2020年8月9日日曜日

新居浜・別子銅山に行ってきた

東平/貯鉱庫跡
新居浜は、四国でESDが最も盛んな所である。県内唯一のユネスコスクール高校である新居浜南高校があり、小中学校もユネスコスクールが多い。その理由は、別子銅山の歴史と深く関わっている。特に明治期以後、近代化されたが、鉱山の精錬所を新居浜市内から20㎞離れた四阪島に移動、公害をいちはやく意識したわけだ。(ただし、瀬戸内海地方に影響を与えたことも事実)また、閉山にあたっては植林を進め、現在は自然豊かな景観を保持している。すなわち、住友は持続可能な開発を進めていたというわけだ。

先日記したが、コロナ禍の県外へ立ち入らないとのお達しから四国カルスト行を諦め、県内移動のみの別子銅山行にシフトし、今日行ってきた。百聞は一見にしかずである。
今日になった理由は、少し長くなる。別子銅山は、高いところから堀進め、東洋のマチュピチュと呼ばれるほど高い位置にある東平(とうなる)エリアと、その下にある端出場(はでば)エリアに分かれている。この端出場エリアは現在マイントピア別子と呼ばれるテーマパークになっていて、鉱山鉄道や体験ゾーンなどがある。まあ、北海道・夕張の石炭の歴史村のようなものである。やはり東平がメインであるが、道が狭くガイドさん付きのバスを予約するほうが賢明だ。週間天気予報を見て、第一希望だった今日をすんなりと予約できたから、というわけだ。
端出場ゾーン/鉱山鉄道で往復・体験ゾーンを楽しんだ
東平/鉄道が走っていたあたりを望む
ESDの観点から、今日の東平での説明で興味深かったのは、鉱山から出る水を鉱区外に流さず溜め浄化してから流したという話。足尾銅山との大きな違いである。四阪島や植林事業より目立たないが極めて重要だと私は思う。
それと、東平の鉱山町には5000人もの人が住んでいて、病院や小学校、劇場などもあったらしい。なんだか、ロバート・オーウェンのニュー・ラナークを想起するが、こちらの労働者のハーモニカと呼ばれた社宅は6畳一間で共同炊事・共同トイレである。
ガイドさんの話を聞いていて、面白いことはたくさんあった。日本初の山岳鉄道(5.5km)はここにあったとか、よくもまあこんな険しい山地に作ったものだと感心する。見学ツアーは階段を下りたり登ったりであったが、1学期に学校の階段で鍛えていたので、意外に大丈夫だった。
蛇足になるが、マイントピアのレストランで、”大人のお子様ランチ”をいただいた。なかなか美味であった。

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