2024年1月27日土曜日

鹿野政直 アプレゲール

学園の図書館で借りた「近代国家を構想した思想家たち」(鹿野政直著/岩波ジュニア新書)の”プロローグ”が非常に興味深かったので、今日はその内容についてエントリーしたい。
鹿野政直氏は早稲田の教授で1931年生まれ。旧制中学2年生時に終戦という戦後派=アプレゲール(仏語で戦後の意:当時の大人からは、無軌道で無責任、退廃的で享楽的というマイナスイメージの焦点として使われた。)である。当時アプレと略されていたのだが、氏はこの印付けをあえて引き受けて生きていこうとひそかに決意を固めたとのこと。その理由は、戦前の価値基準、特にモラルのドレイと痛感していたが故に、そこから自分を解き放ちたいという想いである。戦前とは異なる戦後をという時代を目指したが、社会を変えようとの志向に直結するものではなかった、とのこと。

すぐ年上には、国家に殉じて「散る」ことを使命とも宿命ともした「戦中派」世代がいた。敬意をかきたてられつつも、その美しさとひたむきさ自体が国家の陥穽(かんせい:落とし穴のこと)に自ら投じる心理を準備するところがなかったかと思い、そこを見つめなければ同じ轍を踏むだろうと自分に言い聞かせ、美しくもなくひたむきでもなく生きるという意味でも戦後派であろうとした。これらのことが、氏を大学進学にあたって国史を専攻する動機となった。

https://hanga-museum.jp/
exhibition/past/2018-341

戦時中、兵士になることを納得させようと努めてきた氏は、しばしば『ピンでとめられた昆虫』を連想したそうだ。後に、「生き身をピンでとめられた存在」(ふるさとの女たち:古庄ゆき子)という記述や「ピンでとめられた芋虫の兵隊像」(画家浜田知明/右記画像参照)に接して思いの外、過剰反応したという。軍が栄光を独占するようになった体制は、どのようにしてつくられ、どのように縛って、自分たちを無力感の虜囚としたのか、その課題への執着が、「近代日本軍隊の成立」という卒業論文になったという。

…我々は、戦後派などより遥かに新しい「紛無派」(安保闘争などの紛争が無い/終わった世代)で、しかも反戦フォークソングではあるが、ソフトなイメージの『戦争を知らない子供たち』を、まだ明石家さんまやオール巨人・阪神が新人の頃のヤング・オーオーというTV番組で聞いていた世代である。(上記の曲はもちろんギターで弾けるが、今は恥ずかしくて歌うことはできない。)”戦争を知らない子供から大人になった”私にとって、戦争はまさに書物の中の世界でしかない。それは幸せなことでもあるが、危険なことでもある。ともすれば、国家の陥穽に陥るかもしれないからである。そんな事を考えながら、加川良の『教訓Ⅰ』を聞きながら、この本を読んでいこうと思う。(久ぶりに聞いたら、ジェンダー的に問題があるよなあと痛感した。昭和の曲なのでご勘弁。)

教訓Ⅰ:https://www.youtube.com/watch?v=FSaMY7TRgFI 

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