2022年6月15日水曜日

三太郎 カエレ 三太郎

押し入れの奥にある昔の教材ファイルを整理していたら、よく倫理の試験で使っていた漫画を発見した。サトウサンペイ氏のフジ三太郎。そもそもは令文社の資料集に載っていたもので、かなり前のものだ。何と言っても、三行広告がモチーフである。今の生徒には、三行広告といってもわからないだろう。死語ですな。一応解説しておくと、たった三行という短い広告スペース。(当然費用も安い)当時は、失踪した家族などの尋ね人用として使われていた。今のように情報があふれている時代では考えられないのだが…。

2コマ目は、三太郎が忙しそうなオフィスで三行広告を見て、こうつぶやいている。「三行広告は人生の縮図だなあ」三行広告に載っているヒロシやチー子はどんな理由で失踪したのであろうか。人生の縮図という言葉に深さがある。3コマ目は「オレもひとつ哲学的広告を出すか」と新聞社に向かう三太郎。4コマ目の三太郎の出した三行広告は『三太郎 カエレ 三太郎』というものであった。

うん、たしかに哲学的である。哲学と言っても実存主義、就中ハイデッガーやサルトルの哲学としっかり結びつく。三行広告の最初の三太郎は、現実と乖離した本来あるべき、望んでいる自己の姿を意味している。ハイデッガー的には本来的自己の喪失、サルトル的には実存の本質の探究。ハイデッガーなら死に至る存在を意識して生きる、サルトルなら対他存在・アンガージュマンとして生きるべきところかな。

こういう教材はめったにない。サトウサンペイ氏は偉大である。ところで、三太郎という主人公の名前はおそらく、旧制高校生の愛読の書「三太郎の日記」からとられているはずだ。そもそもが哲学的な漫画なのである。(笑)

私は、実にラッキーな人間で、こういう本来的な自己の喪失という疎外や限界状況に深く陥った経験がない。もちろん苦労はしてきたが、周囲に良き先輩や友人、後輩がいたからであると思う。

ところで、私は教科書をほとんど使わない教師で、特に専門の倫理はずっとプリントでやってきた。最近の教科書は、ハイデッガーでは、DasManなどというドイツ語で不特定多数の『ひと』、Dasainという『現存在』を表現している。共通テスト(旧センター試験)倫理の試験範囲が他の教科より暗記領域が少ないがゆえに、毎年新しい哲学者を登場させたり、こういう外来語的語彙が増加しているようである。まあ、私自身は大きな流れの理解の方が重要だと思うけど…。まあ、そんなことを言ってられないのであった。(笑)

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