2014年12月31日水曜日

冬季休業中 新テキスト執筆2

大晦日だというのに一日中、高校生のためのアフリカ開発経済学テキストV.6.01の執筆にかかっていた。いいかげん、肩がこってきたのと、目がおかしい。ドライアイというやつだろう。学校でも時折なるのだが、ほんと気をつけなくてはいけないと思う。

特に今日、作業がストップしたのが、HDI(人間開発指数)の最新国別リスト(2013年統計)をUNDP(国連開発計画)のHPから、テキストに導入しようとした時のことである。これまでは、サブ=サハラ・アフリカの順位のみだったのだが、一気に第一位のノルウェイ(例年一位である。)から、最下位まで載せようとエクセルにコピーしようとするのだが、年度別の変化も入れたいなあ、国名は英語でいこうか、いややめよう、などどと迷っていたのだ。結局、日本語の国名と指数(1から0)と順位だけにしたのだった。それでも2ページにわたる膨大な資料になった。途中、エクセルの記録を消してしまったりして、久しぶりのミスに落ち込んだりもしていたのだった。

ところで、自動的に翻訳されたページに、不可解な国名があった。七面鳥。すぐ、トルコだなと笑えたのだが…。そんなこんなの大晦日だった。

いよいよ、来年は2015年。MDGs(ミレニアム開発目標)のゴールの年である。

2014年12月30日火曜日

冬季休業中 新テキスト執筆

高校生のためのアフリカ開発経済学テキストV.6.01をこの冬季休業中を利用して書き始めている。今までのものを一新して、経済学的な視点から見たアフリカ、政治学の視点から見たアフリカ、そして文化人類学的な視点から見たアフリカ、この3視点をもとに構成する予定である。近代国家論やポール・コリアーの4つの罠については、大きな項目とはしないつもりだ。また、HDIやMDGs、人間の安全保障といった開発経済学的な重要課題も経済学的視点の中で発展学習的に挿入することにした。

仮題だが、一応次のような副題を考えている。

経済学的な視点は、アフリカの「貧困」と「発展」の原因を探る
政治学的な視点は、アフリカの開発を妨げているものは何か?
文化人類学的な視点は、アフリカの知・アフリカに学ぶ

一方で、より高校生にわかりやすく、さらに関係するコラムを挿入していくことを考えている。たとえば、アマルティア=センの「貧困」の定義を記する時、先日書店で文庫本になったことを知った「「風をつかまえた少年」(文春文庫)の紹介なども入れたいと思うし、これまで日々エントリーしてきたようなアフリカの新聞記事による情報などもできるだけ入れたいと思う。

ところで、今朝たまたまだが、今年亡くなられた人々のNHKの番組があって、赤瀬川原平氏の「老人力」について、故人が自ら語っておられた。「忘れっぽくなることは、警戒心が無くなることで新しいものが入りやすくなる。」

これを聞いて、私は無意識に老人力を意識していたからこそ、このブログに書き溜めているのかもしれないと思った次第。5年間、書きも書いたり、1850件のエントリー。(笑)玉石混合ではあるが、新しいテキストの素材としては十分であると思う。

赤瀬川原平氏は、高校時代のある友人の師にあたる方である。私も様々な影響を受けた芸術家である。ご冥福をお祈りしたい。合掌。

2014年12月29日月曜日

今年この1冊2014

年末である。毎日新聞でもすでに過日特集が組まれていた。今年は、良い新書を読んだ年だった。中でも次の4冊の印象が残っている。

「一神教と国家」(内田樹・中田考/集英社新書・14年2月19日発行)
「ふしぎなキリスト教」(橋爪大三郎×大澤真幸/講談社現代新書2100・11年5月20日発行)
「資本主義の終焉と歴史の危機」(水野和夫/集英社新書・14年3月19日発行)
「武器としての社会類型論-世界を五つのタイプで見る-」(加藤隆/講談社現代新書2164・12年7月発行)

