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https://gyousu.love/panna-cotta/ |
大阪に帰ってきて、自動車通勤でなくなったし、こういうスィーツを食べれるようになった。甘さもちょうどいいくらいで、幸せを感じる次第。
ESDとアフリカの開発経済学をライフワークにしている元大阪市立高校教諭のブログです。ケニア、南ア・ジンバブエ、ブルキナファソに足を運びました。58歳で、マレーシアの日本語学校に3年半勤務、その後四国最西端の三崎高校公営塾塾長となり、64歳で大阪に戻り、兵庫県の私立高校の2年間を経て、4月から大阪市の私立高校にお世話になっています。 メールアドレス:bfa.katabiranotsuji@gmail.com
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https://kisspress.jp/articles/3326/ |
あるいは幕府側からのもの、将軍家や会津、彦根など、慶喜や烈公、井伊直弼、松平容保、まあ後藤象山や新選組もこちら側である。山内容堂は大政奉還派なのでこちらに入れたほうが良さそうである。
今回の「アメリカ彦蔵」は、こういうカテゴリーとは全く違う視点になる。攘夷派の外国人、あるいは国賊とされた貿易商人などへのテロ、特に日本刀の恐ろしい威力への恐怖感覚は、当時の外国人にはかなり堪えたようだ。実際、彦蔵も恐怖にかられ、アメリカに一時戻っている。
幕末維新を捉える視点は、数多くある。薩摩から見た場合、長州から見た場合、土佐から見た場合、会津から見た場合、そして将軍家・幕閣から見た場合。今回開国した海外からの視点が面白かった。もちろん彦蔵の伝記的な小説だし。漂流民からの視点もあるのだが、こういう新たな視点を持てたことに大いに満足している。
小説はあとちょっと残っている。彦蔵が新聞を発行しようかと思案しているところである。
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https://www.city.tamba.lg.jp/site/bijyutukan/thomas.html |
おもしろそうだし、行ってみたいなと思うのだが、氷上という地にあるらしい。JRだと福知山線でよく目にする篠山口(大阪駅から快速が走っている)のまだまだ向こうである。大阪から高速バスで3時間ほど、自家用車でもそれくらいはかかりそうだ。
帰宅後、妻に見せたが、あまりの遠さにお許しは出なかった次第。でもちょっとあきらめきれない。様々な絵本の原画や、ジオラマなども展示されているらしい。もし、行ける方があれば…。
近代自然科学ならびに技術や社会科学の進歩によって、その成果をもとに、人間支配の構造が確立されていくというわけだ。ナチスがいかにして独裁に至ったか。啓蒙の弁証法を考えてみようと思う。
ナチスの政治信条の中軸はは、ベルサイユ体制への不満である。そもそもWWⅠの敗戦は、ドイツ革命によるもので、社会主義者には、マルクス・トロツキーを始めユダヤ系が多かった。ユダヤ陰謀論である。第二次大戦のようにドイツが廃墟となったわけではなく主戦場はベルギーやフランスであった。革命でヴィルヘルム2世が亡命し敗北したが、ボクシングで言えばまだまだ戦えるのにセコンドからタオルが投げられTKOされた感覚である。で、あるのに、莫大な賠償金が課せられた。これはWWⅠが総力戦となり莫大な兵器、さらに国民国家化(=国民皆兵制)による兵士の補充が容易になった故で、これまでの戦争に勝てば儲かるというテーゼが、まだ生きていたが故である。大戦後の経済混乱、主にハイパーインフレは、この賠償金に主に由来するのだが、ドイツ銀行などユダヤ系金融資本はアメリカと組んで儲けていると批判を向けた。
このようなユダヤ陰謀論は、単純でわかりやすい。そういう反ユダヤ的な精神的土壌(南部のカトリックだけでなく、北部のルター派は意外に反ユダヤ的である)は十分あったし、ユダヤ人排斥、アーリア系のみのドイツによる再興という政治信条は、中間層に指示された。(裕福な層にとってはやっかいだが、少なくとも貧困層の社会主義・共産主義よりはマシであった。故に財界からナチスに政治資金が流れるようになる。)
ナチスの党勢拡大には、旧軍の右派兵士をうまくSA(突撃隊:ナチスの民兵組織)に取り込んだこと、SAの制服姿は、ドイツ国民に好意をもたれた。(制服好きの国民性なのである。)さらにポスター・演説・映画などのプロパガンダがうまかったことも挙げられる。先日、とあるYou Tubeで、広告代理店の優秀なCM製作者は、偏差値40の人間に理解されるようなCMをつくるという話が出ていた。こういう、わかりやすさがナチスの台頭を支えたのは間違いがない。啓蒙とは概念化である。ドイツの敗北→ユダヤ人のせい、ドイツの経済的混乱→ユダヤ人のせい ユダヤ人を追い出す→アーリア人による第三帝国、といった啓蒙は、それなりに波及に成功した。
ヒトラーが、ミュンヘン・カンプで失敗し、合法的な政権奪取を画策するが、それでも得票率は3割であった。様々な手段で共産党を弾圧し、無理やり得票を増やそうとする。最後には「全権委任法」を時限立法だといつわって成立させる。これらは、当時最も民主的とされたワイマール憲法のうまい利用(ある意味社会科学に長けていないとできない。)である。政権奪取度は、ケインズ的な手法(アウトバーンなどの有効需要や、強気の外交政策でベルサイユ条約をないがしろにした軍需拡大)でドイツ経済を安定化させることに成功したことも大きい。
ホロコーストについても、同様で、まずは焚書。ユダヤ人とはなにかを法的定義(ニュルンベルグ法)、さらにユダヤ系をドイツから追い出し。勢力圏拡大にともないユダヤ人が増加すると強制収容所の建設。クリーンバイオレンスから行動舞台、ガストラック、最後はアウシュビッツというふうに拡大化した。
たしかに、ナチスは、近代自然科学ならびに技術や社会科学の進歩によって、その成果をもとに、人間支配の構造が確立させたといえる。
