ポルトガルは、海岸部の交易で、金、胡椒、象牙、奴隷を得るのに安価なヨーロッパ製品と交換していたが、やがてオランダやイギリスとの競争に敗れていく。アメリカ大陸の奴隷需要が高まると、ヨーロッパの最大関心事は奴隷の供給に変わる。カリブ海諸島では、フランス・オランダ・イギリス・スペイン・デンマークが植民地を築き、ポルトガルはブラジルに入植型の植民地を築いた。いわゆる三角貿易でアフリカから奴隷が供給されていくのだが、アフリカ大陸において奴隷売買は、ヨーロッパの参入以前から存在しており、犯罪者や戦争捕虜が奴隷化されていた。外国へ売買されたのは主にアラブ諸国であった。しかしヨーロッパの参入は16世紀から急増し、18世紀には7433000人の奴隷売買が行われた。
西アフリカでは、強い部族が内陸に王国や帝国をつくり、弱小の部族を大西洋岸に追い落とす傾向があった。その弱小部族がヨーロッパ人に買収され、奴隷貿易に関わり、他部族との戦争や好戦的な部族に依頼したりした。18世紀には奴隷貿易に利害を持たない部族はほとんどなく、小さな集団は、西に移動しようが、東に移動しようが、奴隷狩りから身を守ることはできなかったのである。
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