久しぶりに「ホテル・ルワンダ」をDVDで見た。昔々前任校時代に梅田で試写会で見て以来である。Mさんの人権講演会で図らずも、ルワンダ虐殺の話が出てきた。(23日付ブログ参照)柔道の熱心な教え子が、その経験者であった話で、生徒もかなり衝撃的だったようだ。また、中立性を重視するあまり、住民の安全を守れなかったPKOの過去の最大の汚点だという毎日新聞の記事(24日付ブログ参照)もあった。
ルワンダのこの悲劇は、そもそもドイツや(WWⅠ後は)ベルギーの支配装置としての民族規定によって起こっている。ツチ人もフツ人も、現在では民族的に差異はないというのが定説である。長く支配層とされたツチ人へのジェノサイドが起こったわけだ。
このホテル・ルワンダには、残酷な虐殺シーンはない。主人公の最高レベルのホテルは、難民が押し寄せる。支配人の主人公はできる限りのことをやり遂げる人間ドラマでもある。
現在のルアンダは、奇跡的な復興を遂げている。ツチとフツの間に生まれた大きな亀裂も徐々に埋まっているという。
…今、人権学習の教材作りで、壁にぶち当たっている。ホロコーストの紹介やアウシュビッツ・ビルケナウ収容所の画像も見せたうえで、「そして今」という画面で止まったままなのである。ルワンダの虐殺は、まさにジェノサイド。ホロコーストに繋がる悲劇である。同様の「今」といえば…と、考え続けているところなのである。
…先ほどのTVニュースで、トルコの大統領選の投票に集まったトルコ人とクルド人が取っ組み合いのケンカとなったという。クルド…。彼らもまた共生を否定された人々なのである。中央アフリカやナイジェリアでは、キリスト教徒の人々が、共生を否定され殺されている。ミャンマーのロヒンギャの人々も、ウクライナ東部のウクライナ人も、共生を否定されているといってよい。日本でも、ヘイトスピーチの問題がある。また、オキナワやフクシマの問題もある。
…共生とは、いかに困難なことなのだろうと思わずにはおれない。一方で、今日の夕方、「世界をひらく僕らの一歩」という番組の中で、第1期の協力隊員の方や多くのJOCVの活躍が紹介されていた。さらに全盲の女性がフィリピンで、NGOのスタッフとして活躍する姿が紹介されていた。彼女の「共生」への信念は、感動的で素晴らしく強固なものだった。
あれも現実。これも現実。またまた悩んでしまうのである。
2015年10月25日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