2010年9月30日木曜日

Deep People 河井継之助

 久々に幕末の話題としたい。今日の「受験に使わない日本史B」の授業は、北越戦争についてであった。(4月にペリーが来航して以来、まだ戊辰戦争が終わっていない。)私は、河井継之助という人物が好きである。不遇の時にも自分の力を信じて精進し続ける姿勢が、サルトル的で好きだし、陽明学の徒としての行動力も好きだし、譜代長岡藩の立場を「中立」として通しきった頑固さも好きである。もちろん、ガトリング砲を手に入れ、ぶっ放す「絵ずら」も美しい。(但し、長岡では義によって町をぶっ潰したわけで、評判がすこぶる悪いらしい。)
 今日の授業のヤマは、この河井が、新政府軍の新政府軍監だった土佐の岩村精一郎と会談する場面である。河井は奥羽への侵攻停止を訴えるのだが、この岩村、若輩者で河井の人物を見抜けなかったのである。司馬遼の「峠」では、この場面、見事なまでに描ききっている。

 人物を見抜く力とは、結局「器」の問題である。では人間の「器」とは何か。私は仏教で言う「境涯」という言葉で説明した。ちょうどこの授業には元バレー部の生徒が数人いたので、4月9日付ブログで書いた離任式の話をした。今春転勤した元バレー部監督のM先生が、それまでの口調を変え、バレー部に対しボロクソに激励した話だ。私は、凄いと思った。それだけ彼女たちを深く愛し、彼女たちのためなら何でもしてやるという心根がなければ、あんなことはできない。「境涯」とは、他者を自分の胸中に入れる器の大きさである。間違いなく、M先生の胸中には彼女たち全員がすっぽりと入っているのである。この話は、多くの生徒の理解を得たようだ。

 「ならば、どのようにして入れれるようになるのですかぁ?」という質問が出た。私は、「様々な苦労をして、その人たちの痛みを知ることかな。」と様々な体験を示して説明をした。これはもう日本史Bではない。(笑)でも、こういう授業が出来ることはうれしい。いつもならば、何人かはコックリコックリと来る5時間目なのだが、生徒の目は純粋に光っていた。

 余談だが、この岩村精一郎、佐賀の乱でも登場する。この時も事態を悪化させる狭量の男である。最後は男爵になる。まあ、こういう理不尽な顛末も人生なのであろう。

追記1:今日の放課後、カナダ帰りのOG,N君が近況報告に来てくれた。コーヒーをしばいた(大阪弁のスラングで飲んだ)後、職員室で隣のALT、F先生との会話の通訳をしてもらった。見事な発音で、なぜか私が鼻高々になった。(笑)
追記2:今日の「統計」を見て驚いた。16:00に、1023のページビューが記録されている。また『コンゴのオナトラ船と猿論争』に、今日だけで351のページビューが記録されている。どうなっているのであろうか。ブロガーの統計が狂ったのか?誰かのいたずらなのか?それともツイッターとやらで、爆発的なページビューが行われたのか?うーん。不可解である。どなたか、情報をお持ちであれば、コメントしてください。ちょっと気持ち悪いのです。(笑)

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