2010年9月25日土曜日

尖閣諸島問題と中国私論

MW校訪問団帰国へ
5時前起きで、R・M先生を連れて、7時に学校に着いた。食堂には、すでに2組のホストファミリーが来られていた。9連泊もお世話いただいて頭が下がる思いである。電車で、車で、続々とホストファミリーが到着する。我々国際交流部だけでなく、教頭や来年7月に渡豪する1年英語科の担任のR先生やU先生もお見送りである。いつも通り、長堀通に待機していたバスに乗ってもらって別れである。今回は、中国修学旅行の仕事が主だったのでサポートに徹した訪問団だったが、それでも別れは寂しい。目を真っ赤にして別れを惜しむ姿に、いつもながら感動するのである。

尖閣諸島問題と中国私論
今回の尖閣諸島の問題について、私論を期しておきたい。私は一時、中国現代史にハマってかなりの量の関係書籍を読んだ。もちろん専門家ではないし、これまた現場の一教師の私論であることを念頭に読んでいただきたい。

昔々、初めて中国を訪れた時、上海のホテルの朝食は一応バイキング形式を取っていた。パン2種類と中華粥、ドリンクはコーヒーとオレンジジュース、殻つきのゆでたまご、そして果物は、土がついたミカンだけだった。妻は、「なんじゃこりゃ」と絶句した。しかし当時の私は、「中国は、ここまで発展したのか」と思ったのである。

1949年の中華人民共和国の成立以来、中国は「紅」と「専」、すなわち毛沢東主義的な農村社会主義路線と、劉少奇や鄧正平らの資本主義的修正路線の間で揺れ続けてきた。「紅」の大躍進政策では、膨大な餓死者を出した。鉄鋼生産を打ち出し、農民は鍬や鋤を土法で屑鉄に変えてしまった。彭徳懐の批判以来毛沢東は失脚し、劉少奇の「専」で中国経済は立ち直る。しかし、またまた文化大革命で「紅」化し、中国の経済発展は遅れる。(何年か前、中国から本校に教員の訪問団がやってきた。私と同世代の社会科教師は、代表団に選ばれるほどの優秀な人物らしいが、なんと一言も英語を解さなかった。聞くと文革世代であった。哀れである。)四人組の台頭、周総理の死、毛沢東の死…不死鳥の如く甦った鄧正平の力で、「専」の政策が復活し、以後、白い猫も黒い猫もネズミを取る良い猫として、怒涛の市場開放が始まったのである。

中国現代史が我々に語りかける事実、それはなにより、中国の人口の多さからくる政策の善し悪しが甚大な影響を及ぼすということである。大躍進や文革による死者の数は半端ではない。「一国家」というカテゴリーではくくれないほどの影響がある。だからこそ、中国の統治者は、政策をひとつ間違えると大変なのである。今や、これだけ資本主義化が進んだ故に、中国共産党は、イデオロギー集団ではなく、テクノクラート集団と化している。彼らは常に、13億の中国”人民”に、ある程度の”満足”を与えなければならない。そのため、中国には経済格差を是正しながら、常に高度経済成長をし続けなければならないのである。
中国に欧米的な意味での民主化を一気に図るというのは、あまりに危険な実験すぎるのではないか、と私は思っている。13億の”人民”を束ねるためには、強大な専制的権力がどうしても必要悪となる。自由をある程度制限せざるを得ない中国の事情がそこにある。もし、欧米的民主化が実現するとすれば、先進国並みに経済発展した上でのことであろう。

今回の尖閣諸島の問題は、毎日新聞の論説によると、中国の中南海の権力闘争であると言われている。温家宝首相らは、「紅」「専」の”ゆれ”による歴史を冷静に分析しているテクノクラートである。経済発展を支える海外の投資筋が最も恐れるのは、中国の”ゆれ”である。だからこそ、大国主義を抑えながら中国”世界”の舵を慎重にとってきたといえる。しかし、米国をはじめとする人民元切り上げ要求の高まりの中、保守派の厳しい突き上げを受けたのであろう。

今回の問題を、私は「紅」から変化した「中華ナショナリズム」が、「専」をゆらした結果のように感じる。不満を抱えた階層が、今回の事件をうまく利用し、現指導部を揺らしたわけで、表面上硬化し、強硬姿勢を貫いている温家宝首相も、長い目でみれば中国の国益を損なっていることは判っているはずで、決して満足しているとは思えない。”中南海”は、周恩来以来、ずっと孤独である。

追記:今日の毎日新聞の朝刊に、これら尖閣諸島の問題を受けての、本校の中国修学旅行への対応の記事が出ていた。教頭が取材を受けたと言われていたが、ホントに出ていた。(笑)

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