道後温泉の土産物屋にて |
「坊っちゃん」は数ある夏目漱石の作品の中でも特に親しまれている作品である。故にその影響力も大きいと推察する。特に坊ちゃんがつけるあだ名で、校長はたぬき、教頭は赤シャツという言霊の影響が大きいような気がする。校長=たぬきと言うのは、なにかとごまかし、言質を取られれないようにけむにまく存在というイメージを持ち、また教頭=赤シャツと言うのは、嫌な奴で出世の事ばかり考えている存在というイメージを持つのではないだろうか。教師生活が長い私はこれまでに多くの校長、教頭に仕えてきた。今は、後輩が校長や教頭になっている。この、たぬき・赤シャツというイメージは果たして正しいのか?
校長=たぬき説は、大いにあてはまる場合が多い。と、いうより校長と言う立場はたぬきであったほうがいいともいえる。言いたいことをあまり言えない、またそれを言わないことが校長と言う立場の美徳ともいえるのである。また教師集団は校長と接する機会がそう多くないので、余計たぬき感・たぬき度が増すのかもしれない。だが、全くといってよいほど、たぬき度が低い校長も何人か知っている。その「人徳」がたぬき度を必要としない校長だ。
教頭=赤シャツ説も、大いにあてはまる場合が多い。これは出世のためにそれなりの対応をするという意味である。教頭と言う立場は難しい。校長を立て、面倒な仕事を引き受ける必要がある。校長は勤務時間と共に下校するが、教頭はそうはいかない。何かあれば教頭が責任を負う。特に入試など対外的な仕事は教頭の役目だ。教頭は、一般教師の勤務評定をするが、教頭の勤務評定は校長の役目だ。教育委員会にも目配せが必要だ。教頭は嫌われる場合が多い。よく「中之島(大阪市役所/大阪市教育委員会)を向いて仕事してるんとちゃうか。」と皆で罵詈雑言をしていたものだ。好かれる教頭はあまり出世しない場合が多い。私は何人か校長になれないまま退職した先輩を知っているが、ほとんどが好かれる教頭だった。赤シャツ度が高いほど出世するというのが世の習いか。
というわけで、校長=たぬき説、教頭=赤シャツ説は、ほぼだ正しいと大阪市で長い教員生活を送ってきた私は実感している。ただし、愛媛県に来て、ちょっと違うと思ってきた。「えひめ真面目」なこちらでは、三崎高校はもとより、伊方町内の中学校も回らせてもらって、校長・教頭とも、お一人おひとりの人格で勝負されている感じがする。私は、赤シャツやたぬきになるくらいなら「山嵐」でいいと思ってきたが、もし愛媛県の教師であったなら管理職になっていたかもしれないと思うのだ。
…ところで、今日は事務長がお休みで、18:30発の八幡浜行きの学校のバス発車前に学校長が確認に来られていた。私も20:30の塾のバスの関係もあって行っていたのだが、こんな学校長は初めてである。まさに、たぬき的校長のアンチテーゼである。こういう方の元で仕事をさせていただいていることを実に嬉しく思う次第。
0 件のコメント:
コメントを投稿