脱コード社会という予言は信じられなかった。ふと、先日電車の中で、ほとんどの乗客がスマホを触っている姿を見て、この予言が確かに実現していることを実感したのだ。各自が様々な方向に向かっている。ゲームをしているか、音楽を聞いているのか、SNSをしているのかわからない。だが、間違いなく各人が各人の方向性に動いている。リゾームだ。昔は、通勤電車では多くの人が新聞を広げていたものだ。それとなく読んでいる裏面も覗けたりしたものだが、そんなことはめっきり少なくなった。
生徒たちに、もし今クラス全員でカラオケにいったとして、全員が歌える歌ってあるだろうかと問いかけてみた。昔は、遠足などで歌集がつくられ、ほとんどの歌が全員で歌えた。そういうパラノな世界は、今や高校生にとってみては、部活の練習と、受験の世界だけなのかもしれない。
ところで、昨夜突然水前寺清子の歌が脳裏に浮かんだ。私が大阪市立六甲青少年の家などでキャンドルサービスをする際の導入歌で、「いつでも君は」という歌である。まさかとは思いつつYou Tubeで検索したらあった。なつかしい。チータ(水前寺清子のこと)が食堂車の店員をしていたドラマの主題歌で、独特の演歌っぽい歌い方。チータは人生応援ソング演歌歌手で、この「いつでも君は」もそのはしりのような歌である。あの頃、我々は普通に何の抵抗もなく歌っていた。
♪心と心の細道に あなたの小さな親切が ぽとんと落ちて
きらりと燃えるろうそくの火が燃えてひろがる
1本が10本に 10本が100本に
100本が1000本に増えていく
いつでもいつでもいつでも君は 夢見る夢見る夢見る星よ
♪涙はみんなで分け合って 小さくしようよ お互いに
この手で街を明るくしよう友情の手で花を植えよう
1本が10本に 10本が100本に
100本が1000本になるんだね
植えよう植えよう友情の花 咲かそう咲かそう友情の花
https://www.youtube.com/watch?v=m45LEN4cyk0&ab_channel=%E5%B0%8F%E6%9E%97%E5%81%A5マスクをしたスマホをいじる電車の人々の姿に、昭和30年代生まれの私は寒さを感じる。冷房が効きすぎているからではきっとないと思う。だが、もうこの歌を歌える時代ではない、と思えるのだ。
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https://gigazine.net/news/20070701_551horai/ |
かくゆう私も糖尿病患者の一人である。今日は枚方市駅近くの専門医に行く日であった。採血して血糖値を測ったら、91。おおお。12:30頃におにぎりを一個食べただけなので、17:00すぎには100を切っていたのだった。学園の坂をヒーヒーいいながら登る日々が功を奏して、かなり正常値に戻ってきた。
ご褒美は、551の豚まんである。いつもは妻にあかんと言われるのだが、今日は正々堂々と食したのだった。大阪に帰ってきて、ほんと551があるのが嬉しい。(なんのこっちゃ。)
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https://hitopedia.net/%E6%A1%9C%E7%94%B0% E9%96%80%E5%A4%96%E3%81%AE%E5%A4%89/ |
歴史は、人間が紐解いてきたものである以上、そういう人間の感情が大きく影響することもあると思われる。やはり、周波数が合う人間と合わない人間があるのだろう。まして、江戸の封建社会では門閥による閉鎖的な力関係も存在する。この時代にも意外に民主主義的な評議のシステムは存在しているのだが、井伊の行った安政の大獄は、さすがに常軌を逸している独裁的な激しさである。
江戸詰めの水戸藩の家老は切腹というお沙汰だったが、拷問の末に斬首されている。まあ、当時は人身の自由もないのだが、このような徳川御三家を恐れもしない姿勢が凄い。特に、朝廷から送られた直喩を幕府に返す返さないで、藩の取り潰しを強引に迫るあたり、鬼気迫るものがある。これでは、井伊も水戸藩士に殺されてもしかたがないだろうと思われるくらいだ。赤穂浪士の世界である。
一方で、凄い弾圧と警察国家的な状況下で、井伊暗殺計画はねられている。赤穂浪士よろしく、彦根藩邸内の様子を水戸藩は内偵して調べていた故に、討ち入りを諦めている。同志の江戸での隠れながらの滞在への配慮、合言葉、偽名、暗号的な書類などなかなか周到な準備と計画で進められている。さて、いよいよ運命の本番を迎えるところまで読みすすんだ。
この「桜田門外の変」、井伊直弼が暗殺される事件であるわけで、当然水戸藩がその中心舞台である。水戸藩は、幕末維新史の中で、水戸学を中心に先駆け的な藩であったが、実のところあまり活躍していない印象がある。これは、徳川斉昭のキャラに負うところが極めて大きい。この本で、斉昭が次男で、兄に世継がなかったが故に藩主となったことを知った。幕末史には詳しいはずなのに不勉強を恥じた次第。ちなみに、井伊直弼も山内容堂も運命の悪戯的に藩主になっている。あえてこういう個性的なキャラを登場させる幕末史は実に面白いと思うのだ。
さて、彦根藩には、現在の栃木県佐野市に飛び地があったそうで、他の藩と共に水運で利根川や江戸川・隅田川を利用していた。川船奉行の統制下にあったが、御三家の水戸藩の船は例外で丸に水の字の船印を立てて自由に運航していた。文化5年に、仙台藩と彦根藩の船が接触した事件をきっかけに、水戸藩の船と暴力事件があり、以来犬猿の仲になっていた。溜間詰筆頭大名井伊家のプライドがあったようで、そもそも水戸藩と彦根藩は対立していたわけだ。これも初めて知った新事実。
斉昭という人物(以後烈公と記す)は非常に個性の強い人物で、彼が藩主に鳴ったおかげで、そもそもお家騒動が起こる。門閥派をしりぞけ改革派を用いた。言ってること、やっていることは、領民から見ても正しい。だが、押しが強すぎて敵を作るのだろう。まあ、烈公とは良きネーミングである。黒船来校以前から、攘夷というテーゼを掲げ海防の重要性を説いてきた。水戸学の尊王と結びつき、ほとんど幕末の一時期、ゼロ記号と化す尊王攘夷のカリスマである。
