2022年6月8日水曜日

佐久間象山その2

佐久間象山とは何者か。著者・松本健一は、思想家であると結論付けている。もし幕末という変革の時代でなかったら、抜群の知識と透徹した論理力をそなえた学者だっただろうが、幕末という時代にあって、「革命思想家」だといえる、としている。

勝海舟は、象山暗殺直後に「(象山のような)学者に、(政治的)事業は出来ない。」という批評を加えていたという。これと全く同じ批評を、勝に初めて合った西郷は大久保への手紙で述べている。「(勝は)どれだけの「智略」があるのか計り知れない。まずは「英雄」申すべき人物で、この間暗殺された佐久間象山よりはるかに「事の出来」るものと思われる。たしかに学問と見識においては象山が抜群だが、彼が死んだ今となっては、勝がこれに匹敵し、政治的実力としては彼のほうが上だろう。」と。

これに関連して、本書では「宋名臣言行録」にある危機に臨んで必要とされる3つの能力(エートス:精神類型)が指摘されている。『能く見る、一なり。見て行う二なり。当に行なうべくんば必ず果決す。三なり。』象山や横井小楠はこの第一にあたる。能く見る人、すなわち思想家に他ならない。勝海舟や高杉晋作や坂本龍馬などは第二の「見て行なう」人、つまりは見者にして実行家にあたる。これに対して第三の「果決」の人は、西郷や大久保ということになると、著者は書いている。

…なるほど。第二と第三の相違は、危機後の新時代になって、その果決を得たか否かということだと思われる。高杉も龍馬も維新を見ずに死んでいる。勝は幕臣であり、徳川慶喜や篤姫などの面倒を見ることが主(一時は新政府に仕官しているが…。)で、政権運営に携わったとは言い難い。私などは、幕末維新を考えるに、この3つのエートスに、当時のエスタブリッシュメントで、第一の思想家、第二の見者・実行者、第三の果決の人を、陰に陽に支えた人もいれて、あくまで幕末、維新に貢献したという点で再構築してみたいと思う。もちろん、私の偏見と独断である。

第一の人。佐久間象山、横井小楠は当然。これにプラスするとすれば橋本左内だろうか。象山を支えたエスタブリッシュメントは、昨日記した松代藩主・真田幸貫であり、さらにペリー来航時の阿部正弘である。横井小楠と橋本左内を支えたのは、政治顧問として士官させた四賢侯の1人・松平春嶽。

第二の人。勝海舟、高杉晋作、坂本龍馬にプラスするとすれば、やはり、吉田松陰、その弟子・久坂玄瑞がまず挙げられよう。吉田松陰は第一の人のカテゴリーに入れてもおかしくないが、教育者としての側面を私は重視したい。久坂玄瑞は松下村塾の一番弟子であり、禁門の変で死んでいる。もし、生き残っていれば長州藩閥の中でもトップクラスだったであろう。さて、彼らを支えたエスタブリッシュメントは、勝に関しては、阿部正弘・大久保一爺や数々の幕臣、さらに島津斉彬の知遇も得ている。勝は毀誉褒貶が多く、最終的には徳川慶喜の側近となった。やはり「英雄」である。吉田松陰・高杉・久坂については、そうせい侯の毛利敬親である。龍馬に関しては、土佐の山内容堂ではなく松平春嶽であろう。

第三の人。西郷と大久保と、くれば木戸孝允を加えねばならない。長州ファイブで急遽帰国した伊藤と井上も入るだろうし、山縣有朋も入るだろう。薩摩なら黒田清隆・松方正義・森有礼など枚挙にいとまがない。さらに大隈重信や板垣退助、後藤象二郎なども入るだろう。公家では、岩倉具視や三条実実、長い目で見れば西園寺公望も入る(年少ながら戊辰戦争に参加している。)だろう。西郷に関しては、支えたエスタブリッシュメントは島津斉彬。西郷は人脈が凄いのだが、亡き斉彬の人脈である。大久保は島津久光。この両者の違いが歴史の妙である。だからこそ、薩摩は倒幕できたのだ私は思っている。長州は、当然毛利敬親。大隈と板垣は、鍋島閑叟や山内容堂の支援を受けたとは言い難い。上士である2人共、藩主に逆らい薩長の役に立っ働きを見せたが故の果決の人である。公家も岩倉は薩摩、三条は長州との関わりによるものである。

…幕末維新は実に多様な人物が登場している。佐久間象山も、もちろんその一人。さらに読み進んでいこうと思う。

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