今年発行されたものは「一神教と国家」「資本主義の終焉と歴史の危機」だけだが、いずれも社会科の高校教員として重要な教材研究の一環となった。

さて、今年の1冊の候補は2つある。今年も当然アフリカ本である。
高尾具成氏の特派員ルポ「サンダルで歩いたアフリカ大陸」(岩波書店/13年6月25日発行)と「アフリカ社会を学ぶ人のために」(松田素二編/世界史思想社/14年3月20日発行)である。残念ながら、「サンダルで歩いたアフリカ大陸」が昨年発行である。となれば、今年の1冊は、本年発行の「アフリカ社会を学ぶ人のために」となる。ルポと学術書であるが私の中では甲乙つけがたいので、発行年で決めた次第。

今年もよき書に恵まれた。いくら情報化社会が進もうとも、じっくりと書を読む幸せは変わらない。

2014年12月28日日曜日

ラジオから流れてきた「花嫁」

一昨日、車のラジオから流れてきた「花嫁」について今日はエントリーしたい。ピンとくる方は間違いなく私と同世代以上である。小学生のころ、フォーク・クルセイダーズというグループが突如現れた。「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットしたのだ。加藤和彦、北山修、はしだのりひこ。この「花嫁」ははしだのりひこの作った2つ目のグループのヒット曲である。久しぶりに聞いて涙がでそうになったのだった。

♪ 花嫁は 夜汽車にのって 嫁いでいくの あの人の写真を胸に 海辺の町へ
  命かけて燃えた 恋が結ばれる 帰れない 何があっても 心に誓うの

♪小さなカバンにつめた 花嫁衣装は 故郷の丘に咲いてた 野菊の花束
  命かけて燃えた 恋が結ばれる 何もかも捨てた花嫁 夜汽車にのって

いいなあ。なつかしいという感傷とともに、まだまだ豊かではなかった日々を思い出すのである。まず、今の日本には「夜汽車」が存在しない。直角の中国でいう「硬座車」の夜汽車。もし、今なら夜行バスを高速で行くのだろう。あるいはLCCかもしれない。あの人の写真は、スマホに画像が入っているはずだ。花嫁衣装とされる野菊の花束も、考えられない。せいぜいスマホに画像として入れていくだろうな。などど考えていたのだ。

この「花嫁」、北山修の詩なのだが、フォークル(フォーク・クルセイダーズ)の歌で同じく花嫁が出てくる「戦争は知らない」という曲がある。寺山修司の詩だが、ここにも「野に咲く花」というコトバが出てくる。つまり、「野菊」も「野に咲く花」も、貧困というか、反権力というか、庶民というか、そういうものの語彙を含んでいる。夜汽車もそうだ。おそらくは、胸に忍ばせた(白黒の)写真もそうだろう。

今の日本に、そういう語彙を含んだコトバがあるのだろうか。それを使った「歌」がつくられるのだろうか。歌は世につれ、世は歌につれ…か。

https://www.youtube.com/watch?v=CU0UqJKg7aw

2014年12月27日土曜日

兵庫県立美術館「だまし絵Ⅱ」

糖尿病の専門医に「冬休みは運動してくださいね。」と言われていた。家にいると一日中パソコンに向かっているだけで運動不足はなはだしい。と、いうわけで、家内の提案で兵庫県立美術館に行くことになった。妻も今日は体調が良いそうで、「その後中華街に行こうか。」「明石にタコヤキ食べにいこか。」などと言う。(笑)

兵庫県立美術館では、明日までの会期で「だまし絵Ⅱ」が開催されている。前から行こうと言っていた展覧会だ。すでに見逃した展覧会が多い中、奇跡的にまだ開催していたのだった。JR灘駅からテクテク歩く。近くなく、遠くなく、ちょうど良い距離である。会場も程よいスペースだった。さすがに土曜日で終了間近故に観客は多かったが…。

