2024年9月12日木曜日

アフリカ哲学 歴史編

アフリカ哲学全史の書評で、まずは歴史編。私もアフリカと言うとサブサハラ・アフリカをイメージするのだが、いわゆる古代の北アフリカの哲学は、かなり大きな影響力を持っていたことがわかった。エジプトの宇宙観などは、ギリシア哲学にも大きな影響を与えているし、キリスト教においても、アレキサンドリアの知的な集積が大きい。なにより教父と呼ばれる人々の神学の発展は、アフリカから発信されたものが多い。また、イスラム神学と哲学においても同様なのだが、これらはほとんどが、ギリシア哲学、キリスト教神学、イスラム哲学というくくりの中で、アフリカという空間的把握は省かれているといってよい。これが私が今日読んだ歴史編の総括である。

いくつか印象に残った内容について記しておきたい。

その1 セネガルの歴史家・民俗学者のディオプは、ヘーゲルが「歴史哲学」の中で、アフリカには歴史がないと断定し、エジプトはアフリカには属していないと根拠なく主張したことに由来する西洋中心主義に対して、厳しく批判した。アフリカ文化はサハラの南北という明確な分断はなく、全体的な連続性・共通性をもつという論を「黒人の国家と文化」で世に問うたこと。また、バナールは、「フラック・アテナ」という著作で、西洋中心主義の古代ギリシア観を覆している。紀元前1500年以前は、エジプトやフェニキアの植民地化の結果、エーゲ海よりアフリカ・アジア地域のほうが先進的あったこと、人種至上主義が歴史を修正したと強調した。

その2 旧約聖書のセム(エジプト人やエチオピア人)・ハム(アラブ人)が、人種として分類され、アフリカ人は呪われた人々(おそらくアブラハムの追い出された長男イシュマエルを指すと思われる)であるハムの子孫とされ、近代になるとハムは白人扱いとなり、またエジプト文明をギリシア文明より下位におきたい言説ではエジプト人は黒人とされた。西洋のご都合主義も甚だしい。ちなみに、ルワンダの(同じ民族でありながら)ツチとフツに分化された話も登場している。

その3 グレコローマン時代のキリスト教神学の歴史では、現チュニジアのカルタゴ出身のテルトゥリアヌスの項で、ローマの歴史家がカルタゴに関連したことを「アフリ」と形容したことから「アフリカ」の名称が発生したことが記されていた。

…なかなか目の鱗が取れるような内容であった。いかに私自身が西洋中心主義に毒されていたかがわかる内容であった。ヘーゲルはあまり好きではないのだが、さらに嫌いになったのであった。(笑)

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