しかし、幕府はそう簡単に動かなかった。家定の元、総大名を集めハリスの通商条約締結要求を決した後、老中・堀田正睦(まさよし)は、烈公への報告に、川路聖謨(としあきら)と永井尚志(なおゆき)を烈公のもとにつかわせる。その際、烈公はどんでもない暴言を吐くのである。「備中(堀田)、伊賀(松平忠固)は切腹せよ、ハリスの首を刎ねてしまえ。」その後、一橋慶喜(烈公の第7子)は堀田にとりなしを頼まれる。水戸藩邸で、烈公に諫言し、堀田への詫び状を書かせ、堀田のもとに送りつけた。
その後、川路・永井らを一橋家に呼び饗応した後こう言うのだ。「事情は父より聞いた。父は年も寄って性急になり耳も遠く、物事がゆきちがうことが多くなっている。川路、永井両人が参った時も、日頃、父の考えていることは余りに違う相談であったので、気分を大いにそこねて自制心を失い、言いたいことを言った由。幕府からの相談を荒々しくはねのけ無視したのは、不敬の罪をまぬがれぬ。両人が帰った後、父は、両人へはもとより備中守にも無礼をしたと、いたく航海なされたとのこと。備中守へは詫び状を出した。私からも詫びたい。」その後慶喜は唐織の能装束五点を部屋へ運びこませた。見事な裝束であった。「これは一橋家に伝わる由緒ある品と聞いている。今どき能など楽しむこともなく、この装束も用のないものだろうが、これを取らせるから陣羽織、小袴などに使ってもらえれば、この装束も生きるであろう」さらに慶喜は言葉を続けた。「父が、この度、過ちをおかしたことについては弁明の余地はないが、父が尊皇攘夷の持論を唱え続けてきたことは広く世に知られ、各々がたも知っているとおりである。その持論は古めかしく、この能装束と同じように今日の用に立たぬと思っているかもしれぬ。しかし、この古い装束も陣羽織などに使用できるように、父の古風な激しい論も、考えようによっては、それほど古めかしいものではないと思う。このことは皆もよく心得て欲しい。」
この慶喜の父を想う情と頭脳の明晰さは、広く幕閣に伝わったというお話。なかなか良いではないか。私は、慶喜は、毀誉褒貶が多々あるが、一流の人物であると思っている。
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https://www.chunichi.co.jp/article/115043 |
…世も末。(平安時代以来なんだけれど…。)こんな言葉を発したくなるような、このところである。
さて、今日の本題。中東のレバノンが悲惨な状況であるらしい。レバノンといえば、1919年度の人間開発指数では92位。中国が85位、ドミニカ共和国が88位、モルドバ、アルジェリアに次いでいる。中進国とはいえないだろうが、後発開発途上国ではない。そのレバノンが食糧危機、エネルギー機器、さらには水危機と、完全に破綻している。多くのエリート、医療関係者、教育関係者などは逃亡してしまったようで、残された人々には、ハイパーインフレと膨大な失業率が覆いかぶさっているそうである。しかもここには、パレスチナ難民、シリア難民が数多く、これからどうなるのか、国連もさじを投げかけているようである。(今日の画像は先日爆発したベイルートの穀物貯蔵庫)
https://www.youtube.com/watch?v=h5oEj3B53-4&ab_channel=%E3%80%90%E8%B6%8A%E5%A2%833.0%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%80%91%E7%9F%B3%E7%94%B0%E5%92%8C%E9%9D%96
詳細は、上記URLのYou Tubeを見ていただくとして、私が今考えていることを記しておきたい。それは、今読んでいる「アフリカ希望の大陸」との対比である。サブサハラ=アフリカの国々は、レバノンよりHDIが低い。(例外的にアフリカの優等生・モーリシャスが66位、同じく優等生のボツワナでも100位)つまり、マシな国なのだ。とは言え、レバノンの政府はちょっと変わっている。歴史の古いレバノンでは、大統領はマロン派(単意論を唱えていたアンティオキア以来の古いキリスト教でカトリック化している)、首相はスンニ派、国会議長はシーア派と決められており、18ある各宗派内外でも対立が激しい。つまり、ガバナンスが安定していないわけだ。
アフリカの国家とはまた違うガバナンスの脆弱さがあるようだ。かの交易で栄えたベイルートは輝きを失い、今や破綻国家となってしまった。この状況を、アフリカ人なら、どうってことはないと楽天的にうまく動くような気がする。しかし、レバノン人や難民の人々は動けまい。こんな時に重要なマインドの差が出てくるようなきがするのだ。
日本は、WWⅡの後も、震災の後も復活を遂げた。それは民族的な絆があったからだ。アフリカでは家族や血縁・地縁が強力だ。折れそうになるマインドを支えてくれるのは他者である。さて、レバノンはどうなのだろう。
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https://productz.com/en /nokia-1100/p/J4R4z |
ナイロビのキベラスラムで3人の幼い子どもを育てる女性は、著者に自慢げに「ノキア1100」を見せてくれた。その使いやすさと手に入りやすさから、「通信業界のAK-47(旧ソ連の自動小銃)」と呼ばれている。彼女のノキアは中古だが、十分機能し、協力なネットワークを彼女に提供している。
インターネット接続がこの大陸を変える可能性は大きい。ジェフリー・サックスが2005年に著した「貧困の終焉」(このアフリカ開発経済学の本は私も読んだ)は、インターネットが爆発的に普及する前で、「今なら全く違う本になっているだろう」と言っているらしい。このテクノロジーは、非常に負荷いい意味を持つ4つの特徴がある。民主的、市場を基盤にしている、革新的、そして開発に効果を発揮するという特徴である。「カンジュ」と組み合わせれば、医療や経済、小売流通などの問題に対して賢く無駄のない解決策をもたらしてくれる。これはまだ序の口と著者は確信している。
