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カズが今回書いているのは、日本ラグビーのことである。サッカーもカズが1990年ブラジルから帰国した当時は、W杯に行くと言っても協会内ですら間に受けてくれなかったという。一国レベルの盛り上がりの必要性を感じたとカズは書いている。89年のW杯アジア一次予選。ホームのインドネシア戦は9000人しか入らない西が丘サッカー場だった。アウェーは8万人を集めていた。日本は経済大国でもサッカーへの関心はそんなものだった。社会現象を起こさなければ歴史は切り開けない。そして歴史が動くときは段階というものがある。92年夏の日本代表オランダ合宿の取材に訪れたメディアは2社だけ。それがその夏、ダイナスカップ優勝、アジアカップ優勝で、W杯予選の合宿では150人。自分を取り巻く社会の意識が変わっていく感覚をよく覚えているという。
「うん、日本のサッカー、いいね。」と声をかけてきたサウジの選手は、93年のW杯予選の時には話しかけてこなくなった。敵と見なし始めてくれたんだ。温かい目で応援されるうちは第一段階。本当に強くなると憎まれる。韓国の金鋳城という選手は90年代初頭アジア最終手選手を競う中だったが、2002年のW杯、神戸のラーメン屋でばったり会った。「ミウラ、頑張っているなあ。」暖かく抱き合ったのを思い出す。10年の月日が敵同士をたたえ合う仲にしてくれた。そんな段階を迎えられるのもいいよね、と結ばれている。
…私がラグビーを観だしたのは、同志社大学や釜石、さらに神戸製鋼が頑張っていた頃である。ただ、サクラを胸につけた日本代表は全く世界に通じなかった時代である。南アに勝ったというのは、ホント、誰が言ったか知らないが、クリリンがフリーザに勝つようなものである。凄い快挙なのだ。サッカーで言えば、日本代表がドイツに勝つような、いやそれ以上なのである。さらに、サモア・アメリカと勝ち、3勝するなんて考えられないことである。まさに歴史が切り開かれたのである。だが、まだまだ。褒められているようでは、とカズは愛情を込めて、日本ラグビーにエールを贈っているわけだ。私は、気持ちよく読ませてもらったのだった。日本開催のラグビーW杯、楽しみだ。
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