2013年11月27日水曜日

新聞VS南ア政府

南ア ズマ大統領
報道の自由を巡り、南アでも政府とメディアが激しく対立している。今日の毎日新聞朝刊の記事である。今年4月に南アでも「国家機密」を暴露した者に最長25年を科す情報保護法案が今年4月に国会を通過し、ズマ大統領が署名するか否かに注目が集まっている。この中で大統領私邸の写真報道は「法律違反」と発言したことに反発した複数の有力紙が一斉にこの写真を1面に報道したのだ。この私邸、安全面拡充の名目で多額の公金が使われたとの疑惑があり、南アメディアが追っていたといういわくつきであるそうな。国家安全保障相が「違法だ。」と発言したところ、有力紙タイムズは「じゃあ我々を逮捕せよ。」との大見出しを載せ、社説で「我々は写真掲載を続ける。止めることは民主主義の監視役という責務への背信行為だ。」と明言。政府は、「掲載自体は問題ないが、私邸の安全面の特徴を報ずるのは大統領のリスクとなる。」と、少しトーンダウンしているという。

開発経済学から見れば、メディアは、まさに複数政党制とともに、館力を監視する民主主義の重要な装置である。アフリカの諸国を民主主義という視点で見るとき、その報道の自由さが、ひとつの尺度とされている。

今回の南アの話は、決して他人ごとではない。日本の秘密保護法案もどうも不可解だ。妙に急いでいるのは何故なのか?何者かが蔭で動かしているような危うさを私は感じる。ネット社会におけるウィキリークスや元CIAの事件に関係しているのような感覚もある。誰しもが、ネットを通じてマスな情報発信力を持つ時代になったことを国家権力は危惧しているのではないだろうか。私の、この個人的なブログも、1日150~200人くらいの方の目にふれている。微々たる発信力だが、これまでには全く無かったものだ。国家によるピラミッド型の統制のコードが崩れ、リゾーム化しているのはたしかだと思う。しかし、それが法律で再構築されることが是だと言われると、なにか時代に逆行しているような気がする。その逆行の行き先が偏頗なナショナリズムであるとすると、恐ろしいことだと私は思っている。地球市民を育てたい私の想いとは全く対蹠的なベクトルだからだ。

今日が日本のカタストロフィー・ポイントとならないことを、まずは祈りたい。自由は責任ある行動を取れる個人が主体となって自ら勝ち取るものである。必要なら行動しなければならない、と思うのだった。

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