2022年6月3日金曜日

スコットランドの65章 Ⅱ

https://www.travelbook.co.jp/topic/54319
そもそも、スコットランドは自然に恵まれず、中世では傭兵で有名だった。しかしイングランドとの合同後、グラスゴーを中心に北米とのタバコの貿易で栄える。商業資本による資本の蓄積があった後、様々な技術革新を行い産業資本が栄えていく。今日のエントリーはそんな話が中心。

イギリスの産業革命は、別名「スコットランド人の革命」と言われ、蒸気機関を発明・実用化したワットをはじめ、スコットランドの技師が活躍した。鉄道事業では、グラスゴー近郊の鉄道の都・スプリングバーンに蒸気機関車製造業が集中、19世紀の生産の2/3が同地で行われた。さらにもグラスゴーには、40社もの蒸気船製造業が集中した。同時にグラスゴーは、「銑鉄」製造で、イングランドのミドランズや南ウェールズを凌駕した。グラスゴーで生産された鉄鋼は1870年代の5万トンから、1911年には12万5000トンへ増大、造船も同じ期間に、20万トンから111万トンに増大した。イギリスが世界の工場と呼ばれた時代、グラスゴーは「機械の都」と呼ばれていた。

宗教・教育に熱心で、イングランドが2大学の時代に、スコットランドでは4大学を持ち実用学科目を教えていた。16世紀末には「函数」、10進法、「三角法」、円周と放物線計算などの数学的発見がなされ、18世紀後半には、スコットランド・ルネサンスと呼ばれる時代があった。化学、物理学、数学、天文学、気象学、生物学、動植物学、地理学、医学、薬学、機械工学、農学さらに人類学、社会学、心理学、経済学と様々な分野で進歩が著しかった。

大西洋航路中に海底ケーブルの敷設の発想をもったり、ナイヤガラの滝を見て水力発電の発想を得たり、絶対温度(マイナス273度)を考案・発見したグラスゴー大学のケルヴィン卿、レントゲン撮影法を発見した卿の弟子のマッキンタイヤー、「種の起源」を著したダーウィンなど、スコットランド人の自然科学者は枚挙にいとまがない。

…ベーコン以来のイギリス経験論の伝統と、プレスビテリアンとしての勤勉性がスコットランドで合体したように私には見えるのである。

しかしながら、黄金時代をすぎると、イングランドに、あるいはアメリカにと、優秀な技術者は渡っていくことになった。資金面等で、それらのますます拡大していく技術革新をささえるだけの力がすでにスコットランドにはなかったということらしい。…諸行無常である。

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