カメルーンの活気のない町、リンペに住む青年は、16歳の時にコンピュータのプログラミング技術を身に着けた。しかもコンピュータを持っていなかったにもかかわらずである。ノートPCもディスクトップPCも買えなかった彼は友人が持っていた高機能計算機(テキサス・インスツメンツT1-82 )を借りた。その御礼は数学の試験に合格できるようなソフトウェアの開発だったという。まだ高校生の時に、電子機器の遠隔操作で入れたり切ったり出来る簡単な携帯電話用のプロトコルを開発した。ほんの遊びだったという。2007年に、広告を集めて掲載するウェブサイトを立ち上げた。技術系の専門学校を卒業した彼がカメルーン最大の都市で住居を見つけられなかった。市場の空白に気づいた彼は、このウェブサイト「ケラワ」を立ち上げたのだが、今やアフリカ43カ国に加えインドの情報まで掲載している。カメルーンでの閲覧数の上位30位以内に入っている。援助や補助金がなくてもアフリカ人は新たな世界秩序のツールをつくり、購入する意思があるのである。
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https://ampmedia.jp/2018/05/03/africa-startup-2/ |
…私はこういうIT産業に関しては全く無知なのでこれ以上の紹介はできない。だが、アフリカでこのような大変化が起きていることを嬉しく思っている。いつか地理の共通テストで、シリコン・サバンナが出題される日を夢見たい。
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https://link.springer.com/referenceworkentry/10.1057/978-1-349-95121-5_3041-1 |
アフリカの多くの国ではデモクレイジーと汚職が蔓延し、ガバナンスが悪いというのは常識である。この本では、そういう国家をしくじり国家と呼んでいる。たとえば、ソマリア。ソマリアの中で、旧英領のソマリランドは、カンジュ方式が成功した例で、氏族制度や、憲法に明記されたグルーティという信頼が厚い長老たちに権力を与えている。ソマリランドは、そんなこともあって、国際社会から未承認ではあるが、旧イタリア領のソマリアよりはるかに成功している。こちらの国際社会が承認するソマリアでは、1990年以降12もの暫定政府があったが、全部ソマリアの外、ケニアで作られた政府である。正当性や責任感ももっていないと言われる。
信頼のおける誠実な組織に慣れている観察者たちにしてみれば、このようなアフリカのしくじり国家の存在を受け入れるのが難しい事実である。しかし、アフリカにおいて、国家という枠組みは開発を妨げる要因になっている。政府に国民が期待するのは最低限のニーズに応えて動くか、せめて何らかのサービスを提供することだが、全く応えられていない。役職名さえあれば好き放題に略奪できるマフィアじみた市場である。
アフリカの政府はうんざりするほど非効率のままでで、タンザニアでは2011年まで国営の航空会社が何百人も従業員を抱えていたー飛行機は1機も持ってないのに。かえって1機もなくてよかったのかもしれない。空港当局は2012年になって、空港唯一のレーダー設備が2週間以上壊れたままだったことを認めたからだ。著者が『しくじり国家』(fail states)という語を使うのは、崩壊した公共サービスの提供システムを説明するためである。
そもそもアフリカの国家の国境線は、それほど重要ではなく、しばしば無視される。アフリカの全世帯の73%が母国の公用語を解さない(他の途上国では28%)のである。よって英語圏のガーナと仏語圏のコートジボワールの国境線は存在しないに等しいわけだ。実際村の真ん中に国境線が引かれており、住民たちはもう何十年も一緒に暮らし、商売をしている。
アフリカの国家の多くはその存在の正当性が極めて危うい。国家はジグソーパズルのように切り分けられた国境の内側に存在するため、国民は本質的に愛国精神に欠け、分裂しやすく、統治しにくい。よそ者が定義した政治構造なのである。
…本日の画像は、民族の分布に国境線をプラスした地図。いかに不条理であるかが一目瞭然である。
…前エントリーで述べたように、これは、開発経済学における国家という枠組みの不条理を指摘し、国家を見限ったエネルギッシュな人々の動きに光を当てた新しいテキストなのである。目からウロコである。
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https://panafricanvisions.com/2014/08/bankrupt-narrative-africa-bright-continent/ |
ところで、この本の中では「太っている国」と「痩せている国」という表現が使われている。開発同様、「南北」という用語も、この世界を理解する手助けにはならないと考えているようだ。次の文章に、この本のポリシーが浮かび上がってくる。
「痩せている」アフリカは、病気(マラリア・HIV/エイズ・出産が死因の上位を占めている)という重荷を筆頭に、それ以外にも様々な問題を抱えている。こうした問題の影には、希望の兆しが多く隠れている。アフリカ人1人ひとりを個別に見てみると、食べ物は無駄にしないし、借金は少ない、地域全体の二酸化炭素排出量は世界でも最低水準である。そして無謀な世界市場からおおむね排除されている故に、アフリカは最悪の金融危機も回避することができた。アフリカのビジネスの多くはより効率的な運営を目指して「痩せている」モデルを実務と財務の両方に適用している。世界が財政のスリム化に向けて着実にベルトを締めていくのであれば、目指すべきは「アフリカ」という印のついたベルト穴だ。
…読み進めていくと、当然ながら厳しい「痩せている」アフリカの現実が数多く記されている。その中で前回記した『カンジュ』の事例が登場する。これらを以後できる限り拾ってエントリーしたいところだ。
