2017年11月12日日曜日

IBTの話(141) EJU本番 ’17

ハディースの1冊
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EJU本番である。6月と同じカレッジである。やはり11月の第二回目の試験は真剣度が違う。とはいえ我がクラスの私費生はワイワイ・ガヤガヤと友人同士で出そうな処の確認に余念がない。一方、マレー系の国費生はこれが一発勝負である。緊張の面持ちである。開始前、彼らは文系も理系も一カ所に集まり、祈りだした。これも4回目のEJUともなれば、私にとっては普通の光景である。

日本語の試験の時間、中田考氏の「イスラーム法の存在構造」を読んでいた。毎回、面白いというか意外な箇所に出会うのだが、「自発の礼拝と禁止時間の章」という項に行き着いた。これは「満足を求める者の糧」というハンバリー派のフィクフの書の翻訳された箇所である。国費生の行っていた試験前の祈りは、この自発的な礼拝(=ウィトル)にあたるのではないかと思った。昼食休憩の時、教え子の文系の学生に尋ねてみたら、まさしくそうだった。

「アッラーよ、あなたの導きたもうた者の一人として私を導き給え。あなたの救い給うた者の一人として私を救い給え。あなたの側に召したもうた者の一人として私を側に召した給え。あなたの授け給うものによって私を祝福し給え。あなたが定められた厄災から私を守り給え。まことにあなたこそ、何者の決定にも縛られず決定を下し給う御方であり、あなたが側に召し給う者は卑しめられることはなく、あなたが遠ざけ給うたに栄光はありません。我らが主はいと導く、高きにおわします。アッラーよ。あなたの君寵と恩赦によってこそ、あなたからの守護を冀(こいねが)います。あなたがご自身を称え給うようには、我々はあなたへの讃美を尽くすことは出来ません。アッラーよ。ムハンマドとその一統を祝福し給え。」

これが、敬虔の祈り(クヌート)である。この前にクルアーンの「称え奉れ…」(87章)、「不信心者」(100章)、「順正」(112章)を読んだ上でこれを唱えるらしい。最後に両手で顔をなでるそうだ。もちろん、全てアラビア語で行われるので、詳しくはわからないのだが、日本語訳を示したら「それです。」とのことなので、そうであろうと思う。この敬虔の祈りは、注記によると3種以上のハディースに書かれているものから導かれているらしい。

こういう事実を知ることを少しずつ積み重ねていくことが異文化理解だと私は思う。我がクラスの中華系の学生が会場に向かう前、男子も女子も私とハイタッチして向かっていった。マレー系の学生には、男子は良いが、女子には出来ない。これも重要な異文化理解である。親族以外の男性が女子学生に触れることは、いかなる場合も許されないのだった。

ところで、今回の総合科目では、パラオが出たらしい。

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