http://culture.loadshow.jp/ topics/elser-13minutes/ |
当然ながら無差別殺人の爆弾テロ犯であり、非難されるべきではあるが…と論説委員の中村秀明氏は前置きしつつ、エルザーはなぜ独裁者を殺さねければならなかったのか、と問いかけを行っている。
主人公の住むドイツ南部の小さな町でも、自由にものが言えない息苦しさが漂い、ナチス支持者とそうではない者の「分断」が生まれる。影響されやすい子供の言動も変わった。異論を挟む者、障がいを持った者、ユダヤ人と親しくする者への差別と排除が公然と始まる。エルザーが臨時で働く工場でも戦車生産が進んだ。
誰に言われたわけでもなく、自らの目と頭で大きな危険を察知し、誰にも相談せず1人で動いた。無力だからと諦めたり、誰かがなんとかしてくれるだろうと任せたりしなかった。(環境平和学の鳥飼東海大教授による映画のパンフレットの解説より)
彼は収容所で5年以上過ごし、敗戦直前に銃殺され、歴史から消された。後にユダヤ人絶滅計画の中心者となる秘密警察局長は、「お前は何の罪もない人間を殺したんだ。」と激しく責め立てたが、現在のメルケル首相は「戦争を防ぐために自らの意思に従って行動した。」と賛辞を送った。
監督のヒルシュピーゲル氏は、面白いことを言っている。「日本人にはしっかり考えて欲しい。というのも、日本もドイツと同じように、言われたことに流れに従属してしまう国民性だから。どんどん問いかけをし、何も考えずに受け入れることはやめよう。」
結びは、こうある。「守りたいものは何か。大切にするものは何か。それを阻むものに、どう立ち向かうか。多くのことを問いかける映画である。」
…なかなか示唆に富んだ「水説」であった。私自身は、先日の安保法案といい、原発の問題といい、沖縄の問題といい、マイナンバー制といい、そして現場も含めて、反知性的な権力者による「従属」を押し付けられているように感じている。せめてブログで自分の問いかけを発信していきたいと思うのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