お目当てのエッシャーやダリ、マグリットなどはちゃんと見れた。意外に面白かったのが、パトリック・ヒューズ氏の「広重とヒューズ」という作品と、福田繁雄氏のアンダーグランドピアノという作品。

その後、ミュージアム・ショップを覗いた。結局、空腹に負けて近くのインド料理屋で昼食をとった。それは、同時に中華街や明石には行かないということである。(笑)そう、そのまま帰ってきたのだった。「もう少し歩きたかったなあ。」と私が言うと、「うそつけ。」と妻に怒られた。

2014年12月26日金曜日

Eテレ 高校地理 アフリカ

冬季休業に入った。補習する予定だった生徒の都合で、来年5日までは自宅でのんびり過ごすことになった。たまたま、TVをつけ高校の通信講座を日本史・世界史・地理と続けて見た。20分という短時間で、それぞれ日露戦争、トルコ革命をやるわけだ。映像を見せながらとはいえ、(担当者の苦労はしのばれるが)申し訳ないけれど、浅いなあと思わざるを得なかった。
そして地理は、偶然ではあるが、アフリカであった。

当然のように批判的に見たのだが、「20分で語るアフリカ」はなかなかよかった。それもそのはずである。島田周平先生監修だったからだ。

コンパクトに、アフリカが紹介されていた。ヨーロッパの元植民地という歴史があり、内戦や貧困、飢餓という暗いイメージをまず払拭。経済成長率では、中国・インドとともに世界で注目されており、それが鉱産資源によるものであることをきちんと示していた。

一方、農業生産性の低さという問題をやがて20億にまで膨らむであろう人口問題と比しながら、日本の農業技術協力で生産性を向上させる努力がなされている、とくくっていた。

またルワンダのツチとフツの対立を超えてのコーヒー栽培の協力やタンザニアの金鉱山がこれまでの先進国のみの開発ではなく、現地の人々が自力で開発している映像も流れた。(これらは以前NHKで放送されたものだ。)アフリカ=希望と可能性という島田先生の監修のポリシーを感じたのだ。

しかも「アフリカの人々から学ぶことがある。」ということが、最後の農業技術研修で来日していたザンビアの研修員に東北の方々も元気づけられたというシーンで伝わる。20分という制限時間の中で、よくぞここまで。さすが島田先生と、膝を打った次第。

<この講座は、HPにアクセスすると番組をいつでも見られるようである。凄い時代になったもんだと今更ながらに思う。>
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/chiri/archive/chapter032.html

2014年12月25日木曜日

「明治天皇という人」を読む。

終業式である。我がクラスの大清掃は、いつもながら皆が自分にできることはないか、考えながら、仕事が進む。大いに良い。それだけで十分。大した説教など必要なし。ということで通知表を渡して解散した。

ところで、最近、松本健一著「明治天皇という人」(新潮文庫/本年9月1日発行)を読んでいる。ちょうど3分の1程度読み終えたところだ。松本健一氏は、この本で、人としての明治天皇像を描こうとしている。かの「畏るべき昭和天皇」や「評伝 佐久間象山」の著者で、極めて緻密に現象学的に書かれている。

明治天皇の肉声はなかなか伝わってこない。明治という近代天皇制が確立していく時代の中で、たしかに残りづらかったであろうと推測できる。それを丹念に拾っていく、という感じの本だ。

明治天皇の実家である中山家に仕えていた田中河内介は幼少時の明治天皇に大きな影響を与えた人物だ。彼は、「天皇の世紀」にもあるように、寺田屋事件の後、薩摩に惨殺される。その薩摩の西郷、大久保が、本人も含め関わりのある人物を送り、天皇に大きな影響を与えていく。歴史の皮肉ではあるが、これもまた実相である。備忘録的に記しておきたい事項は山ほどあるが、追ってエントリーしていきたい。

「人は人によって作られていく。」…様々な出会いが人を作る。教育に携わる者として、改めて感じるものがあった次第。