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舞台はイタリア・アドリア海。この作品の背景には、WWⅠで大活躍した多くのパイロット達が反戦ムードの中で失業し、かのサン=テグッッジュベリが「夜間飛行」で描いたような危険な飛行による悲劇が起こっていた時代である。
このタイトルにある「紅」は、左翼の別称を意味している。当時のイタリアでは共産主義者を「赤い豚」と呼んでいた。主人公の通称:ポルコ・ロッソはそのままの意味である。岡田は、この作品は宮崎駿の私小説だと言っている。それは、宮崎駿も高畑勲も学生時代に左翼となり、東映では激しい組合活動に従事していたし、左翼であることは、数々の宮崎駿の発言からも十二分に読み取れるというのが大前提。(詳細はウィキに詳しい。)
主人公のポルコは、WW1でのパイロットたちの仲間に対し、空賊(航空機を使う海賊)の取締を仕事にしている。これは、「夜間飛行」で犠牲となったり、空賊として生き延びている元仲間に対する裏切り行為であるというわけだ。若い頃の左翼思想を大人になってどう消化するか。これが、この作品の隠れたテーマであるわけだ。
この大きな矛盾こそが、(左翼思想を捨てて資本主義の走狗として戦う)JALの国際線に乗るビジネスマンへのアイロニーであり、私小説的に見れば、宮崎駿の左翼に対するスタンスということになる。(宮崎駿は、スターリン主義でも毛沢東主義でもないが、かなり強烈なリベラリストであると言える。)
こういう感覚は、今の若い世代は理解し難いように思える。倫理の教師である私は、左右のど真ん中を標榜してきた。国際理解教育の世界は、どちらかというとリベラル志向が強い。だが、リベラルにも潜む罠があって、我々はうまく乗せられているのではないかという感覚も持っている。宮崎駿同様、軍事、特に航空機に対しての愛着は強いが、戦争には反対である。ただ、憲法論議については、ドグマに陥らない思索が必須だと思っている。
我々の世代には、まだまだ左翼あるいはリベラルな思想を堅持している人が多い。改めて、自らを「紅の豚」と考えているわけだ。ちなみに、豚に対応する人間は、ナショナリズムに埋もれている人を指すようだ。愛国債を買わないかと言われた主人公は、これを人間のものとして拒否している。
もう、右か左かという時代ではなくなった気がする。政治は右も左も利権に走り、まさにチャーチルの言うどうしようもない「民主主義」の様相を呈しているからだ。…結局、暗澹たる末筆になってしまった。
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