…この本は、日本の特派員が見聞きした表面上のアフリカではなく、アフリカにルーツを持つ優秀なジャーナリストがまとめ上げた『開発』経済学の新しい教科書であると私は思っている。
2コマ目は、三太郎が忙しそうなオフィスで三行広告を見て、こうつぶやいている。「三行広告は人生の縮図だなあ」三行広告に載っているヒロシやチー子はどんな理由で失踪したのであろうか。人生の縮図という言葉に深さがある。3コマ目は「オレもひとつ哲学的広告を出すか」と新聞社に向かう三太郎。4コマ目の三太郎の出した三行広告は『三太郎 カエレ 三太郎』というものであった。
うん、たしかに哲学的である。哲学と言っても実存主義、就中ハイデッガーやサルトルの哲学としっかり結びつく。三行広告の最初の三太郎は、現実と乖離した本来あるべき、望んでいる自己の姿を意味している。ハイデッガー的には本来的自己の喪失、サルトル的には実存の本質の探究。ハイデッガーなら死に至る存在を意識して生きる、サルトルなら対他存在・アンガージュマンとして生きるべきところかな。
こういう教材はめったにない。サトウサンペイ氏は偉大である。ところで、三太郎という主人公の名前はおそらく、旧制高校生の愛読の書「三太郎の日記」からとられているはずだ。そもそもが哲学的な漫画なのである。(笑)
私は、実にラッキーな人間で、こういう本来的な自己の喪失という疎外や限界状況に深く陥った経験がない。もちろん苦労はしてきたが、周囲に良き先輩や友人、後輩がいたからであると思う。
ところで、私は教科書をほとんど使わない教師で、特に専門の倫理はずっとプリントでやってきた。最近の教科書は、ハイデッガーでは、DasManなどというドイツ語で不特定多数の『ひと』、Dasainという『現存在』を表現している。共通テスト(旧センター試験)倫理の試験範囲が他の教科より暗記領域が少ないがゆえに、毎年新しい哲学者を登場させたり、こういう外来語的語彙が増加しているようである。まあ、私自身は大きな流れの理解の方が重要だと思うけど…。まあ、そんなことを言ってられないのであった。(笑)
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https://gooddo.jp/magazine/poverty/educational_inequality/ |
三崎で地理を教えていて最も驚いたのは、交通の単元で、貨物列車の存在を優秀な理系の生徒が知らなかったことである。次の時間、急いで画像を探しパワーポイントで見せた思い出がある。三崎の最寄りの駅は八幡浜駅であるが、この線にはコンテナを満載した貨物列車は通らない。そりゃあ、知るはずがない。このような空間的な格差が存在する。都市問題などでも実感した。反対に都会の人間は地方の過疎問題などは教科書上のことでしかない。どっちもどっちなのだが、インターネットの普及は、このような空間的な教育格差をある程度埋めてくれているような気もする。
一方、経済的な問題による教育格差という視点もある。私は商業高校や工業高校、進学校や体育系の普通科、さらにはマレーシアの日本語学校、四国の小規模校などを経験してきたが、およそ家庭の経済力は、その後の進路に大きく影響を与えていることは間違いない。ヤスパースの哲学ではないが、本人の努力次第でなんとかなる場合もあるが、限界状況と呼ぶにふさわしい状況も合った。特に、私立の大学に進学するにはそれなりの経済力が必要である。
この経済格差が教育格差につながっていることについて、貧困をなんとかしないといけないと、純粋な高校生は考えている。そのための方策を今、二人三脚で探し出そうとしているのである。
まして、今読んでいる本は文庫本ではなく単行本で、重い本をずっと読んでいた。この重い本、「11億人のエネルギーと創造性 アフリカ希望の大陸」である。これは図書館ではなくアマゾンで購入したもの。久々のアフリカ本である。
著者はナイジェリアにルーツを持つ、米国のジャーナリストのダヨ・オロバデ女史である。アフリカ各地を取材しつつ、アフリカへの想いが強く感じられる本で、楽しみながらじっくりと読んでいるところ。
今日は、第4章あたりまで読み進んだ。様々なアフリカの現状が書かれていて実に興味深い。特に、第2章を中心に「カンジュ」というアフリカ流の生存戦略について書かれている。この「カンジュ」、アフリカの苦難から生まれた独特の創造力のこと。その具体例は、おいおいエントリーしていきたいと思う。
欧米的な開発経済学とは一線を画した、この本、実に重要な視点を与えてくれそうだ。ところで、JRはなんとかならないのかなあ。5月のトラブルは3回。6月に入って1回。トラブルの比率はかなり高い。
…びっくりした。はじめて、「となりの人間国宝さん」の認定状を見た。ちょっと嬉しい。
景色を楽しむには、天候が悪いが、天候が良いとかなり汗をかきそうだ。
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https://blog.goo.ne.jp/hikonejou400/e/ de807c4fa1a7f3a26775b699d0079ca6 |
やがて、許される時が来る。最初は長州、さらに土佐、朝廷と象山を欲しがる勢力もあったが次々とダメになり、結局幕府の陪臣として上洛するのである。一橋慶喜や朝廷に送られた意見書によると、ネイションを志向するパトリオットの象山は、「天皇機関説」の先駆けとなっていたようだ。当時としては、薩会の公武合体派の路線に近い。これが長州を首都する攘夷派に狙われる理由となっている。
たしかに、最後は自信過剰気味のところがあって、身の安全をもっとはかるべきであったと私も思うが、攘夷というゼロ記号は、やがて薩英戦争や下関事件で攘夷の不可能さを薩長、いやネイションがは知るところになる。象山の推論は、ここにきてやっと正しく認識されたわけだ。
…歴史に”if”はないが、象山がもし、維新まで存命であればどうなっていただろう。幕府に肩入れしたとは思わない。まして新政府軍に肩入れしたとも思わない。信州松代に籠もり、何通もの意見書を両者に送っていたのではないだろうか。西郷に。そして勝に。維新後は、若き留学生とともに渡欧し、さらに自然科学分野の研究を進めたに違いない。そんな気がする。
