中公文庫の「自由と秩序-競争社会の二つの顔-」(猪木武徳著/本年9月25日発行)を読んでいる。猪木氏は経済学者で、2001年に中公叢書として発行されたものである。解説の政治学者・宇野重規氏が「英知の書である。」と、まず書いているように、時の流れがあっても、その中身は、すこぶる濃厚である。
第5章の「視野の短期化と公共の利益」を読んでいて、面白いコトバを発見した。「禍機」(かき)というコトバである。戦前期に米国で活躍した比較法制史の大家朝河貫一氏が、権益優先の当時の日本外交を批判した警世の書で用いたコトバらしい。猪木氏は、その禍機とは、「ますます我々の視野は短期化してきた」ということだ、と述べている。
最初に森林経済学の話が出てくる。森林は林産物を供給するだけでなく、洪水や山崩れの防止に役立ち、良質な水を供給し、地球温暖化を防止するといった重要な公益機能をもっていることが指摘されても、森林全体がどんな「禍機」にさらされているかを議論しようとする空気は薄い。「林業白書」に目を通すようになって、現下の日本社会、あるいは世界経済の抱える「禍機」が、森林の直面する問題と似ているのではないかと感じるようになった。と、ある。
時間と資本の関係を示す端的な例が木材生産である。ところが、経営者の時平(time horizon)が短くなってくると、林業の長期的利益が危うくなり、森林の本来の機能全体が完全に失われてしまうということになりかねない。日本の森林が抱えている問題はいくつもあるようだが、そのどれもが、この「視野の短期化」という点に関わっている。
…この後、猪木氏の視点は人材育成と評価の問題、乱暴な短期資本の問題、研究開発の体制、専門家の供給体制などに及んでいく。なかなかの「英知」である。
…教育現場から見れば、教諭ではなく常勤講師の先生方が増え、非常勤講師の先生方が講義時間数による給与体系になって、各先生方は個々に大いに努力されているにも関わらず、様々な問題が起こっている。全く視野の短期化の弊害だと言って良いと思う。さらに高校入試制度の度重なる改変も、現場を大きく混乱させている。
…今教育現場は、まさに「禍機」にあるというのが私の実感だ。そのうち、横浜のマンションのような事態(普遍的な正義への背反行為)が教育界にも起こるのではないかという危惧を覚える。何が最も重要なのか。それは生徒が幸福になるための教育である、ということを確認しておきたい。
2015年10月21日水曜日
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