2024年1月16日火曜日

ヘロドトス「歴史」への懐疑

https://tini18.hatenadiary.com/entry/2022/12/13/005849
倫理では、西洋哲学史を語る際には、ヘブライズム(ユダヤ教・キリスト教)とヘレニズム(ギリシア・ローマ思想)がその根底に位置する二大潮流だと教える。一神教の概念とロゴス&合理主義がその基盤にあるからなのだが、世界史でも同様に捕らえている場合が多い。

いやいや、オリエント文明こそが古代のルーツであり、ギリシア文明というのは、その末端に位置するものでしかないと、「先生も知らない世界史」の最初の方で玉木俊明氏は言う。ヨーロッパ文明が世界を席巻して、歴史についてもヨーロッパに都合の良い史観が成立しているからで、日本の世界史教科書もこれに準拠しているゾ、というわけだ。

ギリシア文明は過大評価されている。たとえば、民主主義発祥の地だとされている。18歳以上の男子が参加する民会による直接民主制は、女性の参政権はなく、奴隷制度の上に立脚していた。またヨーロッパの歴史学では、アテネ研究がほとんどで、他のポリスの状況はほとんどわかっていないのが実情である。たしかに、他のポリスもそうだったのかは定かではない。

ところで、ペルシア戦争について詳しく記しているのはヘロドトスの「歴史」のみである。ヘロドトスは、この戦争を、ギリシアのポリスが自由を護るため連合して打ち勝ったという視点で書いている。しかし、歴史家の多くは、アケメネス朝ペルシアとギリシア・ポリスの帝国主義的な勢力争いだと見ている。穀物が不足しがちなギリシア・ポリスでは、植民市を地中海各地に配置していた。オリエントを統一した大帝国であったアケメネス朝ペルシアに対して、イオニアの植民市が反乱を起こしたのがきっかけで、「戦闘」が起こった。重装歩兵のマラトン、サラミスの海戦、プラタイアの戦いと勝利し、「戦争」に勝ったとされている。カリアスの和約があったらしいが諸説ある。「戦闘」に勝ったのと「戦争」に勝ったというのは、少し意味が違うというわけだ。

そもそもこのペルシア戦争、ギリシア側には大事件であったが、アケメネス朝ペルシャにとっては、西端で生じた小さな戦争であり、将来に大きな影響を及ぼしたものでない。だが、ヨーロッパ人にとってインパクトが大きく、(ヘロドトスの主張する)自由のための戦いに勝利した、と後世のヨーロッパ人は錯覚した。ここから、自由の担い手はヨーロッパであり、オリエントさらにアジアには自由はないという妄想が染みついてしまった。ヨーロッパ人の「自由」とは彼らに都合の良い観念であり、それを生み出したのがペシア戦争だと言えるわけだ。

…なるほど。高校の世界史は、そういうヨーロッパ史観だけでなく、これまであまり顧みられなかった東南アジア・中央アジア、ラテンアメリカ、アフリカなどの歴史も学ぶようになっている。生徒からすれば、学習範囲がかなり増大したに過ぎないのだが…。

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