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タタール人占領時代、イブン・タイミーヤがハンバリー派の同学の一人とともに、タタール人の一団が酒を飲んでいるところに通りかかったところ、同行者が彼らを咎めようとした。それをイブン・タイミーヤは阻止し、こう言った。「アッラーが酒を禁じ給うたのは酒がアッラーを念ずること、礼拝から遠ざけるからに他ならない。ところがタタール人に関しては、酒は殺人、児童誘拐、金品強奪から彼らを遠ざけているのだ。だから(社会にとって害の少ない酒宴故に)彼らを放っておきなさい。」
イスラームのファトワは、こういう現実主義的な側面がある。酒を飲むのは当然禁止事項だが、ムスリムの命・財産の保護の方が上位のフィクフであるとイブン=タイミーヤは判断したわけだ。
ところで、中田考氏がシリアの最高ムフティーに対してファトワーの請求と回答が載っている。実に興味深いので記しておきたい。
慈悲深く慈愛遍きアッラーの御名において
アブ-・アル=ヌール・イスラーム学院質問:ワフバ・アル=ズハイリー博士はその著『イスラーム法とその典拠』3巻689頁において「キリスト教国からの輸入肉は、たとえ屠殺時にアッラーの名前が唱えられていなくとも、食用が許される」と述べています。それでは、シャリーアに則って屠殺しった肉が多少の負担で入手可能な場合でも、店で市販されているアメリカやオーストラリアからの輸入肉の食用は許されるのでしょうか?
ファトワー請求者 Drハサン中田考
回答:「啓典の民の食物は汝らに許されている」(クルアーン5食卓章第5節)との至高なるアッラーのお言葉の一般原則に基づき、キリスト教国からの輸入肉は食用が許され、それを食べることは問題はない。啓典の民の屠殺肉にはアッラーの御名を唱えることは条件とはならない。また同時に「ある男が預言者の元にやってきて「アッラーの使徒様、我々の中の一人の男が屠殺するのに至高なるアッラーの御名を唱えるのを忘れたのを知っておられますか?」と尋ねた時、彼はアッラーの御名は全てのムスリムの心中に存在する」と答えられた。(ナスブ アル=ラーヤ:ハナフィー派法学書4巻182頁)とのハディースに基づき、ムスリムの屠殺肉にもアッラーの御名を唱えることは条件とならない。(ムグニー・アル=ムフタージュ:シャフィイー派法学書6巻95頁)それゆえ、啓典の民の屠殺肉の購入が義務として課されることはない。
ヒジュラ歴1418年11月2日/西暦1998年3月1日 ダマスカス
Dr.アル=シャイフ・アフマド・タクタロー
シリア共和国最高ムフティー/イフターゥ最高評議会議長
アブー・アル=ヌール・イスラーム大学学長
なかなか興味深い。啓典の民とは、ユダヤ教徒・キリスト教徒をさす。では日本で仏教徒や無信仰の日本人が屠殺した肉はどうなるのだろう。日本在住のムスリムはこれを食すことは許されるのだろうか。ちょっと疑問がわいてしまったのだった。
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