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https://jpreki.com/kaneko/ |
特に砲学では当時日本最高の設計者・製作者であった。これは、象山が数学に長けていたことが大きそうだ。蘭書を読んだだけで、簡単にものづくりができるわけがない。倫理の授業では、ヨーロッパの科学技術の土台となるのは、ベーコン以来のイギリス経験論とデカルト以来の大陸合理論であると教えているが、要するに理科的な実験・観察と数学的な冷静な推論が必要なのである。幕末という時期に象山という類まれな人物が存在していたことが面白い。おそらく彼から見れば、ほとんどの他者は阿呆に見えていただろうと思う。
アヘン戦争による清への侵略を知った象山の危機感は、極めて大きい。幕臣もまたその事実を知っており危機感を抱いたことは間違いがないが、そこには「合理性」で差がある。象山は、蒸気船の性能や洋式の大砲の威力を十分認知していた。その差の大きさと、やがて日本にも列強がやってきて、アヘン戦争の二の舞いになるだろうという論理的な予知は、”知らない”他者との溝が広がるだけだったといえる。いやあ、こういう立場って、苦しいだろうなあと思う。
ところで、先のエントリーで、この本ではパトリオットという語彙が多用されているということを記したが、同じくネイションという語彙も同様に使われている。幕藩体制の中で、国家という語をあえてネイションとする意味は、国家というと近代国民国家をイメージしてしまうからだろうと思う。この時点では、日本とか国家とかいう概念はなかったはずで、象山は、藩も幕府も乗り越えて、ネイションとしての日本をイメージできていたようだ。やがて勝海舟や龍馬もそれに続くわけだ。
上巻の最後から下巻にかけては、吉田松陰の下田での密航の話になる。結局松陰とその師である象山は蟄居になるのであるが、松陰の「江戸獄中作」にある漢詩が、この師弟の気持ちをうまく表現している。
俗吏暗時務 文法束縛人 国家多難際 失機果誰因
俗吏疎人情 発言忽人嗔 志士苦心事 茫然若不聞
俗吏たちは、象山師弟がいかに苦心して国家の多難にさいして尽力しているかを理解しようとせず、法を楯にとって、怒ってばかりいる。今何をすべきかということに思いが及んでいない。
象山は、結局のところ、ソクラテスの弁明よろしく、悪法も法なりと言う幕府の主張に折れざるを得なくなる。当時の日本の幕政システムは、いくら老中といえども独裁的に政事を動かせるわけもなく、彼らの志に理解は示しても、祖法は祖法、ご禁制をやぶった松蔭とそれを幇助した象山を許す度量はなかった。その後、幕府は留学生を送り出さざるを得なくなるのだが…。
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https://www.asahi.com/articles/ASQ625DP4Q62PTIL01C.html |
その応対に出たのは、副校長らしく、文科省もマスクを外すよう指示を出しており、また実際各地でマスク直ようによる熱中症被害が出ていることについて、問いただすと、驚くような回答が出てきた。中学校側は、文科省の指示も熟知しており、生徒にマスクを外すように指導している。だが、生徒たちはマスクを外すのが恥ずかしいという理由で外さないのだという。
はあ?ということは、マスクをしているのは学校の責任ではなく、自己責任だということである。もし熱中症になっても、学校には責任はないという話になる。
私は、学校組織を知っている。この副校長という人物が学校長の指示で動いているのは間違いない。学校の管理職というのは、そういうシステムである。副校長や教頭などの管理職の人事査定は学校長によっている。したがって上意下達になる。おそらくこの副校長は、「道具的理性」で動いているのだ。学校長の指示通り、生徒にはマスクを外すように指導した。だが、これはあくまで生徒の自由意志によるものであるので、それ以上は強制できない筋のものである。管理職として適当な処置を取った。(いうことをきかない生徒たちで)やれやれである、というものだ。
これは、「マスクを取ることが恥ずかしい。」と言っている生徒を、熱中症の危険性を知らしめ、はずさせるという指導が出来ていないことの表明である。要するに、指導力がないのである。恥ずかしくないのか?教育現場は、ここまで指導力が落ちているのか、と思う次第。彼らはどっちを向いて教育をしているのだろう。責任回避できればそれでいいのか。生徒の安全・健康をまもるのが教師の第一義ではないのか。アホらしくて、開いた口が塞がらなかった。
*画像は、先日の某中高の体育祭でのマスクによる熱中症ニュース記事より
勝海舟は、象山暗殺直後に「(象山のような)学者に、(政治的)事業は出来ない。」という批評を加えていたという。これと全く同じ批評を、勝に初めて合った西郷は大久保への手紙で述べている。「(勝は)どれだけの「智略」があるのか計り知れない。まずは「英雄」申すべき人物で、この間暗殺された佐久間象山よりはるかに「事の出来」るものと思われる。たしかに学問と見識においては象山が抜群だが、彼が死んだ今となっては、勝がこれに匹敵し、政治的実力としては彼のほうが上だろう。」と。
これに関連して、本書では「宋名臣言行録」にある危機に臨んで必要とされる3つの能力(エートス:精神類型)が指摘されている。『能く見る、一なり。見て行う二なり。当に行なうべくんば必ず果決す。三なり。』象山や横井小楠はこの第一にあたる。能く見る人、すなわち思想家に他ならない。勝海舟や高杉晋作や坂本龍馬などは第二の「見て行なう」人、つまりは見者にして実行家にあたる。これに対して第三の「果決」の人は、西郷や大久保ということになると、著者は書いている。
…なるほど。第二と第三の相違は、危機後の新時代になって、その果決を得たか否かということだと思われる。高杉も龍馬も維新を見ずに死んでいる。勝は幕臣であり、徳川慶喜や篤姫などの面倒を見ることが主(一時は新政府に仕官しているが…。)で、政権運営に携わったとは言い難い。私などは、幕末維新を考えるに、この3つのエートスに、当時のエスタブリッシュメントで、第一の思想家、第二の見者・実行者、第三の果決の人を、陰に陽に支えた人もいれて、あくまで幕末、維新に貢献したという点で再構築してみたいと思う。もちろん、私の偏見と独断である。
