http://tisen.jp/dia/ 2003/20030602.html |
この問題の根は、民主党政権時代の遺産にあると誰かが書いていたが私もそう思う。政治主導を進め官僚政治を打破するという命題は、それなりに正しい。それまでの自民党長期政権下では、官僚が日本の進路を決めていたフシがある。事務次官等会議という首相官邸の大食堂で行われていた会議こそが、閣議などという形式の会議より力を持っていた。せいぜい族議員が官僚に切り込んで調整を図っていた時代だ。それに大鉈をふり、事務次官等会議は無くなった。しかしながら、無力で経験不足な民主党政権が去ると、自民党はこの政治主導システムをさらに強化した。表向きは派手ではないけれど、官僚の弱点を見事に突いている。それは「人事権」を各省庁から奪ったことだ。民主党政権の無能さにやる気を失っていた官僚から、あっという間に「人事権」を奪ってしまった。官僚が最も重視すること、それは出世である。事務次官レースに生き残れるのは、まさにエリート中のエリート、一握りである。しかも天下りを批判され、かなり追い詰められていたのであろうと思われる。
安倍政権は、これを完全に利用したわけだ。自らの将来を官邸に握られては、官僚はいかに賢く、力があっても無力化されてしまう。間違ったことでも従うことになる。その結果が今回の事件である。一方で、官邸は金融政策まで握っている。日銀総裁の人事権を握り、その続投がその証拠である。一向にリフレにならないのに、続投。あきらかな官邸の暴走である。
何事にも加減というのがある。安倍政権のやっていることは、全権委任法とまではいかないまでも、日本政治の中核である官僚組織を完全に手中に収めている。やり過ぎたのなら、責任を取るべきだ。反省し、さらに政治主導の方法論を再考すべきだと思う。日本の官邸がやっていることは、自らの権力を誇示するだけで、行政官を任命できないまま機能麻痺に陥っている12点男と五十歩百歩である。
マスコミや野党は、この事件の本質を見抜く必要があると思う。私自身、妙に偉そうに言っているが、ことは重大だ。人ひとり死んでいるのである。この責任は重い、重すぎる。だからこそ、あえて言う。財務大臣は辞任せよ。首相も自分の軽口の責任を取るべきだ。12点男の軽口をゆるせるアメリカ国民のように、日本国民は、おおらかではない。
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