壁画は、反宗教改革のビジュアル戦略の切り札として最高の名声を誇っていたミケランジェロに依頼したわけだが、伝統的な教会の権威を補強するどころか、羽を持たない天使、後光のない聖人などが、地獄に落ちる罪人と区別できない混沌が渦巻いている。

法王庁の儀典長は、地獄の王ミノスの顔に描かれ、法王に描き治すよう直訴したが、「いかに私でも、地獄のことは請け負いかねる。」と笑って相手にしなかったという。ミケランジェロ自身も、生皮を剥がれて殉教した聖バルトマイ、さらに目からウロコで有名なサウロ(=パウロ)の改心に自画像をしたためている。ミケランジェロ自身は、卑下するような歪んだ自画像が多いのだが、実際ダビンチとのような美貌には恵まれず、かなりのコンプレックスがあったようだ。このコンプレックスが、肉体美を理想美としたようである。

このミケランジェロの「最後の審判」は、怒りに満ちており、ルター派への反宗教改革の怒りにしては長深すぎると著者は記している。本来の信仰を見失っているという点でカトリック教会に向けられたものではなかったか。彼らの「最後の審判」に対する無理解と反感はミケランジェロの真意に対する無意識な理解だったかもしれない、とも。

2024年11月1日金曜日

気の早い期末試験後の話

https://www.irasutoya.com/2015/09/blog-post_961.html
明日から三連休である。この三連休は、気の早い話だが期末考査の問題づくりをするつもりである。中間考査はかなり厳しい問題にしたので、期末考査は緩い問題で行こうと思っている。これもプロの仕事である。(笑)問題を作成していて、その後のことも考えた。超久しぶりに、アフリカ開発経済学的な、今風に言えばグループでの「探求」学習にしようと思う。もちろん、特進コースを除いての話だが…。

今日の授業は、私の体調や1・2年生が模擬試験だったことも鑑みて、以前から用意していた提出課題をやってもらっていたのだが、その合間に何人かの生徒に、その話を投げかけてみた。存外好評で、グループ分けについても、2クラスの学級委員に「丸投げしていいか。」と訪ねたら、「問題ありません。いいグループ分けをします。」とのこと。さすが3年生である。

パワーポイントを使うか、ポスターセッションにするかも尋ねたら、「みんなで協力し合うためにはポスターセッションの方がいいと思います。」との答え。ちょいとばかり見直したのだった。(笑)