彼の自伝書「告白」によると、カルタゴなどはローマの影響がかなり強いが、出身地はまだベルベル人の伝統が息づいており、父は異教徒の下級官吏、母はキリスト教徒であった。家庭内では、それでもラテン語を母語としていたようだ。(この辺が面白い。)青年期は、ラテン語や弁論術を学び、かなり奔放な生活していたことは有名で、マニ教に入信するも、弁論術の教師としてミラノに赴任した際、新プラトン主義に大きな影響を受けマニ教から離れた。同時にキリスト教に回心するのである。
アウグスティヌスは、西洋哲学史、就中、三位一体説やスコラ哲学など、かなり重要な人物だが、当然アフリカ哲学という範疇からは、語られることはない。こういった例が、いくつか紹介されている。
…アウグスティヌスがベルベル人であったというのは、ザビエルがバスク人であること同じくらいの驚きである。アウグスティヌスは授業で教えるが、不勉強で出身地まで語ることはないので初耳だったのだ。実に興味深いと私等は思うのだが…。
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