中間考査の対策プリントより |
イギリスの民主主義は、マグナカルタという法の支配の伝統をまず教えてから、チューダー朝後のピューリタン革命・名誉革命の流れをしっかりと教えた。権利の請願、権利の章典、さらには君臨すれども統治せずのハノーバー朝の成立まで。これに資本主義の成立過程を、囲い込み運動と自由な賃金労働者の輩出と、東インド会社によるインド綿製品輸入が与えた影響・綿製品輸入禁止法案による原料輸入・綿織物工業の発展からくる産業革命の進展を語った。これで、一応イギリスの話は終わる。
次に、フランス革命とナポレオンの話になる。ここは、できるだけわかりやすく、今日の画像にあるように、ヨーロッパの社会構造(上部に自由な個人、下部に不自由な共同体)を何度も示しながら説明する。フランス革命といえば、人権宣言だが、最大のポイントは、三部会以来の制限選挙から普通選挙に変化するところだ。革命を潰そうとする諸外国との対外戦争に対して、普通選挙を行い、不自由な共同体の人々を自由な個人へと昇格させたわけだ。ギリシア・ローマ以来、戦争は自由な個人の階級の仕事である。世界初の普通選挙はそういう深い意味あいを持つ。普通選挙で躍進したジャコバン派は、彼らに土地を分け与え、同時に徴兵制を実施する。これが、国民皆兵=国民国家の道を開いていく。これをさらに推し進めたのがナポレオンである。革命の輸出を行う解放軍としてのフランスナポレオン軍が、やがて国益に走って大陸封鎖令を出してから衰退に向かっていく。社会類型で見ると、フランス国民の下に、支配した諸国を不自由な共同体としたといえる。
同時にナポレオンは資本主義の発展の元を作り、甥のナポレオン三世の下でのさらなる発展につながっていく。とはいえ、現実は山あり谷あり。7月革命や2月革命と諸外国への影響も含めながら、フランス革命の影響を説いていく。生徒には、スマホをいっぺん使ったら、もうスマホのない生活は考えられんやろ。自由や平等というものはそういうスマホのような感覚だというと生徒にも具体的でわかりやすい。
最後にドイツの発展について語る。神聖ローマ帝国以来の領邦国家から、ビスマルクはいかに統一国家に持っていったか。それは鉄血政策という戦争によるものである。平和日本から見ると、奇異な感じがするが、当時の戦争は、最後まで殺るか殺られるかではなく、野生動物のテリトリー争いのようなもので短期間で終わっていたこと、さらに本校の団活動を例に出して、イベントによる団結の具体例をひいた。この例はわかりやすかったようだ。戦争は、当時、悪でもなんでもない。(命のやり取りをも含んだ)イベントだと考えたほうがわかりやすい。プロイセンが勝利した普仏戦争が、今回の範囲の最後の歴史的事実となった。
最後に総論である。結局、イギリスでもピューリタン革命、フランス革命はもちろん、民主主義は、ドンパチによって、獲得されたものだ。欧米では、自由や権利は、自ら獲得するものであったことを、アメリカで体験した抵抗権の話(10年8月7日付ブログ参照)で確認する。民主主義というのはそういうものだ。しかもこれは、国民皆兵=国民国家の成立と大きく結びついている。
イギリス・フランス・ドイツ、普仏戦争終了時点では、それぞれの進展の度合いはどうか、生徒に考えさせてみた。また、日本史とリンクさせると、国民国家化を最優先したドイツ(プロイセン)の影響がいかに強いかがわかる。皆、頷いていた。こういう問いかけは社会科教師として最も嬉しい。
この時点では、イギリスがトップ。フランスが肉薄。だが、ドイツが後ろからダッシュしてきて、フランスに猛タックルした、という感じである。で、次の予告。「この後、一気に三者をGDPで抜いていく新しい国が出てくる。さてどこかな?」「アメリカですかあ?」正解。次はアメリカの話だ。WWⅠは、保護貿易による各国の利害がぶつかり合う。経済の話抜きでは語れない。
意外にだらだらと教えるよりコンパクトながらも、重要なコトを教えれたような気がする。加藤先生の「武器としての社会類型論」(昨年10月7日付ブログ参照)、なかなか使えるのである。さて、試験の結果やいかに?である。
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