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今回のエントリーのタイトル「コミュタリアニズム」(共同体主義)は、ロールズ批判第3の立場、マッキンタイアやサンデルである。日本では、サンデルのほうがTV講義などで遥かに有名だ。マッキンタイアは、共同体を基盤とした「共通善」という概念を重視する。サンデルは、共同体の価値から切り離された「負荷なき自己」などありえないとし、ロールズの中立的な正義を批判している。
この共同体における「共通善」という考えは、よく理解できるところである。カナダのテイラーなどは、文化によって異なる共通善を承認する立場(=多文化的コミュタリアニズム)だが、移民国家のカナダと日本ではかなり、状況は異なる。これからの日本社会が移民を多く受けいれることになるだろうことは想像に難くない。日本語を学び、日本的な価値観を受けいれ、日本の共通善を十分認識した移民なら問題はないとは思うが、共通善を学ぼうともしない輩は、ペルソナ・ノン・グラータである。先日も、LGBTのデモで、日本語で天皇制反対と書かれ、さらにハングルで何か書かれたのプラカードを持っている輩がいたそうだ。
テイラーの主張は、日本にはあてはまらない。「世界が称賛する日本の文化」の破壊の一端になりうる。移民増加の経済的メリットより、文化を守るメリットの方がはるかに重要である。少なくとも、近隣国のような嘘をつくことを悪としない習慣や、ルールを守らないことが当然といった国民性が日本に輸入されないことを望みたい。日本では責任ある行動・他者を思いやり、約束を守る=「義」が重視される。これが崩壊すれば、日本は日本でなくなる。
移民が来れられるのは結構。だが、この「共通善」と言う概念、これからの若い人々に教えておくことは実に重要かもしれない。
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