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まず、その前提として、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三宗教の中で、大別すると、ユダヤ教は律269法を遵守することが重要であるし、イスラム教にもシャリーアの法体系があり、これをフィクフ(必ず遵守すべきものから、比較的守らなくとも良いものまで分かれている。)的に各人が解釈して守っていくという信仰の基本がある。この二宗教に対して、キリスト教は、イエスによって律法の成就が行われたので、律法・シャリーアといった守るべきものへの態度は、極めて希薄である。とはいえ、その伝統はあるが、コーシャやハラルのような食のタブーはないわけだ。これは違う視点から見ると、神の設計図の如きものがないともいえる。ローマ法の伝統もあって、キリスト教圏では「社会契約説」がホッブズやロック、ルソーなどによって提示されてきた。さて、では私が驚いたカテキズムについて記していこうと思う。
279 自然法とは何ですか A.自然法とは、創造主をかたどって造られた人間が神の英知と善性に参与する道です。自然法は人格の尊さを示し、人間の基本的な権利義務となります。
…この「自然法」とは、社会契約説の基本中の基本となる概念である。古くはプラトンやトマス・アキナスが説いているらしいのだが、倫理の教師としては、社会契約論が真っ先に想起されるのは当然である。この語がカテキズムに載っているということ自体驚きであったのだが、これは不勉強のなせる業。橋爪大二郎氏によれは、至極当然の話である。https://gendai.media/articles/-/58340?page=1&imp=0
番号が遡るが、さらにこんな記述もあった。
268 「共通善」とは何ですか 269 共通善の本質的要素は何ですか A.社会生活において個人並びに団体が、自らの完成をより豊かに、また、よりよすみやかに達成できる諸条件の総体を共通善といいます。その本質的要素は三つあります。すなわち、基本的人権の尊重と推進、社会の霊的・物的善の繁栄と向上、団体とそのメンバーの平和と安全です。
…古くはアリストテレスの「政治学」で解かれているが、なんといっても近年のマッキンタイアが重視する共通善という概念まで登場していた。しかも基本的人権云々とある。うーん、カトリック、恐るべし、である。さらに番号が遡るが徳についての記述。そもそもプラトンの四元徳的な内容なのだが、プラテン哲学は昔からキリスト教神学とは親しい間柄なので驚くには値しないのだが…。
246 賢明の徳とは何ですか A.賢明の徳とは、私たちの実践理性があらゆる場合に本当の善を識別するように導き、その善を実現させるために適切な手段を選ばせる徳です。
…さすがに、これはカントの「実勢理性」であるようだ。プラトンもアリストテレスもトマス・アクィナスも関係なさそうである。ちなみに、80 には、「我らとともにいます神」(インマヌエル=イエス・キリスト/マタイ1・23)という記述があった。カントの名前(イマヌエル)は、こういう意味があったのかと驚かされたのであった。
衝撃を受けた順に、番号を無視して記してみた。私にとっては、かなりの衝撃である。勉強不足を感じる次第。ほんと、(良い意味で)カトリック神学恐るべし、である。
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