第一の人。佐久間象山、横井小楠は当然。これにプラスするとすれば橋本左内だろうか。象山を支えたエスタブリッシュメントは、昨日記した松代藩主・真田幸貫であり、さらにペリー来航時の阿部正弘である。横井小楠と橋本左内を支えたのは、政治顧問として士官させた四賢侯の1人・松平春嶽。
第二の人。勝海舟、高杉晋作、坂本龍馬にプラスするとすれば、やはり、吉田松陰、その弟子・久坂玄瑞がまず挙げられよう。吉田松陰は第一の人のカテゴリーに入れてもおかしくないが、教育者としての側面を私は重視したい。久坂玄瑞は松下村塾の一番弟子であり、禁門の変で死んでいる。もし、生き残っていれば長州藩閥の中でもトップクラスだったであろう。さて、彼らを支えたエスタブリッシュメントは、勝に関しては、阿部正弘・大久保一爺や数々の幕臣、さらに島津斉彬の知遇も得ている。勝は毀誉褒貶が多く、最終的には徳川慶喜の側近となった。やはり「英雄」である。吉田松陰・高杉・久坂については、そうせい侯の毛利敬親である。龍馬に関しては、土佐の山内容堂ではなく松平春嶽であろう。
第三の人。西郷と大久保と、くれば木戸孝允を加えねばならない。長州ファイブで急遽帰国した伊藤と井上も入るだろうし、山縣有朋も入るだろう。薩摩なら黒田清隆・松方正義・森有礼など枚挙にいとまがない。さらに大隈重信や板垣退助、後藤象二郎なども入るだろう。公家では、岩倉具視や三条実実、長い目で見れば西園寺公望も入る(年少ながら戊辰戦争に参加している。)だろう。西郷に関しては、支えたエスタブリッシュメントは島津斉彬。西郷は人脈が凄いのだが、亡き斉彬の人脈である。大久保は島津久光。この両者の違いが歴史の妙である。だからこそ、薩摩は倒幕できたのだ私は思っている。長州は、当然毛利敬親。大隈と板垣は、鍋島閑叟や山内容堂の支援を受けたとは言い難い。上士である2人共、藩主に逆らい薩長の役に立っ働きを見せたが故の果決の人である。公家も岩倉は薩摩、三条は長州との関わりによるものである。
…幕末維新は実に多様な人物が登場している。佐久間象山も、もちろんその一人。さらに読み進んでいこうと思う。
私の象山の認識は、勝海舟の妹の夫、吉田松陰の師匠で黒船密航を認めた当時最高峰の兵学者・洋学者、京で馬上で暗殺されるくらいであった。
この本は、多くの文書・手紙などをもとに書かれた歴史書であって、小説のようにそう簡単に読み進めるわけではない。通勤時に少し読んではウトウトという感じで読み進めている。今日は上巻の70%位を読んだ時点でエントリーしようと思う。
この本は、象山が暗殺された話から始まる。肥後の藩士・河上彦斎に殺されるのだが、この人斬り彦斎(げんざい)は、尊攘派の会合で誰々が悪いという話が出ると、中座して暗殺に及ぶという、無造作はテロリストだった。しかし、象山を斬った後「初めて人を斬る」という感情が沸き起こり震えたという口述書が残っているという。こういう象山の只者ではないというエピソードがふんだんに盛られている本である。
象山は、信濃松代藩の藩士出身である。この松代藩は、真田信之(幸村の兄で徳川側につき兄弟と対峙した。)の藩で、8代藩主真田幸貫(寛政の改革で活躍した老中・松平定信の長男:但し11日後に正室の子が生まれ、側室の子ゆえに公的には次男となり、真田家に養子に入った。)天保の改革時に、水野忠邦によって、外様から譜代に移され老中に抜擢される。特に、海防掛になったことが、後の象山に大きな影響を与えた。象山は、西郷の島津斉彬と同様に、真田幸貫をリスペクトしていたといえる。
そもそもは、象山は朱子学者である。江戸でも認められていたのだが、真田幸貫の海防掛就任とともに、蘭学を学ぶ必要に迫られるわけだ。
…面白いのは、著者は、象山のスタンスについてパトリオットという表現が多いことだ。象山は、藩のためでも幕府のためでもなく、日本という国家のために学び、教えたというわけだ。パトリオットは愛国者という意味の英語だが、日本語ではなくカタカナ英語を使うところが面白い。ちなみに、昔、M高校でアイオワ州アーバンデール高校に行った時、パトリオット・ガイドという冊子をいただいた。アメリカ人として身につけるべき国民的教養(歴代大統領のプロフィール等)や儀式的なセオリー(国旗の取り扱い等)が書かれた貴重なものだった。というわけで、パトリオットという語は英語の苦手な私にとって数少ない属性がある語彙なのである。
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https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-husserl-idee-phaenomenologie/ |
ニーチェの永劫回帰も教えるのは久しぶり。ここでは、キリスト教やヘーゲルの歴史観が直線的であることに対してのアンチテーゼとして教えたり、無神論的な実存主義(ハイデッガー・サルトル)の思想の根底に、フッサールがいることなども、かなりレベルが高い。フッサールはユダヤ系であり、先日エントリーしたようにユダヤ教の伝統としての全てを批判的に見る精神が、現象学を生み出した。デカルトは、神の存在証明をしたゆえに物体の存在証明をした。これに対してのフッサールのスタンス(無神論的なあまりに無神論的な)として理解すると比較的容易に説明できるのである。
ユダヤ教・キリスト教の概念をきっちりやっておいてよかったし、教科書にないデカルトの神の存在証明をやっておいてよかったと思うのである。倫理の授業はこれまでの教師生活の集大成と言えそうだ。
