オランダ、イギリス、アメリカといったカルヴァン派の影響が強い地域(オランダのカルヴァン派は、ゴイセン。イギリスでは、産業革命の震源地スコットランドのプレスビテリアン。フランスのユグノーもイギリスに多く移民した。イングランドではピューリタン。アメリカは、最初は聖公会(ハイ・チャーチ)の貴族が主だったが、ピューリタンやプレスビテリアン、ゴイセンらが多く移民して発展したわけで、聖公会(のロー・チャーチ)から生まれた分派も数多い。)では、”非合理性をもった合理主義”によって、近代資本主義が成立したが、スペインやイタリアなどのカトリック圏やドイツ(大まかに北部はルター派/南部はカトリック)では発達が遅れた、というカルヴァン派の信仰と近代資本主義の因果関係を論じたのが、『プロ倫』の骨子である。
ここで言われる”非合理性をもった合理主義”とは、予定説の逆因果である。神に救われることが決められている人間ならば(因)、神の御心にかなうことを行う(果)という論理を意味する。(普通の因果なら、善い行いをしたので、神に座れ天国に行けるという因果論となる。)そこで、彼らは、一切の欲望や贅沢・浪費を禁じ、エネルギーを信仰と労働(神が定めた職業)に捧げたというもの。
…神の絶対主義をとるカルヴァン派は、これまでの今夏の学びの中で、キリスト教綱要・第一篇で、救いを選ぶか選ばないかが意思の自由に残されているのみ、と理解するし、キリスト教綱要・第三篇で、悔い改めとは、”全人的な方向転換”、”生まれ変わり”、すなわち「再生」であるとしている。かなり強烈な教義である。
この禁欲的な姿勢は、利潤の肯定と利潤の追求の正当化を生んだと、ウェーバーは結論づける。最も禁欲的で金儲けに否定的なカルヴァン派だが、神の御心にそって勤勉に働き、安価な製品やサービスを隣人愛として提供、その結果として利潤を得ることが、結局救済の証と捉えられたのである。まさに”非合理性をもった合理主義”といえよう。しかも蓄えられた金は浪費されることなく蓄積され(=資本蓄積)、さらなる利潤獲得のため投資されていくことになった。
…私などは、カルヴァン派の布教・拡大が個人単位によるものであったことも重要だと思っている。カトリックや正教会はもちろん、伝統的な教会によって維持されており、ルター派も反カトリック(というよりは反ハプスブルグ家)の諸侯の改宗により支配下の住民も改宗することになったし、聖公会も王の意思で改宗させられたといってよい。個人として自ら改宗を受け入れたのはカルヴァン派系のみである。この個人に立脚したスタンスは、資本主義や民主主義の基盤になるものであると思っている。このことは、同時に、教理や教会運営の捉え方から、様々な分派を生む要素にもなっている。特に、教会運営の面では、長老派と会衆派、教理面では、聖公会を源とするメソジスト、バプティストなど、数多くの分派が生まれているわけだ。
ちなみに、この信仰が薄れ(=世俗化)、宗教としてではなく、利潤追求が自己目的化していったことを、ウェーバーは、危機的状況だとして批判している。
…ちょっと蛇足。何の本だったか記憶が薄れているのだが、(イギリスなどに比べ)アメリカは信仰心の強い国である。だが、世代ごとに地位や財産が上昇するに連れ改宗する人々もいるらしい。すなわち祖父母の代はバプティスト、父母の代はメソジスト、自分の代は聖公会(教会が豪華で見栄え重視)という風にである。これもまたアメリカの宗教の実相であると思う。
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