ホートンの哲学は楽天的で普遍主義的だと言われるが、その理由は彼の人種概念が現代的であるからで、多くのこの時代の黒人哲学者が宗教的な立場から対抗したが、医学者である彼は、人種間の生理的・医学的差異が大きな意味を持っていないことを知っており、科学者の人種差別を直接批判の対象とした。1865年の「イギリス領内西アフリカの政治・経済ーいくつかの植民地の必要条件について」1868年の「西アフリカ諸国とその人々」でヨーロッパの一部の人類学者に反論を展開、西洋人優位の人種概念は何の根拠もないことを問題にしたのである。西洋の急速な発展は、完全に外的状況(=歴史的状況)の影響から生じた差異だと主張した。
文明化は、社会を強力にしていく。アフリカがやるべきことは、教育を強化し、キリスト教を布教し、産業を起こして、豊かになることであり、政治政策として促進すべきだと主張、彼自身、実際に金鉱山の開発に携わっている。
イギリス政府に、カナダやオーストラリアのように、西アフリカ植民地に自治を求め、アフリカ人による国家形成を唱えた最初の近代アフリカ政治思想家で、アフリカ民族主義の創始者の一人であり、「アフリカ政治思想の父」と呼ばれている。彼自身は西アフリカの可能性と発展を信じていたが、結局裏切られたのは歴史が示すとおりである。
…19世紀に、このような思想を展開し、また実践活動に勤しんでいたホートンは実に偉大であると私は思う。現リベリアとシオラレオネの実情は、その痕跡すら見いだせない。ある意味、残酷な話である。
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