前半、開始直後、ミドルシュートが見事に決まって、1-0で終了。しかし、後半、開始直後1-1に追いつかれてしまった。後半は、K高校のほうがボールの支配率が高かった。惜しい場面もお互いあって、ついに延長戦に突入。まさに死闘であった。県下強豪校No2のK高校のフォワードは流石に上手い。翻弄されている場面もあったが、なんとか守りきってPK戦へ。学園側は、GKを延長線終盤に変えてきた。PK戦を睨んでのことだろう。学園のGKは上手い生徒がたくさんいるのだ。まずK高校が1本外してくれた。しかし、こちらも1本外し、タイに。5人目は3番を付けたA主将だった。見事に決めて、K高校最後の選手が外し、ホイッスルが鳴った。下記URLは、私が見ていたLIVEでのページである。きっと当分残っていると思う。
https://mikisougou.nttsportict.co.jp/
いやあ、嬉しい。感無量である。明日、褒め称えてあげたい。学園のサッカー部は普段そんなに練習時間は長くない。そんな中で、文武両道で頑張っているのだった。我が夫婦は、浮世絵が大好きである。今回は大阪を描いたものが集められていたのだが、まともな百景とともに、滑稽なものも多くて、実に楽しめた。少し、残念だったのは、百景の中に「御勝山」という地が地図に記されてあって、生まれ育った生野区の御勝山のはずなのだが、その浮世絵は展示されていなかった。昔はどんなんだったのだろう。同じ生野区で舎利寺などは、郊外の寺という感じだった。
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http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2022/naniwa_hyakkei.html |
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https://www.travelbook.co.jp/topic/54319 |
まずは、アダム・スミス。言うまでもなく自由放任の近代経済学の父。この本では彼の教育論が語られている。彼はグラスゴー大学を卒業後、オックスフォード大学に学ぶが、大学教員の堕落を見て、競争原理の導入を図るべきだと説いた。実際、彼はグラスゴー大学で教鞭をとっていて、学期途中で渡仏することになり、学生たちに教えられない分の学費を無理やり返したというエピソードがあるそうだ。彼の理論と実践はソクラテスよろしく合一していたわけだ。
次に、デイヴィット・ヒューム。イギリス経験論で懐疑論を唱え、カントに大きな影響を与えたヒューム。彼の理論を突き詰めていくと、神の存在への疑義が導かれる。そこで、かなりの危険人物とされていて、彼の死はきっと醜いものになるだろうと予測されたが、安らかに逝ったことは有名。この本にもそのことが書いてあった。ちなみに、アダム・スミスは彼の友人で、死後彼の未発表の著作の出版を依頼されていたが、内容が無神論的で「自殺論」「霊魂不滅論」「自然宗教に関する対話」などは、アダム・スミスの甥の名前で、作者名・出版社名も伏せて出版されたという。
さらにロバート・オーウェン。空想的社会主義の3人衆の1人で、労働者の様々な生活改善を「ニュー・ラナーク」で実践したことで有名。
作家では、ロバート・ルイス・スティーヴンソン。「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」などで有名。そしてコナン・ドイル。もちろんシャーロック・ホームズで有名だ。ただ、それ以外の作品も多いので単なる探偵小説作家ではないそうだ。(ところで、今気づいたのだが、アニメの名探偵コナンの名は、コナン・ドイルから取っているのかなあ。)
まずは、英語・国語・数学をきっちり抑える必要があること。本当ならもうすでに共通テスト対策のマーク模試で80点くらい欲しいところだと話し始めた。聞くと、英語と国語はOKらしい。数学は少し苦手だそうだ。幸い、法学部志望なので、数学の配点はそんなに大きくないらしい。ならば、ということで、私が言ったのは、まず地歴を夏休みまでに一通りやること。(教科書でも参考書よいのでinput、さらに自分の選んだ問題集でoutputを一通り。)ノート整理の仕方は自分が最もやりやすいように。問題集はとりあえずオススメを教えたが、関関同立を受けるとなると、共通テスト対策だけでは厳しいので、慎重に選ぶように伝えた。公民(倫理・政経)は2学期から出十分。まずは地歴。次第入試にも関係するし、英・国と共に、前期試験にも関わる重要科目だからだ。まあ、気分転換に、少しずつinputしてもいいよ、とも伝えた。こういう気分転換もメンタル的に重要だからだ。
inputだけしてもダメで、一度問題集でoutputして、間違ったところをもう一度inputして、さらに三度目くらいまでやるといいと伝えた。倫理・政経も同じ要領である。こちらは、暗記すべき量が段違いに違うし、理解すべき事柄のほうが多いのである。焦らずに2学期からでも間に合うと伝えた。
…と、そんな話をしていた。こうして、受験の相談に来てくれているということは、私の授業を受けて、その見識を認めてくれた証でもある。ちょっと嬉しい。
今回は、倫理も政経も、教科書や資料集からも教えていない箇所を中心に定期テストでは出題しており、授業はもっぱら興味を持つような話題、理解を深め、世界史や日本史にも関わるような社会科学的なものの見方も伝えている。限られた時間の中で、倫理も政経も今までで最も高度な内容になっている。
…先日、教え子の結婚式の時、もういちど私の授業を受けたいとOG達が言ってくれたのだが、今とはその知識量や見識の深さに大きな差がある。当時の授業を恥ずかしく思うくらいだ。とはいえ、これは仕方のないことである。(笑)
You Tubeなどで、進学校の社会の授業はどんな感じなのかを調べてみたら、およそ各自好きなようにやられているらしい。これとこれをやれば良いという勉めて強いる学びではなく、やはり少しハードルを上げて興味を引くような授業を超進学校でもされているようだ。それしかないよなあ、と思う次第。
http://blog.goo.ne.jp/gyp-vision/e/52 415d4f7d36c385343f6a399df601f1 昔々、私がまだ中学生だった頃、春休みを利用して東京の親戚の家に遊びに行ったことがある。当時、私はクラシック音楽に凝っていたのだが、早稲...