私が大学に行っていた頃は、中国でプロレタリア文化大革命が華やかなりし頃であった。日本では左翼的な学生運動も、下火になっていた頃で、私自身は関わったことはない。だが、社会思想全般に興味はあった。鬱勃たるパトスというか、青年らしく、この世界をいかにすべきかという理想を追い求めて様々な思想を学びたいと思っていたことは時期でもある。そういう時期は人生にとって絶対必要だと思う。何の力ももたない貧乏学生だったが、京都の下宿で隣人の学生と牛乳を片手に(二人とも酒は飲まない。)ロックンロールを聞きながら夜遅くまで世界情勢について語り合ったことを思い出す。あまりかみ合わなかったが、充実した時間であった。そういう時代だったのだ。
その延長線上で、教師になってから一時中国現代史にハマったことがある。アヘン戦争以降がテリトリーだが、かなり乱読したと思う。結局四人組裁判くらいまでは、かなり勉強した。それ以後は、他に興味が移り、それ以後の中国現代史については置き去りにしてきた。
中国現代史の、特に1949年の中華人民共和国成立以後の歴史は、「紅」という社会主義的を強調する路線と、「専」という実務的というか経済成長優先路線の権力闘争で、左右に振れながら動いていく。水滸伝よろしく様々な人物名が登場し、権力を握り、また失脚していく。しかし、周恩来が死に、朱徳が死に、そして毛沢東が死ぬに及んで、興味を失ってしまったのだ。極悪役の江青や張春橋らも死刑になってしまった。もうあんまり面白くはないと、中国ウォッチを止めたのだった。その後の主役は鄧小平である。
今、中国と日本がモメテいる。久しぶりに「その後」を勉強したくなった。で、文春文庫の新刊(本年9月10日第1刷)の『鄧小平秘録(上・下)』(伊藤正著)を手に入れて読んでみた。今朝、やっと上巻を読み終えたところである。
前置きが長くなりすぎた。かなり時間がかかったのは、産経新聞に連載された記事がもとになってているのにかなり専門的な内容だったことと、上巻は三章立てだが、時間が再構成されていることが大きい。上巻の最初は「天安門事件」の話なのだが、私にとって「天安門事件」はどうしても鄧小平が三度目の失脚に追い込まれた周恩来への追悼がきっかけとなったプロ文革時の第一次天安門事件になる。新しい方の「天安門事件」は、不勉強なので、人名も初めてのものが多い。ちょっと苦しんだ次第。第二章はさらに新しく南巡講話で同様にうーんと唸りながら読んでいた。第三章は文革の話で、これはスラスラ。と、いうわけで、それなりに中国現代史に精通していないと読み進むのは難しい。まあ、勉強というのはこういうものだ。久しぶりに、中国の濃い権力闘争の話に疲れたというのが実感。何度かに分けて、この本の話をエントリーしようと思う。
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