まずは、本書の全体像についての感想である。聖書は文字通り聖なる書であり信仰の対象であるが、本書では、歴史的な経過を踏まえながら、その成り立ちを地域的な伝承等とも比較しながら、あくまでも「物語」として論じている。記紀のような感覚といっていい。もちろん、著者はハイデルベルグ大学、テルアビブ大学の進学部博士課程に学び、旧約聖書学、オリエント史、西アジア考古学などの専門家である。
第1章はアダムとイブの話である。アダムの名の由来は、土で、アーダーマーであるそうだ。そもそも神は土から人間を作ったわけで、アーダーマーが、アーダーム(人)となった。このアーダームは、定冠詞がつくので一般名詞であるらしい。アダムと訳されているが、固有名詞のアダムではなく、人と訳すのが正しいとのこと。
西アジアの古代の文学作品においても、神々が人間を作る描写がある。その目的は明確で、神々の苦しい労働を代わりに行うためと、はっきりと書かれている。聖書の創世記においては、「うめよ、ふえよ、地に満ちて、これをしたがわせよ」と書かれており、地上で数を増やし、大地をしたがわせることが、人間を作った目的が違う。この大地をしたがわせるとは、灌漑などによる「支配」と捉えることが容易だが、エデンの園の追放時には、土につかえさせたという記述が見られ「世話をする」と捉えることもできる。すでに矛盾があるわけだが、古代メソポタミアにおいてすでに自然破壊(塩害)が起こっていたことと結びつくっそうだ。
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