加藤隆氏の100分de名著「旧約聖書」の書評第3回目。ユダヤ教は一神教である・選民思想を持っている・律法主義である、というのが高校の倫理で教える知識ではあるが、聖書学から、また歴史神学から見た場合、実はそんな簡単な話ではない。
前述のソロモンの栄華以降、イスラエル統一王国は、南北に分裂する。南のユダ王国は、前述のように出エジプトの子孫である。北のイスラエル王国は、ヤハウエを受け入れた先住民の子孫である。北王国では、やがて多神教的な王が出てきたりして、それが原因かはともかく、アッシリアに攻め込まれ、先に滅びてしまう。南王国でも、その傾向が見られ、バビロニアに滅ぼされてしまう。
「人が神を選ぶことができる」というスタンスから多神教信仰が生まれてくると、著者は分析する。この時はまだ「普通の一神教」であった。こうした状況の中で、ヤハウェを見限る者が北王国はもちろん、南王国にも多数いたのではないかと著者は見る。しかし、このような苦難に際し、何もしてくれなかったヤハウェに対し、「人が神を選ぶことができる」という前提を捨て、「神が人を選ぶ」のであって、何があろうともユダヤ民族の神はヤハウェのみ、とする堅固な「本格的一神教」が成立する。選民思想というのは、こういう風に生まれたわけだ。しかも、神が救ってくれなかったことは、自分たちの罪であって、神の責任ではない、という「罪の思想」が育まれていく。
ユダヤの民が、罪の状態にある故に、神は(民の苦難に)沈黙した。そこでなすべきこと=掟が定められ、神の前の義として、ヨシア王による「申命記的掟」が定められていく。律法主義の成立である。聖書の編纂はまだで、B.C5~4世紀に五書が編纂されるのだが、モーセが死ぬ前に述べた長い掟、それが五書の申命記の最後に記されている。聖書学で使われる「申命記的掟」という名称は、それ故である。著者は、面白い比喩を使っている。徳川家康が定めた掟を、聖徳太子が定めたように記述した、と。聖書は単純な性質のものではないということが窺い知れる一例だとも。
旧約聖書は複雑極まりない内容なのだが、あえて代表的テキストを挙げよと言われたら、多分に権威的かつ伝統的な立場から、申命記の6章4~5(または~9)となるそうだ。『聞け、イスラエルよ、我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』この言葉は、「シェマの祈り」(熱心なユダヤ教徒が朝夕唱える)の冒頭部分で、これに申命記の11章13~21、民数記の15章37~41を合わせてテキストとなっている。
唱えるだけでなく、このテキスト(申命記の2つのテキストと出エジプト記の13章1~16)を記した羊皮紙を小さな箱(テフィラ)にいれ、祈りの際に額や左腕に取り付ける事になっている。(上記画像参照)ちなみに、出エジプト記13章の1~6は、エジプトから出発する時のモーセへの命令とそれを民に伝えた内容である。
ちなみに、かの有名な「モーセの十戒」は、申命記の5章にある。また「7年毎に負債を解消し奴隷を解放しなければならない。」は申命記15章に、「三大祝祭日(過越祭・七週祭・仮庵祭)にはエルサレムに行かなければならない。」は申命記16章に、「戦争の時は町の住民を皆殺しにしなけれなならない。」は申命記20章に記されている。
…私は、エルサレムの嘆きの壁で、テフィラを付けた超正統派の人々の姿を目撃した。彼の額と左腕には前述の羊皮紙に記されたテキストが入っていたのであろう。またティベリアという街のホテルの屋上で、朝の礼拝をしている超正統派の人も目撃した。(上記画像)この時、唱えていたのは、前述の「シェマの祈り」であったのだろうと思うと、なんとも感無量である。